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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ

25  クジャク


初夏の花鳥、孔雀と牡丹



ナルシスト達

牡丹だけが僕を飾れる花なのだ。
見てごらん、この綺麗な花と僕、
ゴージャス!
素敵な花に引き立てられて、
見とれてしまう、素敵な僕!
 
なんだって、花の王たるこの僕が、
君の単なる引き立て役?
とんでもない!
王様を引き立てるのは君なのだ。
目玉模様の君などと
豪奢な僕は比較できない。
 
あー、なんたる自己陶酔。
ナルシシズムはどこにでも、
君にも、僕にも、彼等にも
右も左も夜郎自大の世の中さ。

Narcissists

[Peacock:] 
Look at me with the flowers of splendor.
Only peonies fit to ornament me.
To my beauty, all the witnesses surrender.
They really serve as a foil for me, you know.

[Peony:] 
For your ornamentation, are you using me?
I am the king of flowers, though!

[The peony thought to itself:]
You have shocked my pride which is tender.
Your eye spot pattern is mere nothing.
I really dislike you, this offender!
A foil for me is you.  That's what you must know.

Ah, look at these narcissists’ crushing.
Narcissists are everywhere, you know.

エッセー

オウムの記事でも書いたのですが、クジャクはオウムと共に、今のパンダ外交同様に、古代中国支配地域で、外交の小道具として使われてきた歴史があります。 我が国にクジャクがもたらされた事例の公式記録としては日本書紀(720年完成)による「大化3年(647年,孝徳天皇在位時)に新羅(シラギ)から孔雀(クジャク)一羽、鸚鵡(オウム)一羽が献上された」とあるのが最古とされています。 とは言え、皇族や最高級貴族は別として実際にクジャクを目に出来た日本人は、その後の長い間、居なかったわけで、庶民は孔雀明王の仏像、仏画を見て、その姿を想像していたくらいで、実体は鳳凰のような想像上の鳥と違わない存在だった、と考えてよいでしょう。 伊藤若冲が孔雀鳳凰図、動植綵絵の一幅として老松孔雀図を描いたのがそれぞれ1757、1760年頃とされている他、丸山応挙の牡丹孔雀図が1776年頃の作品だそうです。 この二人は、特に写生を重んじた画家ですから、彼等は実際の鳥を見て描いたと考えて良さそうです。 多分、江戸時代も後期のこの頃になって、ようやく、庶民も実際のクジャクを見ることが出来たのでしょう。
クジャクが人を引き付けるのは、その雄鳥の華麗なディスプレイの姿によるわけで、人も又、その雌鳥同様にそれに魅了されるということですね。 異性を惹きつけるための手段は多かれ少なかれ、殆ど全ての動物に与えられており、人も含めてセックス・アッピールは「種の存続」という生物にとっての最重要事項と密接に連絡しています。 鳥類には、ディスプレイが華麗で派手な種が多く、フウチョウの仲間や、クジャクは、その代表格と言っていいでしょう。 
我が国で、かっては珍鳥だったクジャクも、最近は宮古島、石垣島等、沖縄の先島諸島で野生化し、農地を荒らすため、環境省は緊急対策外来種に指定し、駆除対象としています。 キョンなどと同様に食肉としての利用も進められているようですが、私はまだ食べたことは有りません。 機会があったら、試食したいと思っています。

 

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