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お茶好きの隠居のカーヴィング作品とエッセイ-昔ばなし

12.コウノトリとシュバシコウ


シュバシコウのカーヴィング作品

御承知のように、元々日本で繁殖していたコウノトリは、一度は絶滅(1971年)してしまったのですが、ロシアのハバロフスク市から豊岡市に贈与された同一種の鳥を使って行われた再生・復活活動の結果、今ではほぼ心配ないまでに着実な増殖途上にあるようです。 日本各地での飛来報告もかなりの数に上るとのことで、私の住む神奈川県でも2018年には「相模川に飛来」とのニュースもありました。 今、我が国で観察されるコウノトリは豊岡市が人口繁殖させたロシア産の鳥の子孫の他に大陸から渡って来た鳥も居ます。 この地に再生し居住するようになった同類がこれらの渡り鳥の一部を日本に留まらせ、そのまま住み着かせる効果もあるようでキチンと保護活動を続ければその数も自然に増大し安定化していくことでしょう。

兵庫県加古川で友人が撮影したコウノトリ

コウノトリの仲間は、ハシビロコウやアフリカハゲコウのようにどちらかというと醜怪な姿・格好の種類がほとんどであって、鶴と同様に優美な姿のコウノトリは2種類のWhite Stork だけというのが私の個人的意見です。 東洋にのみ生息し、英語名もOriental (Japanese) White Stork(学名:Ciconia boyciana)という、話題にしているコウノトリとヨーロッパで赤ちゃんを運んでくることになっているシュバシコウ、英語名(European) White Stork(学名:Ciconia ciconia)の2種です。 シュバシコウは和名の通り嘴が赤く、虹彩がほぼ黒い一方、コウノトリは黄色の目をしていて、目の周りは羽毛がなく赤黒い皮膚が露出しているので黄色の虹彩を嫌でも目立たせています。 このことがこの鳥に猛禽類のような怖い印象を与えているので(実際に魚やカエルの他、ヘビ等も捕食する猛禽です。)目元がずっと可愛いらしいシュバシコウの方が私は好きです。 シュバシコウも渡り鳥ですから、冬にはアフリカに渡っていってしまいヨーロッパからは姿を消します。 なんでも中世の時代ドイツやノルウェーでは、婚姻は夏至の間に行われることになっていたのだそうで、夏の間に妊娠して翌年の春に出産することとシュバシコウが春に戻って来て家々の煙突の上などで巣作りをすることとが関連づけられて、赤ちゃんを運んでくるという民話が出来たのだそうです。

日本でもコウノトリは縁起の良い鳥とされています。 日本書記によると垂仁天皇(第11代)の愛児、誉津別(ホムチワケ)皇子は30歳になるまで言葉を話すことが出来ずに居たのですが、ある日天皇と共に宮殿の外に出るとコウノトリが飛んでいて、それを見た皇子は「この鳥の名はなんと言うのだ?」と初めて、まともな言葉をしゃべったと言います。 父の天皇は大喜びし「あの鳥を捕らえて献上せよ」と命じ、天湯河板挙(アメノユカワタナ)という臣下が追いかけてついに捕らえて献上したという話です。 コウノトリはそれ故霊鳥とされ、この鳥の住む土地を久々比(ククヒ=コウノトリ) と呼ぶようになり、そこに木の神、久々遅命(ククノチノミコト)をお祀りしたとのことです。 これが豊岡市にある久々比(ククヒ)神社の縁起だそうで豊岡市はそういう土地柄からか、人々がこの鳥を大切にして来たので最後までコウノトリが残ったのです。
又、埼玉県鴻巣市の市名にまつわる話では、この地に生えていた大きな木を村人が神の木とし、祠を建てて欠かさず供え物をしていましたが、ある時その祠を汚す者が現れ、怒った神が猛烈な日照りを起こして人々を困らせたそうです。 そこへ一羽のコウノトリ(雌雄ペアではない)が飛んで来てその大木に巣を掛け卵を産みましたが、大蛇が出てきて卵を食べようとしました。 コウノトリが蛇と戦い、追っ払ったところ、災いが無くなったので村人はコウノトリに感謝してその木の下にお宮を作り、鴻の宮(コウノミヤ)と名付けて土地の守り神とした、というのです。 そしてこの地は鴻巣(コウノス)と呼ばれるようになったとのことです。 こちらが鴻巣市にある鴻神社の縁起ですがコウノトリは大きな木のてっぺん等高いところに、木の枝を巣材にして目立って大きな巣を掛けるので、これらの神社縁起にあるように木の神様を象徴する鳥になったのだと考えられます。

コウノトリとシュバシコウの関係について、かつて前者を後者の亜種と分類していたのがその後、遺伝子分析(DNA-DNA分子交雑法)の結果に基づき別種と判断されたようです。 但し、両者の交雑は2代雑種まで確認されているので両者を同一種とする説も有力に残っているとのことです。 両者が極めて近い関係にあることは間違いないでしょう。 折角、日本に復活したコウノトリですから動物園などからシュバシコウが逃げ出し野外で交雑が進むことなどが無いように、くれぐれも注意してもらいたいものです。

アニミズムと一神教について

上記二つの神社縁起から分かるように、日本の神道はアニミズムその物です。 この世に存在する物は生物・無生物を問わず魂を持っていて、それを敬うのです。 西欧人の多くはキリスト教社会で育った人達ですからアニミズムを「原始宗教」と呼び馬鹿にします。 しかし、ローマ帝国にキリスト教が導入される以前の南欧、ギリシャ・ローマにおける宗教は根本的にアニミズムでした。 ギリシャ・ローマ神話に出てくるゼウス=ジュピターを主神とする多神教であり、森羅万象にそれぞれ担当の神様が居るわけです。 又、北欧においても同時期の宗教事情は同じでした。 主神、オーディンを頂点にして、色々な神様が居てそれぞれの管轄分野が決まっている点も北欧神話で語られている通りです。 日本神話も又、同様の構造を持っているのであって、それどころかギリシャ神話の話根と日本神話の話根との間に異常な類似性が見られることは吉田敦彦氏が初めて指摘し、神話学以外の分野にもある種のショックを与えたことは特筆すべき事実です。 [吉田敦彦「ギリシァ神話と日本神話—比較神話学の試み」(みすず書房、1974年)]
日本もヨーロッパの国々も本来、美しい緑なす山々、森林、あるいは海を有する国土を持ち、そういう豊かな自然に囲まれた人々はあらゆる動・植物や自然現象の一つ一つに、嫌でも「神の存在」を感じてしまう環境下にあるのです。 そしてこういう土地柄ではアニミズムが自然発生的に起こり、人々はおおらかで、寛容で比較的柔和でした。 一方、生き物の気配すら感じられない荒涼たる砂漠、水を得ることすらママならない厳しい環境下にある人々は「我のみが絶対唯一の神である。 我は妬む神である」と砂漠で叫ぶ恐ろしい神、ユダヤ教(及びキリスト教)のヤハヴェ(=イスラム教でのアッラー)の前にひれ伏すしかなかったわけでしょう。 一神教は砂漠の産物です。 ユダヤ教からキリスト教、イスラム教が派生し、今では、世界人口の半数以上がこの三宗教のいずれかを信じる一方、ヒンドゥー教や仏教のような多神教、若しくは、多神教的である宗教の教徒数は世界人口の1/4以下です。
古代の農耕民族が共通して持っていたアニミズムは、おおらかではあるがその分、いい加減で性的放縦も有り、ユダヤ教・キリスト教の基準や、明治以降キリスト教の影響を受けた近・現代日本のそれから見れば、不道徳なところが多分にあります。 一方で抽象的思考に長けて厳密な宗教理念を持つ洗練された世界宗教は、より深く人々の心を捉えたのでアニミズムは徐々にこれらの世界宗教に置き換えられていきました。 そして、人々はアニミズム社会のおおらかさも柔和さも失い、同時に自然物に対する敬意をも徐々に失ってしまったのです。 私は「偉大なる」世界宗教が人類に与えた効用を全否定するものではありませんが、その代償として人類が掛け替えのないものを失ったような気がしてなりません。
特に一神教、例えばキリスト教においては、その黄金律「己にせられんと思うことを人にも為せ」という他者への積極的な働きかけは「他者への愛」と捉えられていますが、(因みに、同様のことを孔子は「己の欲せざるところを人に施すなかれ」と否定形で言っていて、それは「他者への思いやり」に留まることに注目すべきです。)それが昂じると「愛の押し売り」となり、更に、自分と異なる考え方をする人や他の宗教を持つ人々への不寛容となり、それを疑ったり否定したりする事を悪とみなして排除するようになっていったのです。 同じような不寛容さは共和主義や共産主義のような社会思想においても見られることは周知の通りです。 一神教の他者への積極性が嵩じた結果が宗教戦争を生み、共和主義や共産主義においては革命を生み、「神」「自由」あるいは「プロレタリアート独裁」の名の下に、あまりにも多くの殺人が行われて来たことは歴史の示すところです。
原初の人間は、暗闇の中で恐ろしい野生動物に囲まれながら共同体の中で必死に協力しあって生きていたのです。 そこでは、「隣人愛」などは言うまでもないことで、互いに助け合うことなく喧嘩ばかりしていたら誰も生きていけなかった筈です。 少なくとも仲間うちで殺し合いをする余裕はなかったのです。 サルや、他の群れを作る動物でもボスの座をめぐる権力闘争があっても、敗北した旧ボスは殺されることはなく、序列が下がり引退するだけで群れに留まることが許されるのが普通です。 最悪でもその群れを追放される位のことでその場合、彼は他の群れに加わることも出来るでしょう。 人間社会が或る程度進歩し生活の安定がもたらされて後に、人は初めて「殺人をする余裕」が出来たのです。 更に余裕が大きくなると人間はより抽象的な思考を巡らすようになり、そこから世界宗教も生まれてきたのです。 世界宗教が世界各地でほぼ同時期に発生したことは偶然ではないのです。

正義/道義という怪しげなものについて

社会的動物である人類には社会秩序が必要であり、その秩序はその時々に支配的な勢力の人々が主張する「正しい思想」に基づいて作られます。 しかし現行のそれが「正しくない」と認識する人々も存在しそれを是正しようという勢力と現行秩序を維持したい勢力との争いが殺人、ひいては戦争を生むのです。 戦争はいつも「正義/道義」という魔力のある言葉に導かれて始まります。 「隣人愛」を説いた、正にその宗教の創始者ですら「私はこの世界に平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです」(マタイ伝10-34)と言っているではないですか。 イスラム教徒もまた「コーランか貢納か剣か?」と言い、大征服王朝を現出させたのです。 「神の支配」を強く意識しそれを絶対視する宗教では、それが「神の代理者の支配」に簡単にすり替えられ「代理者たる人間の支配欲」の実現に利用されるのです。 社会思想/イデオロギーについても基本的に同じことが言えます。 ロベスピエール、スターリン、毛沢東等々の独裁者達の所業を見れば一目瞭然です。 それは二千年以上、何も変わらず本日ただ今も各種色々と取り揃えられた「正義/道義」のために世界中に憎悪が渦巻き、殺し合いが進行しているのです。 「愚かの極み」と言わねばなりません。 「目の前にある社会的不正に目をつぶれ」と言っているわけではありません。 そういう不正に対して断固戦う姿勢は必要ですがそれを理由とした殺人は許されない筈です。
人文科学は、どの分野でも、人間という最も厄介で、いやらしい動物の生態・扱い方を研究対象とする性質上、研究者が生臭くギスギス、ドロドロしたものに取り囲まれている場合も少なくないと思います。 そして研究成果や学説の客観的な裏付けを短期間に厳密に取ることが容易ではないか、ほぼ不可能なケースが断然多いのです。 その主張の「正しさ」を裏付ける根拠/証拠は、傍証もしくは状況証拠でしかない場合がほとんどです。 それらは、精々「有力な説」に留まるのであって、どれ程有力になるかは賛同者の数によって決まるわけです。 「説得力」だけが物を言う世界です。 結果、研究者は「政治的」になる傾向があると言えます。 他方、宗教はと言うと、常に客観的であることが求められる科学とは異なり、本質的に主観そのものであって、賛同者のみを相手としていれば事足れるのがその特質です。 従って、これ又、賛同者=信者の数によって勢力が決まる世界です。 どの宗教も多数のセクトに分かれ、各セクトのボスが神/仏の代理者として信者を支配し、それらの中には元の宗教創始者の思想からは遠くかけ離れた教義を持つものも少なくありません。 が、それは「宗教の本質的な有り様」と言って良いのです。 
その点、自然科学ではドロドロ無しで、霞を食って生きるような取り組み方も可能ですが、研究成果/学説には厳密で正確なデータの裏打ちが可能であるから、それが厳しく要求されます。 どの学術論文も「競争相手によるデータの精査、追試による再現性確認に耐え得た」と認められない限り、斯界で受け入れられません。 又、大きな確立している(と考えられる)学問体系に対してですら「暫定的には正しそうだ」とか、「或る条件下では応用可能なようだ」というように、非常に「用心深い態度」を自然科学者は保ち続ける必要があります。 例えば昔は、古典力学(ニュートン力学)以外に力学は無かったのですが、それは或る一定の条件下、即ち重力が働いている場合のみでしか応用出来ないことが相対性理論によって明らかにされ、「古典」という形容詞の付く力学になってしまったのです。  更に量子力学が加わることにより、力学はもっと一般化され、究極の微小空間である原子の世界がどのように成り立っているかをも説明出来るようになったのです。 現在「それが正しく応用出来なくなる条件」が見つかっていない電磁気学や熱力学でさえも、古典力学同様にその応用可能範囲に条件が付く日が来ないとも限らないのです。
私が言いたいのは、人類は自然科学においても、人文科学においても「絶対正しい」などと言える完璧な理論・理念は未だに入手出来ないでいる、ということです。 現在「正しい」と考えられているものは、正確には「暫定的には正しいとみなされている」だけです。 そして論理上そういう状況は永久に続く、と考えるべきです。 ましてや、一部の人間がその仲間うちだけで「絶対正しい」などと言っていることに客観的根拠も証拠もある筈は無いのです。 人が理性的であるならば、そのように危ういものを巡って殺し合いをする気にはなれない筈、と考えますがどうでしょうか? 動物的本能の一つである「支配欲」の強い一握りの人間の怪しげな主張に踊らされる人が居なければ戦争やテロは起こりません。

日本人と西欧人の自然への向き合い方の差について

このブログの記事 4. キツネで触れたように、西欧人の抜き難い「人間中心主義」と日本人や他のアジア系民族(米大陸原住民—カナダのイヌイット、北米インディアン、南米インディオの人達等を含む。)が共通して持つ「人間と自然の一体感」とでも呼べるかも知れない、人間を他の生物から区別して特別扱いしない態度の差は大きいと思います。
私がカナダに住んでいた時、日本の大企業の現地法人の方々の奥様の中には、高価なミンクやチンチラの毛皮コートを着てトロントの町を闊歩していたところ、トマトジュース等の飲料を大切なコートに掛けられた人が複数人居たようです。 それをしたのは動物愛護団体の人達で「動物の毛皮を剥ぎ、身に纏うなぞ許しがたい」と考えているのです。 彼等は又、ケンタッキーフライドチキンの店に押しかけ「鶏を殺して食うのは許しがたい」と言ってデモを掛けたりしました。 御存知のように「知能が高いクジラやイルカを殺して食べる日本人は許せない」などと主張し、和歌山の漁師町に押しかけ、我が国の試験捕鯨船を襲撃する環境保護団体もあるわけです。 このブログ記事 10.マガン でも述べましたが、彼らの愛護する動物としない動物との線引きは極めて恣意的です。 彼らの主観においての価値「知能が高い」とか「愛らしい」とかいう属性を持つ動物で「ある程度まで高等な」動物のみを愛護するわけです。 私は彼等の薄っぺらな「人間中心主義=人間自分勝手主義」を100%は否定することが出来ません。 なぜなら、人を含む動物は植物と違い、生命を保つために必要な有機物を自ら製造する能力を欠き、他の生物を食べることによってのみ生存可能だからです。 食べることはやめられないし、放置すれば我々の生活に著しい損害を与える生物を排除することも「相当程度必要な事」なのです。 その場合、結局は御都合主義的に保護する生物と排除する生物の間に線を引かざるを得ません。  但し、それは野放図に「恣意的」であってはダメで、飽くまでその生物が我々に与える損害という点を適切に判定しての線引きになるべきです。 しかし、こういう言い方自体が「恣意的」であることを許しているのであって、それを認めた上でそう言わざるを得ないのです。
お釈迦様=ゴータマ・シッダールタは、まだ幼い王子だった時に鳥がミミズを啄むのを見て大きなショックを受け「哀れ、生き物は喰いあう」と言ったそうです。 彼が後に王宮を出るようになった事には、この原体験が大きく作用したと考えられているのです。 この天才は幼くして、生きる事自体に根源的に含まれているこの恐ろしい事実を直感し、一瞬にしてその意味を理解したのでしょう。 そして、それは「彼が飢えたトラにわが身を喰わせた」といった伝説を生み、仏教の殺生戒に繋がっていったのだと思います。 仏教とほぼ同時期にインドで成立したジャイナ教ではアニミズムに基づいて信徒は極端な殺生戒を守っています。 不思議な事に、宗教的理由に基づく採食主義の人は植物を食べる事に罪悪感を持たないようです。 彼等は植物を命ある生物とは考えないのでしょうか? 古代に生きた宗教創始者の認識に誤りがあった事が原因かも知れませんが、今もその明白な誤謬をそのまま認めているのならば滑稽と言わずばなりません。 ジャイナ教徒に彼の飲む水の中に沢山の細菌が動いていることを顕微鏡で示したら、彼は水を飲めなくなったそうです。
私は西欧の詩に、蚊や蚤を題材としたものがあるかどうか 知りませんが、とにかく、見たことが有りません。 一方、日本には吸血昆虫にも親愛感を抱く小林一茶や松尾芭蕉のような俳諧師=詩人が居るのです。
「ふくれ蚤腹ごなしかや木にのぼる」、「夜の蚊やおれが油断を笑ふらん」等々多くの吸血昆虫をも含む小動物を題材にして句作した一茶は自分とこれらの小動物を全く同列に置いています。
「我宿は蚊のちいさきを馳走かな」、「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠んだ芭蕉は、蚊や蚤、虱を好きではなかったと想像されますが、彼の俳諧からは「自然物との一体感」を感じ取れると思いますが、どうでしょうか?
水俣病告発の書「苦界浄土」の作者、石牟礼道子はこう言っています。
「たとえば、神様なんていうのは皆さんはどんなにお思いになるか分かりませんけれども、水俣病の患者さんもそうですが神様ていうのを信じてるんですね。 一つの宗教を信じてるというんじゃなくて、魚も神様で海にはもちろん、えびすさまという神様がいて草にも石にも神様が宿ってて、ともかく命あるもの、普通ないと思われるもの、物質と思われてるものにも全部命がある、というふうに水俣の人たちは思っている」―(石牟礼道子「綾蝶の記アヤハビラノキ」P. 120、平凡社、2018年)
又「苦界浄土」の中では患者さんの一人、ゆきさんの心の中を下記のように表現しています。(第三章 ゆき女きき書き、五月)
「舟の上はほんによかった。
イカ奴(メ)は素っ気のうて、揚げるとすぐにぷうぷう墨ふきかけよるばってん、あのタコは、タコ奴(メ)はほんにもぞかとばい。
壺ば揚ぐるでしょうが。足ばちゃんと壺の底に踏んばって上目使うて、いつまでも出て来ん。
こら。おまや舟にあがったらでておるもんじゃ、早う出てけえ。 出てこんかい、ちゅうてもなかなか出てこん。 壺の底をかんかん叩いても駄々こねて、仕方なしに手網(タビ)の柄で尻をかかえてやると、出たが最後、その逃げ足の早さ早さ。 ようも八本足のもつれずもせずによう交して、つうつう走りよる。こっちも舟がひっくり返るくらい追っかけて、やっと籠におさめてまた舟をやりおる。 また籠を出て来よって籠の屋根にかしこまって坐っとる。 こら、おまやもううち家げの舟にあがってからはうち家ゲの者じゃけん、ちゃあんと入っとれちゅうと、よそむくような目つきして、すねてあまえるとじゃけん。
わが食う魚イオにも海のものには煩悩のわく。 あのころはほんによかった」
私は実際にタコがこのようにふるまうかどうかは知りません。 それは多分、詩人、石牟礼道子というフィルターを通して象徴化されたタコの姿であるのかも知れませんが、これが同じ天草出身の二人の女性の目に映る動物の姿なのです。 私には、本来の日本人の生き物への向き合い方がここに端的に表れている、と思えるのです。 シートンの動物記(Ernest Thompson Seton: Wild Animals I have known, 1898)に描かれたような賢くて、そう簡単には狩ることの出来ない動物への「ハンターの敬意」は、どこの国の狩人にもあるでしょう。 日本人の狩人も勿論持っている筈です。 しかし、アイヌの人達やマタギと呼ばれた昔の日本の狩人達は熊を獲った後で、その熊の魂を天に送る儀式をするのです。 我が国には狩る者と狩られる者/漁る者と漁られる者との間に原初のアニミズムに基づく「濃密な情愛」と言ってよい何かがあるのだ、と私には思えるのです。 こういうものを持つ土壌からは、私がカナダで出会った動物愛護団体や一部の環境保護団体の人達が取るような浅薄な行為は生まれようがないのです。

生命の実体について

生命の実体とは何か? その解明のため、生命体の合成を目標にした研究が進められています。 19世紀末にウイルスが分離され、1950年代にはその化学構造の解明がなされ、それが生物と無生物の間にある特徴を持つ存在であることが判明しました。 一方、同時期には有名なユーリー/ミラーの実験も行われたのです。 当時、原始大気の組成と考えられていたメタン、アンモニア、水素、水の沸騰混合気中に雷を模した火花放電をする事により生命体の基礎原料であるアミノ酸が合成されることが分かったのです。 これらの事実は宇宙線や雷のような強烈なエネルギーが降り注いでいた原初の地球の海水中に存在した極めて単純な物質から初めは無機的な反応機作で、アミノ酸分子が生成しそれが重合して蛋白質が作られ、生物が発生してくる道程を示唆しているわけです。 即ち「生物と無生物の中間体の存在」及び「無機物からのアミノ酸生成」という二つの事実に基づいて、「無生物と生物の間は連続している」という考えが強く支持されるわけです。
生物を形成する細胞を区切る細胞膜に近い膜物質を合成し、それにこの膜分子の前駆体を加えると、この膜が細胞分裂のように自律的に増殖する事が確認されています。 又、細胞膜の内部に含まれる生命のキー物質である幾種類かのリン酸や蛋白質の合成、例えば遺伝情報物質の一つであるRNAの合成に関して言えば、その前駆体的物質であるリン酸イミダゾリドの合成に成功しています。 人類は生物合成の核心に相当程度まで近付いていると言っていいでしょう。 今まで、神の領域と考えられてきた「生命創造」にあと何十歩か迄、近付いて来ているのです。 生命=魂であって、森羅万象に魂が宿ると信じるアニミズムは豊かな大自然に囲まれて生きていた原初の人類が「無生物と生物の間の連続性」を直感したことに基づいているのではないでしょうか?
私自身、西欧の思想にドップリと浸たって生きてきた者ですが、我が国の豊かで優しい自然が育み、我々日本人の心身に沁み付いた思考/行動パターンからは、最後の一点で逃れることが出来ません。 
生態系保全策や環境問題の解決策を具体的に考える時には、このような原初的な日本人の自然への向き合い方に基づいた処方が求められるのではないでしょうか? 

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