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そーゆー星のもとに生まれたんで

10才の冬、隣町の小学校に転校してすぐに開催されたマラソン大会

私は前の小学校で使ってた これでもかっていうくらいのバカでかお名前ゼッケン付き開襟体操服を着て、シンプルな体操服軍団の遥か後ろのほうを走ってた。

襟のついている方をこれみよがしに思いっっっきり後ろ向きにして。


12才の秋、中学生になって初めての文化活動発表会

課題曲で指揮者をすることになった。ジャガイモ畑のおまじないも虚しく 暗い観客席におるはずの同級生ひとりひとりの顔がめっちゃはっきり見えて泣きそうになったから、とりあえず視界を無機物で埋めるために深く深くお辞儀をした。

思いっきり自分だけタイミングミスってた。伴奏の子、めっちゃ困ってたな。


15才の春、高校の入学式直前

ある日 何を血迷ったのか 私は洗面台が真っ黒になるまで一心不乱に前髪を切って、虚無で入学式を迎える。
このときのことは正直ほぼ何も覚えてない。ただひとつ「ああ、終わったわ」と思ったことだけは はっきり覚えてる。

天文部があるから っていう理由で受けた高校
入学式の日に「前髪短すぎるしなんかそういう系強そうやったから」っていきなり空手道部にスカウトされた。けど右足が使い物にならへんから、なんかマネージャー枠で入部させられた。
案の定全くやる気なくって夏には辞めたけど、今更天文部入るのもな、と思って天文部にも入らへんかった。結局なんも残らへんくなった。
打ち込むことがない生活ってこんなにおもんないんや、って毎日思ってた。
(うそ!ちょっと盛った!書道はほんまにがんばった!)


小学校の卒業式、みんなの前で「私は中学生になったら 吹奏楽部に入って 人々が感動するような演奏をしたいです。」って言うた。
その年の夏、ピカピカの楽器を持ってかっこいい演奏する先輩を見て 自分も絶対県大会でソロパート吹く!ってそれだけをモチベーションに2年間駆け抜けた。良いことも悪いこともいっぱいあったけど、とにかく毎日充実してたし 全部キラキラしてた。

14才の夏、中学3年生 最後の夏のコンクールの1ヶ月前

体育の授業中にいきなり膝のお皿カチ割って 水着姿でプールサイドに打ち上げられた私をドン引きしながら見つめてるクラスの男の子の視線がめちゃくちゃ刺さる。
人生暫定ダントツ一位の膝の痛みなんかより、断然痛かった。

びしょびしょぼろぼろのまんま地元の整形に車椅子で運ばれて、ここじゃ診れませんって親と一緒に総合病院にまわされて、何時間も待たされて、
やっと診察室入れたと思ったら、ぼーっとしてる私の耳になんとな〜く聞こえてくる治療のスケジュールが どう考えてもコンクールに間に合わへんくて。別に右足使えへんくても楽器なんか吹けるくない?って言いたかったけど、先生も親も真剣そのものやったから なんかとりあえず私も聞いとくわ。

診察室出て 深呼吸して ギッチギチに引き攣った顔で「あの〜これ、もしかしてコンクール出れへんってこと?」ってお母さんに聞いたら 目も合わせずに「そういうことやな」って返されたとき、物心ついてから初めて親の前で泣いた。泣いても泣いてもひたすら涙が溢れてきて 止まってくれへんくて、
それくらい、とにかく悔しかった。

14才の夏、人生最初にして、最大の挫折
大袈裟じゃなく ✝️暗黒期《おわり》✝️のはじまりです。


というように私は人生の要所要所で定期的にやらかしてます。
そーゆー星のもとに生まれたんで。

このnote書いてて思ったのは、「恥ずかしい」って感情は ときぐすり がどうにかしてくれても、「悔しい」って感情にはなかなか折り合いがつけれへんってことですね!
今だにあの夏に未練タラタラしてるや。
ってことで、また気が向いたら私の14才の夏について note書きたいと思ってるので、また気が向いたら見にきてやってください〜

ほな^_^

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