父のことを考える(2024/6/16)
母のお見舞いへ。その前に実家に行って父と話す。
母の退院は週明けに決まったとのこと。ケアホームはかわらず満床のままなので、退院後しばらくは家で暮らすと。
父、今度は相続の相談に税理士に会いに行ったらしい。早い・・・
退院後の介護の相談でケアマネージャーにも連絡したけど向こうから連絡がないと言っていた。
そして病院へ。
母も交えてケアマネさんに連絡がつかない話を再度する。
「ケアマネさんと話す時はお母さんもいっしょに話したら?」と言ってみる。父は母の今後に関することをガンガン進めている。やることリストとして書き出して、一つずつこなしているようなかんじ。娘としてはありがたい。でも当事者である母はそのスピードについていけているのか、本人は納得して進めているのかが心配だった。
私がそう言うと、母も
「そうよ、私のことなんだから」と。
やっぱり・・・
が、父の反応はわるかった。話の流れで、リハビリ(入院前は週2回家にリハビリをしにきてもらっていた)より看護に切り替えた方がいいかな、となった時、
父「じゃあどんな看護を受けたいの?」
それは病気の人が聞かれても相当に困る質問では・・・
話していくうちに父は不機嫌になっていき、
「母の退院を待っていてはサービスが受けれらるのが遅くなる」と怒り出した。
でも、今日は日曜日。退院は次の水曜日。最短で翌日の月曜に連絡がついても、打ち合わせの日は退院前でも後でもそんなに変わらないはずなのだ。
父は母にまつわることを自らのタスクとして物事を進めている。やることをリストアップし、アポをとり、必要なところに行ったり来てもらったり、色々な人と話して決めて、進めている。そしてそれを楽しんでいる。
少し前、母の最初の抗がん剤が変わることになった時
「あの人は次の治療をすごく楽しみにしてる」
と言っていて、ぞわっとしたのを思い出す。怖いと思った。
でも、父とも話して、やっていることを見ると正直それに共感してしまう。
病気も介護もまったくわからないところから、色々な話を聞いて少しずつ理解して、自分でも話せるくらいになって選択肢が明確になっていく面白さ。その面白さを私も知っている。そして、自分が進めていることに、誰かに口を挟まれたり考慮していなかったことを考え含めないといけないと気づいた時に、すごく気持ちが落ち込むことも知っている。父もそうなのではないかと思う。ケアマネさんの件では、当事者の母がタスクを進める父にとってペースを乱すものに感じるんだろうな。本人の要望を聞くのが必要、とどこまで思っているかわからないけど、それで方向性がかわったり波風が立つなら聞くのは面倒だなと思うのならその気持ちもわかってしまう。
(でも父は、思うように進まないと不機嫌になって声を荒げたりするのでそれは無条件に嫌)
ただ、母はきっと自分の納得感とか、身体が思うように動かなくてつらい気持ちに共感してほしいのだろう。その気持ちもよく分かる。
「あの人とは話ができない」と母は言っていた。父はタスクを進める楽しさ、使命感が大きくて対象者に感情があるとはまるで思っていないのかもしれない。でも私は、そんな父がけっこう好きだ。人生楽しそうだな、と憧れもする。もちろん嫌なところも多々あるが。自分のことしか考えてない、と母は怒るけれど、それが楽しそうで良いな、と私は思ってしまう。もちろん人へのやさしさ、共感なんてできた方が良い。自分が付き合うならそういう人が私だって良い。でも、自分のペースで目の前のことを楽しいとのめりこんでしまう人も、そういう気持ちも肯定したい。それでも良いではないか!と思ってしまう。
それに、末期がんの親を前にして、悲しむより前に両親の理解が進んだと内心喜んでいる娘(私)もたいがいだろうと思う。結局自分の気持ちを許したいから、同じような父を肯定しようとしているだけなのかもしれない。私は母よりも父に似ている。
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