考えのクセを変えたら、怖いものなんてないと言える気がしてきた
起きたら14時という最悪のスタートを切った本日、これと言って特に書くことはないのだけれど、暮らしの記録として書いてみる。
学びについては、今日は算数ドリルはなし。新たに本を少し読んだ。
これ▼
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「チームへの期待値を上げて負荷をかけ続ける」というのが、
負荷に耐えられず仕事を辞めた自分にとっては重い。
そもそも基準を高く設定する、ということにすごく息苦しさを感じてしまう。以前の職場でも、「基準を高く設定して学生のアルバイトスタッフ成長させた」という人がいて、すごいと思う反面、想像して胸が苦しくなったなあ。組織の成長に基準値を上げて負荷をかけることは欠かせないと思うけれど、自分にも、人にもそれを求めるのは苦しい。私の場合、他人が自分の求める基準に達さないものを持ってきても、「こんなもんかな」と思ってしまう。他人がやった仕事をジャッジできない。なぜかというと、そもそも自分のものさしが基準値なのかどうかがわからないからかな、と思う。世の中の上司という役割を持っている人はどうしているんだろう。あなたのものさしが基準とどうして言えるのでしょうか?誰かから教わるの??それともやっぱり経験値でわかるようになるものなのかな??
「上司」という役割って、どうしてそんなことができるんだろう、と思うことが多い。よく部下に考えさせるとかいうけど、考えさせて出たものの良し悪しはどうしてわかるのか。もちろん正解などないし、上司は答えを知っているわけではないと思う。だから選んだ答えが正解になるように動くんだろうなあ。
そして、ここまで書いて以前読んだこちらをパラパラと見返してみた。
あ、答え書いてあった・・・。
・決めることができないもう1つの理由は「心理的要因」です。失敗することへの恐怖や、決めたことを実行することへの自信のなさ、出した結論に対する反発への不安などの心の抵抗です。
・無理やりでも「決める」という行動を起こし、決断に慣れていくことです。そのための強制力が、その日までに決めなくてはならないという決断のデッドラインなのです。
・人や組織はそもそもよく間違えます。早めに決めて早めに行動を起こしていれば、誤りに気付いた時点で修正をかけて再挑戦することができます。むしろ、やってみるからこそわかることもたくさんあります。
・目的とは簡単に言えば、「何のためにそれをやっているのか?」ということです。これをしっかりと見据えている限り、大きく判断を間違えることはないというわけです。
・大切なことは万能の決断ノウハウを探すことではなく、自分らしい「決断のスタイル」を作り上げていくことです。
こういうのをしっかり自分に取り入れて、考えを変えて、行動を変えていけば良いんだなあ。私は決めることが本当に怖くていやでいやで仕方なくて、前職も自分で決めて進めていくことが多くてそれがすごくストレスだったのだけど、こういう風に思考を軌道修正していけばよかったんだ。自動的に浮かぶ考えや感情に対し、別の考え方があるよ、と自分でコントロールしていく。そう考えたら、いろんなことを怖がらないで進んでいけそうな気がする。
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