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専業非常勤講師と法的な失業状態の経験

 このところの大学教員の状況は、こと求職に関しては絶望的と言っても過言ではありません。筆者もそれほど優秀ではない身の上、若手の頃はストレートには行かず、何度かの実質的失業状態を経験しながら、工夫を重ねて研究者生活を送っていました。この記事は、そういった学問の周辺事情に関連した、ちょっとした感想文です。

任期付研究職を渡り歩きつつ定期的に実質失業

 最近はおかげ様でなんとか連続して大学や研究機関の職にありつけている筆者ですが、もう少し若手であった頃は、ひとつの任期付き職の任期が終了してもすぐには次の職がみつからず、失業またはそれに準じる様な期間がついてまわるのがあたりまえでした。
 ちなみに任期付き職についている若手研究者が皆失業等の状態を定期的に経験するものなのかというとそんなことはなく、筆者以外の私の周囲の人はだいたい、首尾よく空白を開けずに次の職に移ることができており、やがて任期のない職を得て行ったものです。筆者が優秀とは対極の選ばれし者であった為、その特典として自由な時間がより沢山与えられていたという寸法です。
 複数回数あった実質失業期間の過ごし方と申しますか、身分と社会保障のあり方は、全てのケースで異なっておりある種バラエティに富んだものでした。ひとつだけ共通して幸いであった点は、いずれの場合も大なり小なり収入源は確保できており、本当の意味で路頭に迷うことはなかった所かもしれません。
 最初の「失業」は学位取得直後の期間です。いわゆるオーバードクターですね。
 ちなみにこの「オーバードクター」という用語は、二通りの使い方をされることが多い様です。ここではそのひとつ、「大学院博士課程修了後に本務先を持たない博士号取得(博士後期課程修了)者」という意味で使用します。
 優秀とは対極の選ばれし筆者は、当然大学教員公募の応募競争に勝ち抜くだけの研究業績などなく、しばらくは博士課程在籍中にさせて頂いていた学内の技術補佐員の仕事を修了後も継続して研究を続けていた次第です。形の上では非常勤国家公務員(法人化前の国立大学でしたから)でしたが、要するにアルバイトです。
 これは非常勤ではあるものの、本務あるいは定職と言えなくもないもので、オーバードクターよりも良好な状態である「ポスドク」と自称しても誰も否定できない程度の待遇なのですが、在学中からのなしくずしで薄給であったことと、研究職ではなく教育補助職であったことから、自戒を込めてオーバードクターであったと自認している次第です。
 まったく順風でない船出なのですが、それでも1年と何か月かの後、京都大学のとある大学院の助手(今の助教、転換前の旧助手)の口に、大変幸運にも拾って頂けましたので、転げる様に飛び込んでゆきました。
 これはちょっと説明困難な紆余曲折があって、結果的に専門性を若干変えてみたところ需要があった、そういうカラクリによるものでした。余談になりますが、国立大学の独立行政法人化1年前の時期でしたので、1年間だけ国家公務員の文部科学教官、残りの任期中は国立大学法人の教員という身分でした。
 しかしながら数年後、優秀とは対極の選ばれし筆者は、助手の任期終了であるにもかかわらず次の行き先がありません。この時はどうやって凌いだかと言うと、クビになる職場のとある先生の科研費の研究員、つまりポスドクに逆戻りしてポジションを確保しました。
 このポスドク逆戻りは、次の職として常勤職を得られなかった場合に筆者以外にも一般に比較的よく発生する事態であり、満足すべき状況ではないものの、ある意味では平常状態とも言えるものであったかもしれません。
 そして、今回は2年強程その状況で研究活動と並行して就職活動もしていると、東京外国語大学の人文・社会情報系の、教員ではない常勤の有期雇用研究職になんとか拾って頂けて、そちらに異動をします。
 しかしながら数年後、優秀とは対極以下略、またしても次の行き先が決まらずに任期満了となった筆者は、今度は厚生年金系統の制度に基づいて失業給付を受けつつ、ハローワークに通いつつ、他大学の非常勤講師をやりつつ、無給の名誉職みたいな何かに着任させてもらいポジションを確保するという曲芸に打って出ています。この時には肩書としてはいくつかを同時にもっていて、そのひとつ(肩書ではありませんが)として、失業の認定も受けていました。

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