脳死書き流し4

去る街を過ぎ足を止めて見上げると線上の空が地平線の向こうまで広がっていて、消えた雲と空の間から撓み縺れた白い砂浜の景色が瞬いて降ってきた。砂すら描くことは叶わず、ましてや砂浜などは描ききることは出来ないし、逆に描写し尽くさないことも難しい。砂浜は常に動いて留まらず、同じ様には二度とならない。3年間同じ人間でいられるわけがない。沖に浮かぶ船から砂浜を眺めたとき、人が賑やかにしていれば、これを良いことであると思うであろうが、仮に無人の砂浜がそこに広がっていたとして、これを良いことではないとは言えない。いかに美しい砂浜が描かれた絵画であっても、真っ白なキャンバスが美しくないとは言えない。とはいえ、質的に異なるといえどもこれも優劣で判断することは、同時に2つを見ることが出ない以上難しく、せいぜい肯定しうるかどうかを探るのみだ。

地球最後の日に何をしますかという質問は、あなたの欲望はなんですか?という質問と意味的にほとんど異なることはないが、十人十色の答えが出るわけでもなく似たような定番の答えがブループリントとして出来上がっているのを見れば、だいたいどこも混雑必死であるし、そもそも、自分の願いを叶えようとしたところできっと奥底が知れず、たいがい一日で叶うようなものではない。むしろ、最後の日にと考え抜いてしたことが終われば、選ばなかった無数の悪行が思い出されて日付変更まで無限の後悔に苛まれながら人生を終えることになる。そうなるならば、寝て過ごすか、種でも植えていつかの希望を抱いて死んだほうが幾分もマシだ。
地球の最後に自分を顧みるのはあまりに恐ろしい


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