就活がウ●コから始まった話

もう時効だと思う。

巷に就活生と思しきスーツを着た若者が増えた。
この時期になると、私自身の就活を思い出す。それは人生の大きな部分を決めるには圧倒的に短く、ウンや縁が絡み、時に忙しく、大変で、昼飯は美味しい、そんな日々だった。ここではその始まりと終わりについて書いてみたい(終わりについては次回予定)。

そもそも、具体的にいつの期間が就活であるかを確定することは難しい。それは企業へのエントリーで始まり、オンシャへの内定で終わるものとは思えない。もっとぼんやり始まり、ぼんやり終わるものである。人それぞれにさまざまな始まりと終わりの定義があると思うが、私は就活の始まりをウンコの日に据えている。

私は院進し、学問とバイトに勤しんでいた。そこでは日々が連なるばかりであり、私はよくあるインターンシップにも参加せず、OB訪問も高いランチをいただく口実に一度使っただけであった。そんな院1年生を満喫していた冬の寒さが緩むころから、私はひたひたと就活の足音が近づいているのを意識し始めた。否、意識せざるを得なくなっていったというのが正しいだろう。それは定期券の更新だとか、もうすぐ腐りそうな冷蔵庫の卵だとかのように、ふとした時に思い出し私の頭を痛め、過ぎ去り、そうして、段々と私の意識に占める頻度を増す類のイヤなタスクであった。

浪人。院進。大器晩成を突き詰め、時機を逸して散る生き方でお馴染みの私は、ようやく3月になり重い腰を上げる。学内説明会に行き、また、論文を書く傍らでエントリーシートを何枚か出したものの、まだ就活というものを自らの実感として捉えていなかった。道端にはタンポポが咲き始めていた。

ちなみにヘイシャのことを知ったのは、3月の学校説明会である。いくつか気になる企業の中に、漢字ばかりの並ぶ、見慣れない組織があった。下の2文字が「公司」ではないことから、おそらくこれでも日本企業なのだろう。ちょっと見てみるか。そうして私はヘイシャに出会ったのである。不思議なご縁だ。

さすがに年度末の小さな論文を提出し、都心の説明会に行くようになってから、就活は私の生活に入り込んできたものの、それでもなお、どこかで私は、就活生になりきれないでいた。

そんなある日、私はヘイシャの説明会に向かうこととなる。説明会は午前中であった。時間にはある程度の余裕を持ったつもりであった。早起きした。着る物も整えた。電車も正確に走っている。天気も良い。少し腹が痛い。

そうして電車に揺られ、徐々にビルが目立つにつれて、私の顔も次第に青くなっていった。
途中胃薬を飲んだが、その日の相手は手強かった。せっかく準備した時間的余裕は、ヘイシャ最寄り駅における、産みの苦しみに費消されていった。

もはや時間はない。私は都心のビルの合間を小走りで進むが、駅からヘイシャは遠い。焦る理由は時間だけではない。次の波が問題である。つらいものである。ようやくヘイシャ近くにたどり着くも、波は迫っている。背に腹は、というかこの場合腹に腹は変えられない。ヘイシャ目の前に公園がある。子供たちが遊んでいる。私は公園のトイレに駆け込む。カタハライタシ。これもご縁である。肛門付近がうるさいのでスマホに手を添え音を防ぎながら、私はヘイシャの人事に遅れる旨を告げた。
事情を知らない人事の担当は、本当に心配してくれた。天使に見えた。この会社の印象は非常によくなった。一方、心配してくださることが逆に申し訳なかった。

私はオンシャに10分ほど遅れて入った。汗だくである。走ったための汗ではないが。
そうして私は途中から説明会を話半分に聞いた。なんだか申し訳なくなってたくさん丁寧に感想文を書いた。別の会の説明を聞くかと天使に聞かれたが、もうご縁はないだろうと思い断った。天使とは今生の別れである。というか次の波がゆるく近づいている気もしていた。
遅刻連絡という洗礼のような体験をした私は、先ほどの公園に戻り、二度とここに来ることはないだろうと思いつつ、ここに弱々しく就活の始まりを宣言したのである。

ヘイシャでは感想文から評価の対象になると知ったのは、内定後のことであった。これもまた、ご縁である。

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