誰が個人的に書き散らすのか・シャウト・ヒップホップ
↑なんだこのタイトルさて。
見てきました、珊瑚とサボテン企画、「誰が私を抱くのか」通称だれわか(僕が勝手に言ってるだけ)、作品を見終わってからの第一印象は、
うーん、わからん
でした
何がって、僕がこの作品を見てどう感じたか、に決まっておろう。元々、偉そげに評価しようとしていたわけではないのだけれどもね。
あ、前置きを忘れていた。
これは僕の書き散らし。僕が僕のために書き散らしているもので、なぜ公開しているかっていうとその方がちゃんと書けるからである。嫌なら見ないでくれ頼むから。感想の体を成していない言葉も多々あるのでご容赦。
ま、わからんわからんじゃわからんままなので思ったことを思い出しながら(すぐに書かないからこうなる)書きます。その前にもう一つ、
この書き散らしにはアジアン・モンスターズ、ホワイト・シャウト・ヒップホップのネタバレが含まれています。なんでって、同じ二時間ほどの演劇の比較としてに決まっておろう。主題じゃなくてごめんなさい。でも、書き散らしだから許してください。
閑話休題
一番…かどうかはわからないけどすんごくひっかかったところ
返して!
って、取り返しながら言わないで欲しい。言うより前に取れるじゃんか!と思った。タイミング、大切。
ほら、まずこう挙げるところから細かすぎるの、気づいただろうか
あのね、あのですね、役者さんみんなうますぎるんですよ。えめさんみやのさんりこさんうちやまさん全部良い、大好き
役者さんに関して言いたいことなんて一つもありません…すごいから
舞台
舞台美術すごいんですよ。美しい。かわいい。細かい。違和感がない。大好き。
でも、場転のとき、むむ?ってなってしまいました.
場転がわかりにくいのは、舞台を作り込むときの罠になってしまうのだろうか。
客の…この主語やーめた
僕の集中はとても乱された。ここどこ?が多かった。窓とかすごい好きなんですけどね。この舞台でなきゃダメ!というシーンも勿論たくさん合ったので、なんとも。
あと掃除のシーンで中途半端に酒缶を残していたのは気になってしまった。その後も使わないならゴミ袋に入れちゃえばなんて思ってしまった
照明
大好き
すごい
かっこいい
でもストロボには目を破壊されました
痛かったです
最初に予告があった時から嫌な予感はしていたけども、暗い舞台二時間からのあれはかなり目にきました。ライミもこういうのやってた気がするけども、向こうはちょくちょく明るくなったりしてた(はず)なのとそんなに長くなかった(多分)からそこまで辛くはなかったような。
僕が強い音と光苦手なのでね、目、瞑っちゃったよね申し訳ないながらも。
でも他の照明どれも良かったなあ…
音響
好きだからこそ
僕はもうちょっと音量が欲しかった…!
夢の中の合図として音楽が鳴るのだが、あれ、もうちと大きくしてくれれば(眠気に)(無論寝てなどいないが)とても良いなあと、勿論インパクトにね。どっちさっていうと目より耳壊した方がいいかもしれない。痛みがあんまりないから。音量を大きくする演出も一部あったけど、それでももう少し大きく欲しかった
なぜなら、聞きたいから…演出の仕方が好きだから…
脚本
まず序盤の漫才やジーニーのくだりに関してだけ一つ。観客があったまってからああいうのをブレイクとして送り込むのが良いんじゃ無いかなあ、と思いました。どう捉えて良いかわかりませんでした。
失礼、本題へGO。
僕が、あの時、あの場で受け取ったものを短い言葉で要約させていただくと、散々依存して自分の存在を肯定させたがっていた私だけれども、結局私を抱くのは私なのだと気付く、というのがオチ。イマジナリー私三人(過去の友達との記憶だとかのようなもの)と抱き合ってエンド。夢と現実の境がわからなくなり(夢の中で流れていたはずの音楽が現実でかかってしまったことにより…という演出がただただ素敵)、狂ってしまった(かっこ書きしまくってごめんね)私(ナツキ)は人間関係をはちゃめちゃにしてしまうわけなのだが(またかっこ使っちゃったよ)ああ、もう、かっこ書きうるさいな禁止で( ; ; )話が逸れた。ま、主人公の結論は必ずしも現実のトラブルの解決になっていないんですよね、そこに行く決心というか、前提というものが出来上がった段階で終わってしまうので、カタルシスがどうこうというのはならないわけですが。
あくまで、‘‘誰が’’私を抱くのかさえわかればこの演劇は成立するんですよ
そのためにああぬるぬるしたものを見させる必要があるのは当然だしそれ以外無いんだろうけどでも
長い…
130分ですよ、130分
なんで長いのか、もっともらしい理由を考えてみました
①盛り上がりどころが中盤にない
②それぞれの内心がわかりにくい
③先の予測がつきにくい
①について。仕方ないっちゃ仕方ない。この脚本、ナツキさえ納得すれば全部うまく行くからね、うまく行っちゃいけないし中盤で気付いたら終盤に行く前に結論出ちゃうし…。夢の中でトラウマを克服しよう!というのは一種盛り上がりかもしれないけども、それはナツキにとってだけで、みていた側からは、この流れで本当にうまく行くのか…?大丈夫なのか…?という不安要素でしかなかった。不安の盛り上がりとしてはとても良かった。
あ、今書いていて気づいた。ないのは"盛り上がり"じゃなくて、"ポジティブな"盛り上がりでした。ずうっと不安、いっそ不安の盛り上がりがどんどん現れる、だから長く感じるというのもあるかも。
②について、僕は誰の視点に立って物語を良いものか、と悩みました。ナツキやべえ奴だしりこさんかっこいいし宮野さんかわいいし内山さん腹立つし(イラっときた、大好き)。多分一番まともそうなのが宮野さんで、ナツキを好きなのかもみたいな心の内も割と早い段階で出てきていたし…しかし、あんまり核のところに出て来ないし最後は回想によって僕の共感置いてけぼりにされたし…。ナツキの心情は理解できるけど共感がし難い、これは僕の共感能力のなさ故かしらん。しかし、少々乱暴なことを言うと、ナツキの心情が変化するまでがこの物語なら、作品の中で、間違っている考えと正しい考えというのが定められていると言っても良い、かも、しれない。
その全てに共感を求めるのは酷では…なんて言ってみたが、これはほんの戯言である。自分でも何を言いたいのかわからぬので、何か、これを見た方で異論がぼんやりでもあればぜひ共有して頂きたい。TwitterのDMとか。
③について。つい先ほど、ベタの力を見たからそう思った、という思いつきに近いものである。割と筋は通っていると思っているなんて自分で言っても仕方がないのでさっさと言います。
先日、アジアン・モンスターズのホワイト・シャウト・ヒップホップを見た。展開はベタ。どこか…というかアメリカの映画で百回見たような展開、ヒロイン、衝撃の真実、あらゆるもの。上映は二時間程。
全然飽きなかった。何故って、演劇の中に音楽やらラップやら、あと、我々観客がラップバトルの観客として半分演劇に参加してたりしたからというのも勿論あるのだが、この辺はあんまり問題じゃ無いと思っていて、この物語、さっきも言ったけどめちゃめちゃありきたりなんですよ、ベタベタのベタ、だからこそ、だからこそ今の不安の解消はきっとあるんだろうとか、この先のこういう展開早くきてくれとか、先に期待して期待して気がついたら終わっていた。最初に結論を述べないプレゼンが退屈なのと同じ原理だ。僕らいつも、面白いものを書きたくて頑張って、オリジナルのものがかけなくて、どうしても苦しんでいる。意外と、ベタの力を借りてやってみるのも良いんじゃ無いかと思ったというのをここで言うのもどうかねえと思うけどまあいっか書いちゃったし。
結論。
不安で、予測不能で、誰の気持ちも分からなくて、だから長いんですこの物語って。アジモンに、「飽きなかった」とは言ったけど、だからってだれわかに飽きたわけでは無くて、先の展開に完全に期待していなかったわけでも無くて、単に嫌な舞台だった。
言い方が悪いなあ、嫌なことをする舞台が嫌に見えていて、とっても嫌でとても良かったと言いたいんですよ僕は。そりゃ長かったし疲れたけど、後味は良かったし、悪い作品(そんなもの存在しないが)では全然なかった(まーたかっこがき使ってらこいつ)ので、結論。
長くて疲れた、でも、良いものを見た。
以上。