泣いた

12月16日今日、
大学院の合格発表だった
私に割り当てられた8桁の受験番号が
合格者のところにかかれてあって
親も一応心配していたしって、
朝に受験表の写真と発表のサイトの写真を
母に送信した

すぐにおめでとうと来て、よかったと来て、
私も、安心させられてよかった、と思った

そうしたらすぐに父親が、
家族のグループで、
送った写真2枚とおめでとう、合格!と
送信した

兄は大きな大学の院を卒業した
兄の学力は、私と比べることもできないところにいた
そんな兄の妹だ
だけど私の大学院の話がでるとき、
父はいつも、まったくそんなことは頭にないようで、
まったく関係のないように、
私の大学院進学を、兄と同じように喜び、話す。

今回もだ。
正直言って、よっぽどのことがない限り、
この受験に落ちることはない。
それは父も母もわかっているはずだ

なのにどうして、あなたたちは、
そういうふうに喜んでくれるの?と、
涙が出てきた。

まだ、本当は、
どこかで、就職ができなかった自分、
が心の中にある。

なのに、私の人生にとってとても大事な一歩が
決まったように、まるでそれを一切疑うことなく
喜んでくれている。

兄の大学院進学と私の大学院進学では
まったくちがっていて、
意味も実力もなにもかも差がありすぎる

なのに、同じように、
同じようにという言葉もあの人の中には関係のないように
おめでとうの言葉や喜びや誇りだとかの感情を
くれる

それがどれだけ救いか
それにどれだけ救われたか
嬉しくて、嬉しくて、

そうやって祝って喜んでくれるから
私の中の暗いことや愚痴口とうるさい心とか
悲しいこととか
なんかもうどうでもよくなるんだよ

「おめでとう」の言葉のうれしさは、
自分の思いもよらないときに
自分の心にとどく

そんな日だった
そんな私だった

なんてことないと思ってた大学院入試合格発表の日、
私は泣いた
この人たちに恥じることはしたくない
この人たちを裏切ることが絶対にしたくない
これからも喜んでいてほしい
私の根本の一部ってそこだよなぁと思う

2歩進んで3歩戻る日もある
だけど進んだときにみた景色はなくならないから
それでもやっぱり進んでいたい

2年。私の2年
2年と数か月
もうすでに

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