さユりさん、月と街、関わりと孤独
もうこの世にいない人に手紙を書いても届くことはないから、感謝を述べたりはしない。この文章は、自分にとってさユりさんがいかに特別な存在であったかを忘れないために、そして誰かにさユりさんという比類なき表現者がいたことを知ってもらうために書いてる。長くなるだろうけど、どれを省くこともできない。
『僕だけがいない街』の主題歌とかで名前くらいは知っていたさユりさんの楽曲を熱心に聴くようになったきっかけは正直覚えてないけれど、遅くとも2017年の6月ごろには、アルバム『ミカヅキの航海』を何度も何度も繰り返し聴いていたはずだ。当時の自分は大学4年生、つまり就活生で、面接会場に近付いたら「ケーキを焼く」を聴いてモチベーションを高めることがルーティンになっていたことをよく覚えている。「その手で作るんだよ / あなたが美味しく味わえる世界を」というリリックは、これといった将来のビジョンを持てずにいる自分を奮い立たせてくれた(今にして思えば、就活に合った曲かどうかは微妙な気もするけど)。
なぜ彼女の楽曲に夢中になったかというと、別に劇的な理由はなかったと思う。LiSAを長年追いかけてきた自分が持つアニソン〜ボカロ的キャッチーさ&ピーキーさへのフェチズム、なおかつYUIやチャットモンチーを聴いて育ってきた自分が持つシンガーソングライター的センチメンタリズムへの愛着のことを考えれば、その合流地点にいる彼女に惹かれるのはごくごく自然なことだった。だから、彼女のワンマンライブに足を運ぼうと思ったのも軽い気持ちで、そのステージに強烈に打ちのめされることになるとは予想してなかった。
2017年9月22日の東京・赤坂BLITZで、初めてさユりさんを観た。彼女のライブは、舞台と客席の間に透過スクリーンを設置し、リリックやイメージ映像などを投影しながら展開された。それ自体が革命的な技術やあっと驚くアイデアかと言われるとそんなことはないだろうが(実際、amazarashiのライブから影響を受けたもののようだし)、しかし、さユりさんの歌と言葉、それらを通して滲み出る価値観を伝えるために演奏・演出・構成といったあらゆる力が注がれる約2時間はあまりにも濃密で、率直に言うと圧倒された。こんなにもすべてに意味のある音楽ライブを、その時初めて体験したから。「フラレガイガール」での悲哀と諦めを洗い流す満天の星空、「birthday song」で私たちが押し込まれる額縁と、その崩壊に託す希望。この夜、さユりさんは自分にとって特別なシンガーになった。
さユりさんは孤独なアーティストだった。加えて、孤独は人と関われば関わるほどに、社会と交われば交わるほどに色濃くなっていくものであるという現実の残酷さにも自覚的だった。だからこそ、太陽や雲(≒他者)の存在によって満ち欠けを繰り返す「月」を、モチーフとして繰り返し用いていた。それによって、彼女のキャリアは「関わりと孤独」というテーマに貫かれていた。
『ミカヅキの航海』の収録曲は、あらゆる粒度でその矛盾に向き合う。冷房の効いた部屋からこそ色濃く感じる季節感(言うまでもなく「世界と関わるからこそ色濃く感じる孤独」と対応している)を生活に近い言葉で綴る「夏」から、反出生主義的立場にも傾きつつ「生きたい」と「死にたい」を彷徨う「birthday song」まで。その高低差に耳が痛まないのは、いずれも同じ彼女の心の奥底から生まれた言葉であることを直感させる説得力があるからだと思う。
もしも人間の抱くすべての感情に意味があるとするならば、自分から湧き出る感情と完全に同一化された表現にも、その細部にまで意味が宿るだろう。だから、嘘を吐けない表現者であるさユりさんの作品はどこまでも心を揺さぶる。その愚直さは、野田洋次郎からの提供曲「フラレガイガール」に描かれたフィクショナルな失恋にまで自作曲と同じ主題を託すことで内面化するまでに至っていた。
何かを欠きながら輝きたいともがく自身を「ミカヅキ」と表現するさユりさんへのシンパシーがさらに高まっていた2017年11月、TOKYO DOME CITY HALLで再びライブを観た。何かを欠いて生まれてきた全てのものに向けられた「十億年」を、「私なりのラブソング」と紹介して歌ったその時に、遠いバルコニー席にいる自分が、そして会場にいる誰もがさユりさんと分かり合えたような、形はなくとも確かな感覚が胸を満たす。初披露された新曲「月と花束」で欠けているものを受け入れて初めて手に入れられる強さを歌い、そうして自己を自己と認めた彼女が、アンコールで紗幕をくぐってマイクを通さない歌声を披露したのが印象的だった。
2018年の10月から11月にかけて開催されたワンマンツアー『レイメイのすヽめ』は、東京、仙台、大阪の3会場に足を運んだ。そのすべてに、新たな発見と感動があった。「生きたい/死にたい」「進みたい/手放したくない」のような相反する感情を、取捨選択することなく丸ごと肯定してみせる姿がかえってリアルで美しく、そしてそれを楽曲一つ一つではなく、作品やライブ全体で表現しようとしていることに名状しがたい凄味を感じた。「光は残酷だ」と歌った次の曲で「光になりたい」と歌ったり、「生まれたまんまの姿でいいよ」と寄り添った直後に「本当の季節や色を知って行くため舵を切」る物語を紡ぐ。そんな大いなる揺らぎを孕んだセットリストは、「居場所をずっと探している 死にたいと生きたいの間で何度も何度も迷いながら」という曲をクライマックスに選ぶ。それは、これから先も複雑に絡み合って解けない感情に蓋をせずに向き合って行くという覚悟に他ならなかった。
同年6月に大阪で観たBRADIOとのツーマンライブに続いて、このツアーの東京公演の開演を待っている間にも、会場BGMで僕が高校生の時に夢中になっていたロックバンド・BYEE the ROUNDの「最後の太陽」が流れていて驚いた。終演後、CD予約者対象の特典会に参加した際に、「BYEE the ROUND、好きなんですか?」と話したところ、さユりさんは両手の親指を立てて「気付いてくれたの君が初めてだよ」と笑う。彼女と同じDNAのようなものが自分の中にあることが、やけに嬉しかった。
2019年6月、楽曲「レイメイ」でコラボレーションしたMY FIRST STORYとのツーマンライブ。さユりさんは、まったく違う人間が集まっているライブハウスで、誰しもに関係ある歌を歌うことで、誰しもに関係していたい、という旨を語った。直後に歌われた「平行線」は、「君」と「僕」の歌ではなくて、「世界」と「さユり」の歌に姿を変える。
彼女の在り方によって楽曲に別の意味が生まれる瞬間が、その先も何度もあった。さユりさんは、言葉の種を蒔いて音の水をやり、文字通り日の目を浴びることで草木が芽吹くのを、大切に見守っているようだった。
運命を選択する強い決意を「月と花束」で語りながら、同シングルに収録の「プルースト」「日向雨」「レテ」では、別れの悲しみや忘却の恐怖、白か黒かだけではない現実の在り様をハッキリと認める。「レイメイ」で輝かしい夜明けを歌ったのに対し、カップリング「よだかの詩」では、朝が来てもいずれまた夜が来ることを示唆し、そして誰かの夜に寄り添うことを約束する。さユりさんは、自分の言葉によって生まれる矛盾や痛みを全て背負おうとしているように見えたし、自分の歌で救われない誰かの存在にも常に思いを馳せ続けていた。それは、音楽に対する極限の誠実さだと思った。
さユりさんが音楽に誠実に向き合ったように、彼女のファンもまたさユりさんに誠実に向き合っていたんだと思う。2019年11月、新宿のタワーレコードでシングル「航海の唄」のリリースイベント。弾き語りのミニライブに続いて、CDジャケットへのサイン会が行われた。その模様にはかなり面食らった。いわゆる「剥がし」のスタッフなんかがそこにはいなくて、さユりさんの前にファンが座る。二人は互いの目を見て、頷き合いながら言葉を交わして、どちらから別れを告げるでもなく離れていく。誤解を恐れずに言えば、それは敬虔な信者による告解の儀式のようでもあった。2021年8月、Zepp Divercityでのワンマンライブに入場しフロアを見渡した時、アンビエントなBGMが流れる中で客席の誰もが携帯を弄ることもなくじっと開演を待っている光景は、少し異様ですらあったけど、その静けさと神聖さは不思議と心地が良かった。
静けさと言えば、邦ロックの影響下にある彼女の楽曲のサウンドは、もちろんまったく大人しくないんだけど、その日のライブでは音が鳴り続ける間にもゾッとするほどの静けさが同居してる感覚があった。それはやはり、「関わるほどに孤独」であり続けたさユりさんがステージに立つからこそ生まれる美しい歪さなんだと思う。楽曲中にしばしば用いられるファズが深くかかったギターサウンドやトレモロフレーズも、逆説的にその肌寒さを際立たせた。
「あなたを今夜も苦しめている その刃が翼に変わるように 隣でずっと祈っていよう キレイな唄を歌っていよう」。無闇に誰かを奮い立たせる言葉でも、無条件の肯定でもない。彼女の歌の優しさとは、静かな祈りだった。
酸欠少女という名を背負った彼女が、何かを欠きながらも輝き、社会という波の中で他者という風に帆を揺らされ進む『ミカヅキの航海』。何かを失っても誰かと関わっていたいと決意した「月と花束」。そうして人と手を取り合い見える景色を、初のコラボレーション楽曲として歌った「レイメイ」。自身の環境・心境の動きとともに月のモチーフを変形させることで、表現の主題とさユりさんの活動はリンクし続けてきた。
思えば、そのような創作の在り方が、時に彼女を追い詰めたのかもしれない。もちろん裏に様々な事情はあっただろうが、所属事務所からの退所や、約1年に渡りリリースが途絶えるなど、ややスローペースでの活動が続くこともあった。
そんなさユりさんが、ある時期以降、月と並ぶ「街 / 町」という新たなモチーフを設定していることに気付いたのは、2022年1月13日、O-EASTにて開催された弾き語りライブでのことだった。絶え間ない往来の中の、名前のない光を掬い取る「葵橋」。そこにないものの残り香が、残されたものたちを包み続ける「世界の秘密」。さユりさんは、誰かと分かり合おうとするほどに孤独が膨らむ世界の中で、「それでも」を重ねながら人が生きる意味を問い続けた結果、「人は孤独なままでも人と生きていける」「時代や場所を超えて孤独同士が繋がることが出来る」という事実を、人の営みが積み重なった街 / 町に心を動かされることを通して見出したようだった。そして、さユりさんの立場においてはその場所をライブハウスに置き換えることもできる。このツアーは全国のライブハウスを回ることでその発見を説得力を持って語るための旅なんだと思った。その後リリースされた「花の塔」、そして最後に発表された新曲となった「DAWN DANCE」にも、街 / 町のモチーフは登場する。
しかし、2022年8月にリリースされ結果的に彼女の遺作となった『酸欠少女』は、あえてハッキリと言うならば一つのアルバムとして強度を伴った作品ではなかったと思う。前作以来約5年の間に発表された楽曲のコンピレーション的な色合いも強い同作には、一貫したテーマや文脈を見出すのが難しい楽曲も少なくない。サウンドプロダクションにも意図を汲み取りづらいバラツキがある。
そんな第一印象を抱いていた発売から2日後、さユりさんがInstagramに投稿したテキストが目に留まった。
「辛い時でも作った曲だけが形としてある希望だったし生きた成果だったから、ちゃんと作品として発表しなくちゃいけないと思った」
「でもその作法すら自分自身で反故にしてしまいそうになるまで潰れてしまうこともあった。作った曲すら見捨ててしまう寸前だった」
「しばらくまともに曲が書けなかったけど、やっとちゃんと次に進めそうだ」
自作を告知にするにしては、やけに複雑な心情が綴られている。具体的な説明はないものの、自らの活動や作品、楽曲への葛藤が滲んでいる。しかし、そういった楽曲自体が葛藤の記録であるとさユりさんが捉え、それによって楽曲の存在価値が生まれるのであれば、このアルバムは他でもないさユりさん自身のためにこそあるアルバムなんだろうと思った。
同作を締め括る「ねじこ」の「驚きや喪失のそのすべてを記録せよ」というフレーズは、彼女自身に向けられていた。やはりこの人は自分にも音楽にも嘘を吐けない人なんだということが生々しく実感できるアルバムだし、だからこそ『酸欠少女』という実質的なセルフタイトルが冠されている。
そして、それを聴く我々もまた、自分のためだけに音楽を受け取ればいいのだと思った。
2023年3月。渋谷WWWのフロアの最前列に立って、さユりさんが歌う姿を間近に見た。ギター一本と身一つで場を完全に掌握してみせる彼女のライブは、やっぱり凄かった。ごくごく簡単なコードで成り立つ曲がほとんどではあるが、思い切りの良いストロークによって、アコギならではのグルーヴをテクニックとは別の次元で引き出しているんだなと気付いたりもした。
学生団体が主催しているそのイベントでは、出演者によるトークコーナーも用意されていて、そこではさユりさんが麻雀の話などをしていた記憶がある。壇上で人との距離を慎重に測りながら、それでも時折漏れ出すように笑顔を見せる、いかにも人間らしい佇まいが印象的だった。
それまでのワンマンライブの規模感からして、WWWでの対バンライブにファンが詰め掛けないことに対してなんらかの悪態を吐きそうにもなったのだが、一方でこういうイベントにふらりと出られる活動スタイルになっていくのはさユりさんの創作にポジティブな影響を与えるかもな、なんてことを考えていた。この日の彼女は、それくらい伸び伸びとしていた。次に進もうとしているように見えた。それからしばらく、さユりさんの声と言葉とは遠ざかる日々が続いた。
そして唐突に、すべてが終わってしまった。告白するならば、きっと、さユりさんが孤独であり続けることを心のどこかで望んでいたのだろうと思う。残酷な願いだ。でも、死という結末を持って永遠になることは、それ以上に、あまりにも無情だろう。悲しみとも喪失とも違う、通り抜けることのできない壁が目の前に突如現れたような感覚だけが、確かな重みとともに今ここにある。
同じ孤独を分かち合える人と出会えた彼女のことを祝福したかった。これから先も、孤独が集まる場所で彼女の声を聴きたかった。その詩の意味を、自分勝手に受け取り続けたかった。
評価や位置付けを前提とせず、一人の人間が作った音楽を一人の人間として受け取る、というあまりにも特別な営みを許してくれるのは、自分にとってずっと彼女の楽曲だけだった。
毎年、乾いた風が冷たい季節になると、どうしても「プルースト」を聴きたくなる。そうやってこれからも、彼女の声と言葉が、どこまでも厄介に、あらゆる温度や感情と絡みついて、心と記憶から離れてくれずにいるといいなと思う。