見出し画像

YSM SIX TOUR FINAL(is the greatest show I've ever known)

 開演予定時刻から15分経過し、クラブチッタの会場内BGMはThe Smashing Pumpkinsの「Today」に切り替わった。煌びやかなギターフレーズからラウドでファジーなサウンドに雪崩れ込むイントロ、そして儚げな歌声が印象的なAメロに差し掛かったところで音量が上がり、場内の照明が落とされた。

 Today is the greatest
 Day I've ever known
 Can't live for tomorrow
 Tomorrow's much too long
 I'll burn my eyes out
 Before I get out

 (Smashing Pumpkins「Today」)

 「Today」で歌われる"the greatest day I've ever known"、素直に翻訳すれば"人生最高の一日"。だが、ソングライターであるビリー・コーガンはあるアイロニーをこのフレーズに孕ませている。明け透けに言うと、この"Today"とは"自死を決行する日"を意味しており、これ以上悪くなることがない日、だから人生最高の一日なんだ、というひねくれた遺書のような歌なのである。

 スマパンは以前から繰り返し聴いているバンドだったが、この時ほど強く彼らの楽曲に共感を覚えた瞬間はなかった。

 6月26日、川崎CLUB CITTA'にて開催された「YSM SIX TOUR FINAL」。同日を持ってメンバー全員の脱退が発表されている、ヤなことそっとミュート現体制ラストライブ。

 活動初期から追えていたわけではないものの、約4年間ライブに通い続け、骨身にまでヤナミューの音楽が沁みていた自分にとって、今の4人によるヤナミューの終了は、大袈裟でなく自分がいつか死ぬということと同じくらい受け入れがたい現実だった。何度も目を逸らそうとしては、例えば夜中に目を閉じながら、ふとした瞬間に実感が迫ってきて大声で叫びたくなるような恐怖だった。そして、その先に何があるのか全く想像もつかない大きな不安だった。

 4月22日に現体制終了が発表されてからの2ヶ月間は、大阪・名古屋・福島への遠征なども含め、行けるライブには全て足を運んだし、今まであまり話す機会のなかったメンバーにもなるべく感謝の気持ちを伝えられるように努めた。が、悔いがなくなるどころか、別れへの恐怖は増す一方だった。

 もういっそ、早く6月26日が終わって欲しいとすら思っていた。口では「ラストライブ楽しみにしてます!」と語りながら、惜別の念に押し潰されそうな日々から解放されたかった。この悲劇を早く乗り越えたかった。別れに心を乱されるその時が早く過ぎて欲しかった。つまり、「これ以上悪くなることがない日」を早く終えたかった。そんな最後のステージが、ようやく始まろうとしていた。


 長いSEに導かれ、バンドメンバーと、ヤナミューの4人がステージに立つ。一曲目に披露されたのは、彩華さん加入後の現体制初の、そして最後の新曲、「流星」。

 尖った 夜の標べ
 ずっと追いかけ 飛べない鳥のかけっこ
 藻搔いてるだけじゃ 何も触れないんだよ
 強く 手を伸ばそう

 繰り返す思考 振り切ったら飛び乗って
 色とりどりの希望

 (ヤなことそっとミュート「流星」)(※)

 誤解を恐れずに言えば拍子抜けしてしまうくらい、明るくて、前向きな曲だ。軽快なメロディーに乗せて、明らかに、これから先の未来を歌っている。

 尖って ビルのシルエット
 サッと飛び越え 見えないことは慣れっこ
 あの日の後悔も 今は触れないけれど
 遠く 手を伸ばそう

 繰り返す試行 気が済んだら飛び乗って
 色とりどりの希望

 (ヤなことそっとミュート「流星」)(※)

 そして、未来へ向かうために、過去に手を振る曲だ。どんなに感傷的な表現で、どれほど「やっぱり終わって欲しくない」と思わされるんだろうか、と半ば恐々と決めていた覚悟を、早くも改めることとなった。4人のヤナミューを終わらせるためのステージ。最後に彼女達は、何を伝えるのか。何がこれから先の未来に残っていくのか。その意図を、或いは意図せず滲み出る何かを、余さず見届けたい、見届けなければいけないと思った。


 以降のセットリストは、大きく3つのセクションに分けられるように思う。ヤナミューがいかにしてこの6年間を歩んだのか。その結果、ヤナミューはどのような表現を手にしたのか。そして、ヤナミューとは一体何だったのか。

 「流星」に続き披露された1stアルバム「BUBBLE」のオープニングトラック「morning」からは、時折順番が前後しつつも、概ね時系列に沿ってヤナミューの歴史をなぞるように、4thアルバム「Beyond The Blue」楽曲までを駆け抜ける。ライブ前半を占めたこの16曲は、インディーズバンドのカバー楽曲から始まったヤなことそっとミュートというアイドルグループが、いかに「らしさ」を獲得するかというドキュメントでもある。

 轟音オルタナ・グランジ・エモを少女達が歌う、というジャンルありきのコンセプトアイドル的な出発点から、そういったシーンへのリスペクトとコミットメントを保ちつつ、既存の枠組みに囚われないクリエイティブへと発展していく。(いずれも本公演では披露されていないが)「orange」や「Any」のようなポップパンクに委ねていたアイドル的愛嬌を、よりストレンジなポップさ、キャッチーさに昇華させていく。「アイドルだけど曲がカッコいい」から良い? 「90年代オルタナを可憐な女の子が歌ってる」から良い? いや、ヤナミューはヤナミューだから良いんだ、と、他でもないヤナミューの楽曲が雄弁に語る。

 「Reflection」でのライブアレンジから流れ込むイントロでの盛り上がりは本公演での大きなハイライトの一つだった。なでしこさんが煽るように叫んだ「みんなの色んな思い、全部全部私達が受け止めるから、私達の今までの思いも受け取ってくれ」という言葉は、その強い語気に反して、飾らず愛に満ちている。オルタナティブで、時にヘヴィだったり難解だったり、一見"尖った"ことをやっているように見えるヤナミューだが、身の丈に合わない背伸びや、不必要に自分を賢しく見せるような真似は決してしない。彼女達の魅力は意外性やギャップではなく、その等身大さなのだということを、改めて実感する。

 「Stain」の終盤で、間宮まにさんが声を詰まらせた時、現体制終了発表直後の4月23日のライブ「Mute Out Loud」でも同曲で涙をこぼしたまにさんの姿を思い出す。ただ、その時とは涙の種類がどこか変わっているようにも感じた。正直あの日は、リキッドルームのフロアに充満した悲壮感に当てられたように震えるまにさんを直視できなかったし、4人のパフォーマンスもそこから良くも悪くも感情に揺らがされてしまっていた。2ヶ月前は、彼女達も、フロアのオタク達も、大きな感情を受け止める用意が出来ていなかったのかもしれない。でも今日は、伝えたい思いがあり、受け取りたい思いがあった。続く「ぼくらのちいさな地図」ではすぐに立ち直り、歌唱も、見せ場であるまにさんのソロダンスからのアクロバットな振付も、完璧にこなしてみせた。とびきりエモーショナルな曲だからこそ、ちゃんとパフォーマンスしたい、という彼女達の強い心持ちもあったのかもしれない。しかし、こんな凄い曲を中盤でサラッと通過してしまうなんて、なんなんだこのグループは。

 進んでいくことも 振り返ることも
 ぼくらにはきっと淋しいことだけど
 進んでいくことが 振り返ることが
 ぼくらにはきっと必要なことなんだ

 「これからどこへいこうかな」

 (ヤなことそっとミュート「ぼくらのちいさな地図」)


 「Afterglow」からややトーンダウンし始まった「am I」から「No Known」までのシリアスなセクションでは、6年間ステージに真摯に向き合い続けたヤナミューが、どのような表現に辿り着いたかをプレゼンテーションする。寂寞、焦燥、怒り、孤独。コンテンポラリーダンスと轟音。「AWAKE」の前には、メンバー4人がそれぞれソロダンスを披露。音楽をよく知るオタクは多くとも、ダンスを語る言葉を持っているオタクはそれよりずっと少なくて、それ故にライブアイドルは音楽性ばかりを取り沙汰されがちである(僕も例外でなく、恥ずかしながら具体的にダンスを評価することができない)。が、音や言葉以外で音楽を解釈できる振付というものの面白さや、頭から爪先までに感情を宿らせることができる踊りというものの美しさを人に気付かせる力をヤナミューは持っている。それがきっとこの日、多くの人に伝わったと思う。「No Known」で、ライブはこの日何度目かの感情のピークを迎える。


 写真撮影を挟み、メンバー1人ずつの最後のMC。なでしこさんは、ヤナミューを「こんなクソ真面目なアイドルグループ他にいない」と語った。その通り、ヤナミューは「クソ真面目」だ。きっと、彼女達の活動を追いかけてきた人なら、それは言われなくてもわかっていた。真面目すぎるほどに真面目だ。愚直だ。そしてそれは時に不器用だ。だけど、だからこそ、そんな不器用な人達が真っ直ぐに音楽に向き合うことで奇跡の結晶のような素晴らしい瞬間を作り出すことができる、という事実が、多くの不器用な人達にとっての希望になった。そして、なでしこさんが、「クソ真面目」であることを誇りだと胸を張った。それが、彼女達が6年かけて手にした一つのゴールなんだと思う。

 なでしこさんは、一生歌うことを好きでいると断言した。彩華さんは、誇れることが何もなかった自分にヤナミューという誇りができたという。一花さんは、みんなにもらった言葉という宝物を胸に、これから先も生きていく。まにさんは、アイドルが天職だと思うと話した。もう、オタクがこれ以上を望む必要なんてないんじゃないかと思った。4人の言葉と、互いを包み合う空気を感じて、率直に、なんていいグループなんだ、と思った。


 ヤナミューのターニングポイントとなった「レイライン」では色とりどりのサイリウムがフロアを彩り、いよいよライブはクライマックスに差し掛かる。押しも押されぬアンセム「Done」では、フロアにカラフルなバルーンが舞う。生真面目すぎるぐらいステージングにこだわってきた今までのヤナミューからするとややシュールな演出だったけど、時折立ち位置を無視して無邪気にバルーンを蹴飛ばす彼女達は、今まさにヤなことそっとミュートというカルマから解放されていくように見えた。これまでクールに黒衣に徹してきたバンドメンバーも、一音一音を噛み締めるようにしきりに目配せする。ヤナミューは、何も彼女達4人だけのものではない。メインコンポーザーの一人であるJ. ogを始め、バンドメンバー、関係者、全員が強い想いを抱えこの日のライブに臨んでいることは、演出・演奏、その全てから感じ取ることができた(ヤナミューが、J. og・宮崎恵輔・畠山凌雅・Yohei Shibataといった素晴らしい音楽家達のアウトプットの場所としても計り知れないほどの存在価値を持っているということは、この場で言及しておきたい。本公演でのSEやライブアレンジでは、ギターロックに限らず、エレクトロニカ〜アンビエント方面への興味と資質を形にして見せ、これからの彼らの創作の可能性を強く感じた)。

 初ライブ1曲目に披露された始まりの曲「カナデルハ」、再会を願いさよならと手を振り合う「Pastureland」、身を裂くような喪失を壮絶に歌う「Nostalgia」。一つ一つピースを埋めていくように、物語は完成に向かっていく。その終着点として選ばれたのは、「遮塔の東」だった。


 刹那の光 目も眩むほどに
 時代が変わっても流されないような
 一瞬の光 それしかいらない
 燃え尽きた後も 忘れられないように

 (ヤなことそっとミュート「遮塔の東」)

 果たして、ヤナミューは「成功」しただろうか。千人以上の規模でワンマンライブを行い、メジャーデビューやテレビ出演を果たしたグループと思えば、数多あるライブアイドルグループの中では相対的に「売れた」と言い切ることはできるだろう。一方でこれほどのグループが、もっと突き抜けて広いステージに立てた未来を、誰もが夢想せずにはいられない。タイミングや環境が違えば、あの時こうなっていれば、と「もしも」を想像してしまうのは、オタクだけではなく運営やもしかするとメンバーも同様かもしれない。

 しかし、「遮塔の東」は、アイドルの成功を資本主義経済と別の場所に定義した。他との比較や競争を必要としない、それ自身で揺るがない価値や個人的な達成によって、永遠を手にすることができると証明した。それがヤナミューを正しく完成に導いたと思う。そして、それはこの先多くのアイドルやオタクを、いや全てのアーティストとファンを救い得るあまりに巨大な功績だと思う。

 ヤナミューが燃え尽きた後にも、誰かの記憶に残るヤナミューの姿が、変わらず希望であり続け、ヤナミューの音楽が誰かを救い続ける。これを成功と言わずして何と言えるだろうか。

 「遮塔の東」の演奏が終わり、彼女達は何も語らず静かにステージを後にした。ヤナミューを巡る感情の全てが、ヤナミューの音楽と言葉で過不足なく表現されていて、そこに悔いは感じなかった。全てをライブに託してきた彼女達らしい、潔い幕引きだった。

 ヤナミューを離れ、彼女達の人生は続いていく。6年間という決して短くない年月を捧げ築いた「ヤナミューらしさ」と袂を分ち、それぞれの道を進んでいく。勝手な希望ではあるが、どうか、今度はそれぞれ一人一人の「らしさ」と強く手を取り合って生きていって欲しいと願う。「ヤナミューらしさ」と向き合い続けた長い時間を終えて、改めて自分自身の感情を見つめ、望む未来像を描いてほしい。どうか焦らずに、丁寧に自分の表現したいことを見つけて欲しい。その先が例え目に触れないところであっても、その旅路の成功を祈る。

 ヤナミューは、流れる星のように、決して忘れられない輝きを放つ一瞬の光になった。それでも、なでしこさん、間宮まにさん、南一花さん、彩華さんの人生は続いていく。どうか、ヤナミューであった時間が、彼女達の行く先をずっと遠くまで照らし続けるように。そして同じく続いていく、ヤナミューを愛した人々の未来を、ヤナミューを愛したという事実が導き続けるように。

 「流星」のインスト音源をバックに流れたエンドロールは、最後に輝く海原と太陽の光、そして広い空を映した。

 さあ 流星抱きしめて
 夜を飛び越えていこう
 空高く もっと遠くへ
 いま そっとリセットしよう
 君と行くこの道は
 そう いつだって自由の船

 いつか 見たことない世界へ
 まだ 新しい星空へ
 ここから飛び立とう

 (ヤなことそっとミュート「流星」) (※)


 終演後、客電が灯り、規制退場のアナウンスとアンコールを求める手拍子が鬩ぎ合うフロアで、「ヤなことそっとミュート」のロゴが刻まれたバックドロップを眺め、涙の跡がひりつく感触と共に、しばし呆然とした。寂しさも悲しさもあった。けど、それ以上にまず、凄く良いライブだったな、と思った。

 6月26日は、「これ以上悪くなることがない日」だっただろうか。そんなことはなかった。晴々しいステージを見て、真っ直ぐな人の気持ちに触れた、最高の一日だった。ヤナミューは、2022年6月26日を、辛く悲しい一日ではなく、素晴らしい一日として記憶に刻んでくれた。それが何よりも誇らしく、そして優しく感じた。

 クラブチッタを後にして、同じくライブに来たオタクの恋人と、オタクでない友達と3人で居酒屋に行った。その友達は、「今日は、齋藤くんをそんなに夢中にさせるものが何なのかを確かめに来た」というようなことを語っていて、それが凄く嬉しかった。ヤナミューの話やそれ以外の話で酒は進み、グータッチで「また!」と別れて改めて、ああ、今日は「the greatest day I've ever known」だなあ、と思った。


※「流星」の歌詞は公式には未発表のため、配信映像から聞き取り、書き起こした。誤っている可能性もあるのでご了承ください。

いいなと思ったら応援しよう!