ゴールデンチョコレート(の粒を、こぼさず食べることができたなら)
1月某日、「ミスドスーパーラブ」の存在を偶然にTwitterで知って、これは! と体に甘い電撃が走り、そのまま即座に通販で注文してしまった。
同書は、ミスタードーナツのメニューをタイトルに冠した26の短歌、小説、童話、エッセイ、グラフィックとヴィジュアル作品から構成されるリトルプレス。異なる経歴や肩書きを持つバラエティ豊かな書き手が、それぞれ自由な切り口でミスドを語っている。
ホットコーヒーの赤いマグと3つのドーナツを運ぶトレーがポップに描かれたその表紙に、なぜそこまで強く惹きつけられたのか。郵便ポストを日に何度も覗いて本の到着を待ち侘びている時には、理由を特に気にしていなかった。
後日。綱島駅前のミスドで、おかわりしたカフェオレを啜りながらページを繰る。読み進めながら、今まで食べたドーナツや訪れた店舗の風景が、ボックス席から見る車窓の景色のように次々に頭を駆け抜ける。列車がトンネルに入ると、そこには僕の顔が映る。ふと、自分の人生がミスドと関わりの深いものであったことを思い出した。
「人は一生のうちに三度絵本に出会う」という言葉がある。子どもとして。子どもに読ませる親として、そして人生を振り返る老いたものとして。ミスドは絵本ではないし、僕は27歳なのでまだ老いてないけど、既に僕はミスドと三度出会っているような気がする。
最初の出会いは、香川県の高松に住んでいた小学校低学年まで遡る。母のママさんバレー仲間に、Tさんという、母より少し年上のある女性がいた。Tさんはオレンジがかった明るい髪色が印象的なカラッとした人で、僕と同年代の子どもが居たこともあり、母親と特に仲が良かったように思う。
そしてそのTさんの夫は、何を隠そう、なんとミスドの運営会社であるダスキンの偉い人? もしくはダスキンの関連会社の偉い人? だった。そのため、母親がTさんに会う時や、Tさんが我が家に遊びに来る時には、あの取っ手の付いた長い箱に入ったドーナツを、たびたび手土産としていただいていた(今にして思うと、ダスキンの偉い人だからといってドーナツを人に配りまくるものなのか?と思うけど)。僕にとってのミスドは、家でも学校でもないところにいる、世間一般の社会を生きる大人との繋がりの象徴だった。
箱の耳を広げて開くと現れる、気持ちが良いくらいにスッポリと収められたドーナツの行列。その中から、目を輝かせた少年時代の僕が真っ先に手に取るのは、いつもゴールデンチョコレートだった。
オーソドックスな形状のこげ茶色いドーナツに、黄色の(いや、黄金の)甘い粒が無数にまぶされた、そのビジュアルのただものではなさ。しかし、ミスタードーナツの歴史を振り返れば、彼は異端者ではない。公式サイトに掲載されている「メニューヒストリー」によると、日本1号店がオープンした1971年から存在する生え抜きの大ベテラン選手。J.Y.Park、V6の坂本くん、ロベルト・ペタジーニが同級生にあたる。
サクサク&しっとりの楽しい食感と、口から鼻を抜けつつ脳にまで広がる優しい甘さ。そんな味わいももちろんなのだが、僕がそのドーナツをいたく気に入った理由は、それだけではなかったと思う。
ゴールデンチョコレートを頬張ると、僕は必ず、その粒をこぼした。どんなに慎重に食べようとも、粒がこぼれた。僕がこぼれることはどうしたってしょうがないことなんだよ、とこちらに語りかけてくるかのように、いつも力なく粒はこぼれた。
人よりも不器用で、飲み物もご飯も机上に汚く飲み・食べ散らかしてしまいがちだった幼い僕にとって、その「しょうがなさ」は、子どもであることを許してくれる温かさだったように思う。僕は、ゴールデンチョコレートの粒を、思う存分こぼした。お行儀良く食べないと...…なんてことを一切考えずに、無心で齧り付いた。粒達が、いいよいいよ一向に構わないよ、と囁きながら落ちていった。その粒を拾い、ごめんね、と口に運んだ。
そして、多くの子ども達と同じように、大人に憧れた。互いに想い合う人と出会い、やがて結ばれる。スマートに仕事をこなし、妻と子どもの待つ家に向かう。その帰路の途中、たくさん稼いだお金を自分の好きなように使えるのだから、たくさんゴールデンチョコレートを買う。そして大人なのだから、一粒もこぼさずにそれを食べ終える。そんな、時が経てば当たり前に訪れる(と、勘違いしていた)未来の自分を夢想した。
転勤族だった僕ら家族は僕が小学校4年生の時に高松から千葉に引っ越し、Tさん一家との直接の付き合いがなくなったことで、ミスドとも疎遠になった。
二度目の出会いの頃、僕は高校生になっていた。新京成線沿いの公立高校に通っていた僕にとっての一番の遊び場は、商業施設や飲食店が多く賑やかな津田沼という街だった。
新津田沼駅から直結したミーナというショッピングモール。その1階の端で、やや寂れたモールを励ますように光を漏らすミスド。僕にとって、貰いものかもしくは母親が買ってくるものだったドーナツを、僕は自分のお小遣いで買うようになった。一度目の出会いから、10年近くの時が経っていた。
定期テスト前には、ミスドでドーナツ1つとお水という、店からするとしょっぱい(ドーナツは甘いけど)注文で長い時間居座った。当時付き合っていた女の子とも、よく待ち合わせた記憶がある。高3になってからは受験勉強をすることもあったし、予備校終わりの友達と合流して閉店まで下らない話で笑い合ったことも。
店内では、当時テーマソングだったドリカムの曲が、古い外国のヒット曲に混じって頻繁に流れていたことを今でも覚えている。洋楽、洋楽、ドリカム。洋楽、洋楽、ドリカム。ドリ楽。洋カム。
10代の僕にとって、ミスドは何かの象徴ではなくそこに在る場所であり、買って消費する物ではなくそこに流れる時間だった。そして、いつも付き添ってくれたのはやはりゴールデンチョコレートだった。
その頃の僕はいつも、おかしな「挑戦」をしていた。まだ新のゴールデンチョコレートを、慎重に慎重に口元へ運ぶ。ゆっくりと口を開け、リングに静かに歯を立てる。しかし、黄金の星くずは、無情にも皿にカランと音を立てて落ちる。
「長い人生の中で、一度ぐらいはこの粒々をこぼさずに食い切りたい」。こんなことを、当時の僕は冗談めかしてよく言っていた。まあそれは半分ただの妄言だったけど、半分は本気だったのかもしれない。粒をこぼさずに食べることがほとんど不可能であることは、心のどこかで気付いていた。それでも、ほとんど不可能であることのほとんどを、自分だけはいつか達成できるに違いないという、全く根拠のない自信が、大人でも子どもでもない曖昧な僕を支えていた。すぐそこにあるのにまだよくわからない未来を、そうやって強引に明るく照らしていた。振り返ってみるとあまりにも短い、故に眩い季節だった。学ラン姿の僕の残像が焼き付いたミスドはいつの間にか閉店して、日高屋になった。
(余談だけど、僕は日高屋も大好きだ。「日高屋スーパーラブ」が制作される際には、ぜひ寄稿したい。さらに余談だけど、長年津田沼にはなかったミスドが、昨年イオンの中に新しくオープンしたらしい。ぜひ今度足を運びたい)
さて、そして現在だ。またおよそ10年の時が経った。27歳の僕は何をしてる? 一言で答えるのは難しい。新卒で入った会社にて、全く興味を持てない仕事と一向に上がらない給与に嫌気が差し、誰にも監視されず誰にも評価されないリモートワークで自分のネジを巻くことができなくなり、先のことを考えずに退職に踏み切ったのは4ヶ月ほど前のことだ。今は、半分無職・半分フリーランス...…いや、7割無職・3割フリーランス"もどき"、みたいな、輪郭のぼやけた自分を直視できない日々を過ごしている。
10月から、自動車教習所にも通い始めた。大学生の頃は、いまに自動運転テクノロジーが進化して免許すら必要なくなるに違いない、とか考えてたけど、技術の発達というのは早すぎて混乱することと遅すぎてもどかしいことばかりで、都合の良いスピードで革新が起こることなんて残念ながら殆どない。たぶんしばらくは、車に乗るには免許が必要だ。せっかくある程度自由に時間を使える状況になったのだから、入校するなら今しかないと思った。
東横線綱島駅を降りて10分ほど歩いた河川敷沿いにある教習所へ向かう。陽光が反射する鶴見川の水面に飛び込めば、違う自分がいるもう一つの世界に行けそうな気がした。
なにも語らずとも表情からあらゆる事物への自信が漲っていることがわかる大学生達に囲まれながら、最初の教習を受けた。「いや〜みんな若いね笑」とか、普通に言いそうになった。学科教習中に居眠りをしたり、スマホをいじったりしている学生も見た。信じられない。車って、人を殺せる道具なのに。学科教習って、人を殺せる道具を握っても人を殺さないようにするための方法を知る時間なのに。それを聞かずにいられるとは! こいつらは、何も怖くないのだ。無敵だ。一方こっちは無職だ。数年前まで学生だった自分がこんなことを言うのも恥ずかしい話だが、歳を取ったな……と思った。
教習所からの帰り道、駅前の通りにミスドを見つけた。隣にはケンタッキー、向かいには日高屋。慣れないことをした後に、チェーン店の灯りの眩しさには安心させられるものだ。小腹が空いていた僕はミスドに入店した。宝石のようにショーケースに並べられたドーナツ達が僕を迎えた。乳白色のトングが掴んだのは、やはりゴールデンチョコレートだ。一緒に頼んだホットカフェオレと仲良くトレーに乗せられたそれを、僕は頬張った。祖母の家の、触るとパラパラと剥がれる和室の土壁を思い出した。
27歳の僕は知っている。人生が、想像通りに進まないことばかりであることを。不可能に思えることが、大体の場合は本当に不可能であることを。だから僕はもう、ゴールデンチョコレートの粒をこぼさずに食べようとしない。いつかこぼさずに食べてみせるとも言わない。皿の上を一切汚さない僕を、空想しない。そしてそれは、そこまで悲観するべきことでもないと思っている。
ゴールデンチョコレートの粒をひとつもこぼさずに食べられる人など、この世にただの一人もいない。ゴールデンチョコレートの前では、老若男女、誰もが平等に脆く弱い。堅苦くて口下手な僕の父親も、豪華絢爛な装いのハリウッドセレブも、嫌味な口ばかり利くクライアントも、澄んだ山の空気で肺を満たした羊飼いの少年も、こないだまで隣の席だったのに席替えで対角線まで離れてしまったあの子も、ゴールデンチョコレートを齧ると粒をこぼす。その残酷な事実は、しかし同時に、幼少の僕を包み込んだあの温かさのように、ただただ穏やかで優しい。
そして、こぼれ落ちたそれは、まだ皿やトレーの上に残っている。誰かに行儀が悪いと言われても、それを拾いたければ拾えばいい。指で摘んで口へ放ると、当たり前に甘くて美味しい。掴み損ねた甘みも、一つずつ全部味わい尽くすといい。僕達は、失敗しても粒をまた食べようとすることができる。
ゴールデンチョコレートの粒を、こぼさず食べることができたなら。きっとそれは、それ以上ない幸せだろう。しかし、完璧な絶望が存在しないように、完璧な幸福も存在しない。世界のどこにも。それが、今の僕にはちょっとした救いだったりする。
入校から3ヶ月ほど経ったが、技能教習の予約が中々取れなくて思ったより時間がかかってしまい、僕はまだ教習所に通っている。帰り道には、決まってミスドに立ち寄る。たまにスタバの気分の時もあるけど。ドーナツを食べ終えると、僕はホットカフェオレをおかわりして、iPadを開き、「3割フリーランス"もどき"」の仕事を進める。その合間に、周りに見られないように、皿の上に落ちた小さな幸福をそっと拾って食べている。