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灰かぶり

日に日に、性を持たない自分が死んでいると感じる。21歳を目前にして女の子で在りたくないと泣いた夏、耳上まで髪を切って刈り上げて、男でも女でもなく私になれた時が1番「自分らしい」人間でいることができた。小学校の低学年で「女のくせに喉仏ある」と指を刺されて笑われた時から自分は女というカテゴリには属せないと悟ってここまで生きてきた。高校まではブスな自分には人権がないと街で買い物もできなかった。お店に入れなかった。大学に入ってメイクを覚えてやっと前を見て歩けるようになったけれど、周りを見渡せばキラキラした女の子もふわふわした女の子も沢山いて、やっぱり自分は違うんだという感覚に陥った。髪を伸ばすと中高の時のことが頭によぎって嫌だった。だからこそ、ボーイッシュ女子という概念を知った時は救いだと思った。こうすれば「おんなのこ」という呪縛から開放されると思った。美容師さんに「本当にいいの?」と聞かれて躊躇いなく頷いた。あの時たしかに私は自分であれた。髪を伸ばし始めたのは元彼が黒髪ロングが好きだと知ったからだけど、別れてからも惰性で伸ばしていた。メンズカットのあの頃に戻りたいけど、まともなメイクで安定していわゆる女の子に擬態できるようになってしまったから、そのカテゴリから外れるのが怖くなった。可愛いと言ってくれる友達はいるけれど、私の中の可愛いは世の中の黒髪ロングでメイクなんか薄くても堂々と街を歩けるあの子たちであって、可愛くなれないのなら、その子たちのようになれないのなら女の子になりたくないと思った。ちょうどその頃は女という性を利用されることにも嫌悪感があったから尚更だった。結局中身でも見た目でも女の子らしさに囚われているのは自分だった。今は髪を伸ばしているけれど、これが本当に正解なのか分からなくて、性なんかなかった自分がどんどん遠ざかっている感覚だけが日に日に大きくなっている。遠ざかるほどもうあの頃には戻れないとも思う。多分これからも髪を伸ばして、切ってもボブくらいになって、女の子への擬態のまま生きていくんだろうなと感じる。髪伸ばしてても可愛いよと声出してクソブスは髪を伸ばすなという声をシャットアウトして生きていこうと思います。いつかこれでも自分であると思って生きられるようになりますように。

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