人に対してちゃんとする
人に対してちゃんとする。その「ちゃんと」の度合いは人によって違うだろうけど、あたしの「ちゃんと」の度合いは挨拶とか礼儀とか、そういうのができる、「ちゃんと」。ありがとうございます、お疲れ様でした、よろしくお願いします、……そういうのがちゃんと出来る人が、ちゃんとしてる人が、演劇人には多い気がする。
一体なぜなのか。一人くらい、礼儀とかそういうのがなってない人がいてもおかしくないだろう?だって人間なんだもの、そういう人は必ずいるはず。でも演劇をやっている人にはめっぽう見当たらない。おかしい。いや、おかしくはない。でも不思議。
自分の場合、礼儀や挨拶をちゃんとするということは高校の頃にやっていた部活で教わった。ソフトボール部で、同期は10人いる。それに比べて一つ上の先輩はたったの4人しかいなかった。でも人数は関係なかった。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れさまです」先輩を見つけたら必ず挨拶。必ず。必ず。たまに、見かけてもしなかったりするとそういうのってすぐにバレちゃうから。タイミングにもよるけど、それは、徹底されていた。それが功を奏してか、今でも根強く残っているし、挨拶はきちんとすべきだ、というのが自分の中では一般常識になっている。
もちろん、一般常識にならなくても、元来それは一般常識であろう。そりゃあ子供の頃から一応は教わるものだ。でもだからといってこの世界に生きる人類全員が「ちゃんと」する、という訳では無いだろう。
だから不思議なのだ。今まで出会ってきた演劇人を思い返してみても、どうかんがえても全員「ちゃんと」している。むしろしすぎている人もいる。こっちがありがとうございます、なのにありがとうございますって言われて、あわわ、ってなることもしばしば。
演劇人は人に感謝することを常とするからかもしれない。役者一人がいればたしかに演劇は成り立つ。『一人芝居』というものもある。しかし、それが不特定多数の人に見せる、となった場合には?見てもらった人にはそれはもちろん感謝をするだろう。見ていただいてありがとうございます、今後もよろしくお願いします、と。もし感謝をしないのであるならば、見られないようにすればいいだけのこと。
劇団になると感謝の気持ちはもっと大きくなるだろう。脚本を書いてくれてありがとう、演出を付けてくれてありがとう、うんぬんかんぬん。そういう、ことなのかもしれない。
人に対してちゃんとする。
それは、当たり前のようでいて実は難しい。でも少なからず自分が歩いてきた演劇人生の中では、皆、ちゃんとしている。この先どんな人と出会うのかは分からない。けれど、自分は「ちゃんと」していようと思う。もし変な人がいたとしても、もしかしたらそれはそれで、役者の個性、とかいうものなのかもしれない、だろう。