『ガラスの仮面』の中に見出した運命という名の絆について【はじまり編】
はじめまして。
Twitterで繋がっている方はすでにご存知でしょうが、いま一度私の人生漫画と言っても過言ではない『ガラスの仮面』について、北島マヤと姫川亜弓の関係性に壮大なシスターフッドを見出したオタクとして語りたいことを語りたいだけ綴ろうと思います。
『ガラスの仮面』について
まず、ガラスの仮面について知らない方のためにざっくりとあらすじを書きます。
あらすじ
主人公は登場時13歳の少女北島マヤ。
母親は横浜中華街の中華料理店で住み込み店員として働き、マヤも日々店の出前などを手伝うしがない中学生であった。なににおいても平凡なマヤだが、芝居のこととなると途端に夢中になってしまう。
ある日往年の大女優月影千草と出会い、その才能を見出されたマヤ。学校劇に出演し、演技の楽しさを覚えたマヤは月影千草の立ち上げた「劇団つきかげ」に入団し、演劇の世界に飛び込む。
ネタバレにならない程度に書こうとすると、こんな感じでしょうか。
もう少し詳細に話そうとすると長ったらしくなってしまうので、自分の目でガラスの仮面を楽しみたい方はここらへんで読むのをやめることをおすすめします。
その他
『ガラスの仮面』は美内すずえ先生による少女漫画で、1975年から『花とゆめ』にて連載が始まり、現在に至るまで未完であるとしても有名な大ベストセラーである。
いわゆるZ世代の私なんかは当然世代ではないのですが、母が全巻持っていたおかげで私が人生で初めて読んだ漫画は『ガラスの仮面』でした。
16巻だけカバーがなくなっていて、物心つくかつかないかの頃にそのボロボロの漫画を内容もわからず読んでいた記憶は今でも朧げに残っています。あまりにボロボロで紙の漫画は2年前くらいに捨ててしまったのですが、小学生の頃に初めてちゃんと内容を理解できた時の面白さが忘れられず、電子版で全巻一気買いしました。
大人になってから読み返してみた時、主人公の北島マヤと永遠のライバルとして君臨する姫川亜弓の関係性が途轍もないシスターフッドなのだと気づかされ、それから今に至るまであらゆる関係性にマヤと亜弓を重ねては萌えてしまっています。
そんなわけで、以下ネタバレ込みのオタク語りになります。
長いですが、お付き合いいただけましたら幸いです。
運命のはじまり
この作品では「運命」という関係性が強調されるシーンが多く、物語のはじまりとしてそれらの関係性のはじまりが描かれた1巻をまず振り返りたいと思います。
マヤは、学校の創立記念に行われる学校祭の演劇に演者として推薦され、初めて演技というものを体験します。
人生初の芝居で劇の中でも一番みっともないようないわば道化役を演じることになったマヤは、月影千草から「素顔をかくし、仮面をかぶる」という言葉をもらい、その意味を理解した時、演技という自分の運命に目覚めるのである。
主人公であるマヤにとって、彼女の「運命の相手」は速水真澄でも姫川亜弓でもなく、「演技そのもの」なのだという解釈です。
北島マヤ13歳
父親はなく 母親はしがない中華料理店のすみこみ店員
この朝…なんのとりえもない この小さな少女の胸の中に
一羽の情熱の火の鳥が目を覚ました
そしてそれは目をさましただけではなく
マヤの胸の中で大きくはばたきはじめたのである
私はこれまで読んできた小説や漫画の中でも、こんなに胸が高鳴るような、物語のはじまりとして相応しいナレーションはないと思っています。
マヤは数学の公式などはまったく覚えられないのに、演劇の台本となると一度か二度通し読みしただけで覚えられてしまう。
そんなマヤが台本を覚える時「ブツブツ」と口に出すのですが、この物語のはじまりを示すナレーションとともに我を忘れて「ブツブツ」と台本に没頭するマヤを見た時、不気味さや恐ろしさすら覚えます。
学校劇では見事な演技をしてみせたマヤですが、彼女が一番に見てほしかった母の春は結局劇が終わる最後まで学校に来ることはなく、この時点ですでにマヤと春の運命的な今後の関係性も示されているように思えます。
そうして、演劇というものの楽しさを覚えたマヤは劇団に入って芝居がしたいと劇団オンディーヌに足を運びます。
ここで出会うのが、姫川亜弓です。
ライバルのはじまり
マヤが『椿姫』を観劇した際に初めて登場し、大女優姫川歌子と有名な映画監督である姫川貢の娘である亜弓は天才子役としてすでに有名だった。
そんな亜弓が所属するのが、マヤが足を運んだ劇団オンディーヌである。
結局経済的に無理だとオンディーヌに入団することは断念したマヤだったが、建物の窓から聞こえた劇の練習をする団員たちの声に引き寄せられ、それから二時間も窓にしがみついて練習を覗き込む。
それに気づいた団員がマヤを気味悪がり、大型犬をけしかけてマヤに怪我を負わせるのだが、そこで犬を追い払うのが速水真澄と桜小路優である。
ここでも、のちにマヤの運命を揺るがせることになる二人が、背中合わせに大型犬を蹴り飛ばすというコマは印象的です。動物愛護という観点からどうなのかはさておき……。
その後、速水真澄の口利きで練習の見学をさせてもらえることになったマヤは、団員たちに「なんだか生意気ね」と妬みを買い、彼らに言われるまま「逃げた小鳥」というテーマで生まれて初めてのパントマイムをさせられる。
このパントマイムを見て、マヤの才能をいち早く見抜いたのが誰でもない姫川亜弓です。
「でくのぼうですって?
ほんとにそうだと思うの?」
逃げた小鳥を捕まえ損ね、困り果てて突っ立ってしまうマヤを見た団員たちはバカにして囃し立てるが、亜弓は笑う団員たちを見て怒りの表情を浮かべます。
きっと、ここで桜小路優がマヤをかばって演技を中断させなければ、亜弓が飛び出していたなではと思うほどの表情です。
亜弓はマヤが中断したパントマイムの続きをやらせてほしい、と名乗り出て、マヤの前でその完璧な演技力を見せつけます。
「す…ごい 本当に鳥がいるように見えた…これが演技っていうものなんだ…姫川亜弓…天才なんだわこの人 ほんとに……」
しかし、劇団員達のあざけりの言葉など今のマヤにはまるできこえなかった
ただただ亜弓の演技のすばらしさにすっかり心をうばわれていた
そして亜弓の演技する姿はマヤの胸に忘れることのできない強烈な印象をのこしたのである
マヤはこのナレーションで言われた通り、亜弓の芝居に心を奪われ、一方の亜弓もまた
「おばかさんなのはあなた達の方だわ」
「どうしてどうして度胸だけでもあなた達のかなう相手じゃないわ
あの子がこの劇団に入団しなかったことを感謝するのね
もしあの子が入団したら
あなた達はみんな脇役にまわってしまうでしょうよ」
と、こんな風にマヤの演技を評価します。
いや、初対面で素人のパントマイム見ただけでそこまでわかるものか?評価高すぎでは?
素直にそう思いました。何度読んでも亜弓の評価高すぎでは?と思います。
先ほど、マヤの運命の相手は演技そのものであると述べましたが、姫川亜弓との出会いのシーンを振り返ってもやはりこの解釈が変わることはありませんでした。
マヤは、きっと亜弓ではない別の天才の演技を見たとしても同じように心を奪われていたのだろうと思うからです。
たとえば、劇中劇『奇跡の人』のヘレン役のオーディションで競うことになる金谷英美は高校演劇実力派一番と評される才能の持ち主ですが、もしマヤが姫川亜弓ではなく金谷英美の芝居を先に見ていたとしても同じように心を奪われていたかもしれない。
一方の亜弓はというと、登場した時点ですでに同世代の中では頭ひとつ抜けた天才女優であるという設定です。彼女自身も自分には才能があるという自負があって、初めてその自信を揺らがせたのが北島マヤという存在なんでしょう。
自信があるからこそ自分が持つ演技を見極める目に狂いがないことをわかっていて、なおかつ自分の才能に驕ることなくマヤの才能を素直に認めている。
この時点で、姫川亜弓の運命の相手は北島マヤだと決まってしまっているのだと思っています。
マヤ自身はまだ自分の秘めた才能には気づいていないのに対し、亜弓は月影千草の次にマヤの才能に気づくのです。
はじまりの対比
そして、横浜に戻ったマヤは亜弓の演技に心を奪われたまま月影千草のもとを訪ねます。湧き上がってくる演技への情熱を燃やし、新しく劇団を作るという月影千草に入団させてほしいと言う。
「おばさんいれてください!あたしをこの劇団へ!
入学金や月謝はあとで働いてきっと返します!」
「あとで働いて…?
あなたは将来なにをして働くつもりなの?
演劇をやりたいというのは趣味なの?
お芝居をしていると楽しくて
だからそのためにやりたいの
遊びなの?
大人になったらどうするの⁉︎
演劇をやめて働くの‼︎」
(今思うと、紅天女候補を育てるという月影千草の野望のための誘導尋問のようにも思えますが…)
問い詰められたマヤは、ついに宣言します。
「いいえ!
いいえ、あたし
あたし女優になります!
女優になります!」
月影千草によって引き出されたマヤの「女優になる」という決意に対し、亜弓は記者会見の場で自ら「わたしは女優の仕事に一生をささげる決心です!」と堂々宣言します。
この対比を見せてくるシーン大好きなんです。きっと、亜弓はこの時点ではまだマヤの才能を認めているものの、自分を脅かすほどの女優になると本気で思っているわけではないだろう。しかしのちに永遠のライバルとなる二人の、女優として歩き始める決意表明の対比。
女と女による人生物語のはじまりとして、運命的なライバルという強い絆のはじまりとしてこれ以上ない描写だと思いませんか…!
これを少女漫画というジャンルの中で描いたということを考えると、色んな意味ですごい時代だったのだなと。
マヤと亜弓はこのあとも女優として、さまざまな対比構造で描かれていきます。その頂点とも言えるのが「ふたりの王女編」でしょう。
ここで1巻が終わるわけではないのですが、個人的なクライマックスを迎えたのでひとまず【はじまり編】で振り返るのはここまでにしておきます。
次回(書けるかな…)本格的にマヤと亜弓の対決についてちゃんとじっくり掘り下げたいと思います。
ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。