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金星と木星、あるいは金木犀について
米津玄師 2022 TOUR / 変身 に参加してきた。
それはそれは、素晴らしい夜だった。
前回参加したのは2019年のツアー、「脊椎がオパールになる頃」。
あの頃から世界は大きく変わり、
僕という人間もまた、別の人間へと成ってしまったのだろう。
遠く離れたものは美しくみえてしまうから
思い出になってしまう前に 全て伝えたい
3年半という時間を経て再び辿り着いたあのライブが、
変わらずどれだけ美しい夜であったか。
1週間が経っても未だ興奮冷めやらぬ今のうちに記録しておこうと思う。
ーー
老若男女。
米津のファン層を表すのにこれ程うってつけの言葉はない。
少しませたような物言いで米津の良さを語る男子小学生から、
おそらくLemonで米津を知ったであろうマダムまで、
普段は交わることのない人々が、同じイベントの参加者として
一堂に会しているのである。
さらに言えば、若者の中にも様々なカラーが見て取れる。
大学生活を謳歌していそうなギャル達が
タオルと共に写真を撮っているかと思えば、
米津玄師/ハチというアーティストが彗星のごとく現れた
ニコニコ動画最盛期を知る猛者たちが
物販で自主的に列整備をしていたりする。
開場前には、そんな彼らが待機場所のBGMに揃って耳を傾け、
流れてきた曲への思いを披露しあうのだ。
この時の一体感は、ファンとして筆舌に尽くしがたいものがある。
いよいよ開演し、1曲目は「POP SONG」。
友人とは「M八七」を予想していたが、
3年前のセトリが「Flamingo」から始まっていたことを考えると
曲調から予想可能な範疇であったと反省した。
素晴らしいほど馬鹿馬鹿しい
これぞ求めていた人生
君は誰だ 教えてくれよ
どうせ何もないだろう?
ライブ前半のパフォーマンスで強烈に印象に残っているのは、
「迷える羊」だ。
これまで望遠鏡でしか見たことがなかった金星や木星が
いきなり眼前に現れたかのように、
米津玄師の歌という存在がどれだけのスケールであるかを、
ありありと見せつけられたような気がした。
「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」
MCでは、観客の声出しが制限されるなど、やはり以前と同様には
ライブが敢行できなくなった現状について触れ、
それでも彼が誠心誠意唄う歌を皆で聴くこの営みには
変わらぬ価値があることを確かめた。
また、時に人生はクソであるけれど、
この瞬間がそうでなければいい、とも。
最高だぜ米津。
そういえば、前回参加した「脊オパ」のMCでは
「変わっていくことは美しいことで、
時にそれは誰かに受け入れられないこともあるけれど、
離れてしまった人々ともまたどこかで交われたら嬉しい。」
という内容が印象的だった。
変わっていくものと変わらないもの。
我々が時には不本意な形で向き合わなければならないテーマへの賛美が、
米津の楽曲や発言、ひょっとすると本ツアーの「変身」というタイトルにも
込められている。
さて、ライブはクライマックスを迎え、
「ひまわり」「アンビリーバーズ」「ゴーゴー幽霊船」
と、ROCKが続く。
「アンビリーバーズ」は僕が米津を知ることになった楽曲で、
情景と感情を鮮やかに描き出した歌詞が気に入っている。
ヘッドライトに押し出されて 僕らは歩いたハイウェイの上を
この道の先を祈っていた シャングリラを夢見ていた
そんなこんなで、例の新曲披露やアンコール恒例の中ちゃんMCもあり、
ライブは幕を閉じた。
あ、トリの楽曲は「M八七」だった。
1曲目と予想していたが、締めに聴く「М八七」は格別だった。
個人的にはエンドロールのBGM「ETA」まで含め
最高のセットリストであったと思う。
何もかもが変わってしまっても、
必ずまたここに来たいと思えた夜だった。
ーー
あの日からの1週間、
帰りのハンバーグ屋で即刻作ったセトリのプレイリストを
聴きまくっていると、
記憶の中のライブの音声が段々と音源のそれに
すり変わっていく気がする。
ステージに立つ米津の姿は鮮明に覚えていても、
思い出す歌声には既にエフェクトが掛かっている。
それは、秋になれば必ず鮮烈な香りを纏って現れるのに、
他の季節になってしまうとイマイチその香りが思い出せない、
金木犀に似ている。