時刻表に乗る~信越本線の今をゆく~vol.4
4.戦国の香りを追って
列車は、日本一の千曲川に沿ってのんびりと走る。夏の日差しを浴びて川面がきらきらと輝いている。
千曲川はいくつもの支流を受け止めながら徐々にその流れを太くしていく。支流のひとつ、神川を渡り、信濃国分寺を過ぎると上田である。
長野県、古くは信濃国は、山がちな地形で、小規模な盆地が点在しており、戦国時代には小豪族が乱立し、統一勢力は信濃の中からは現れず、外部からの大きな侵略者に従うことが多かった。
上田を拠点としていた、真田一族もそのひとつで、真田幸隆の代には甲斐の武田信玄に従い、信濃先方衆として大いに活躍した。
真田幸隆の三男である昌幸は、謀略に長け、豊臣秀吉をして「表裏比興のもの」と言わしめた。
真田家が戦国の時代に華々しい活躍を見せるのは、上田城における2回にわたる徳川勢との攻防戦であろう。
第一次上田合戦は天正13年(1985年)、徳川家康の命に従わない真田昌幸に対し、家康は家臣の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約7000人の兵を真田の本拠・上田城に派遣する。これに対する真田勢は約1200人程度であったという。
戦いは真田の地の利を活かした戦いにより、徳川勢は多くの犠牲を出し撤退を余儀なくされた。
真田昌幸のような人物が生まれた背景には、この信濃の地理的な条件も大いに影響していると私は思う。当然、昌幸の素養もあるが、自分が熟知している狭いエリアに敵を引き込んで殲滅する、こういった作戦を立てることができるのは、小規模な盆地の点在する信濃ならではなのではないか。逆に言えば、信濃の国から信濃国全体を統一する人物・一族が出てこなかったのもこのような地理的要因があるような気がしてならない。
上田を発車すると、上田盆地が山によって狭まり、平地が少なくなる。戸倉のスキー場のリフトも夏は閉店だ。
松本方面からのJR篠ノ井線が合流して、篠ノ井に到着する。ここまでがしなの鉄道で、ここから長野までは再び信越本線となる。
松本から篠ノ井のルートも景色がよく魅力的なルートだ。機会があれば乗ってみたいと思う。
篠ノ井を過ぎると、千曲川と犀川の中州地点である、川中島に到着する。
川中島は、言わずと知れた、越後の龍上杉謙信と甲斐の虎武田信玄の因縁の戦いの舞台となった地である。延べ5回にわたって対峙したと言われるが、激戦となったのは1回、第四次川中島合戦である。
戦国時代というと、ゲームや世間に流布されているイメージのおかげで、合戦と言えば、相手が倒れるまで、切りあいをし、血なまぐさいイメージがつきまとうが、上杉軍1万8千、武田軍2万という大規模な軍勢同士が直接ぶつかりあうことは実際には少なかったという。現に、川中島合戦も上杉方と武田方のにらみ合いで終わることが多く、永禄4年(1561年)の第四次合戦が珍しい激戦となった。
第四次合戦が激戦になってしまったのは、諸説あるが、霧による影響が大きかったのではないかと言われている。お互いの手の内が見えない中で、陣の移動をしているうちに、出合頭に両軍の本隊同士が八幡原で激突し、武田方は、軍師山本勘助や弟武田信繁を失うほどの被害を被ったが、最後は上杉方を押し返したという。
接続よく、10時49分発しなの鉄道北しなの線の列車があるが、そのあとの接続が悪いので、次の列車まで待つことにする。
その間に、少し早いが昼食を摂ってしまうこととしよう。
食事ではないが、長野のおやきはおやつに最適である。甘いあんこのものもあるし、特産の野沢菜が入ったものもあったりする。
長野といえばやはりそばかなあなどと考えながら、長野駅周辺を少しブラブラしてみることとする。
次回へつづく
〔表記の仕方について〕
※時刻表や地図帳に基づく事実については、グレーの引用四角で囲って表記した。
※それ以外の内容については、原則的にフィクションであるが、街の紹介や、参考文献に基づく歴史の紹介は事実に基づくものである。
〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・ビジュアルワイド図解 日本の城・城合戦 小和田泰径著 西東社
【今回のマップ】