日本昔ばなしのおじいさん、おばあさん。

さっき起きて、おしっこして、顔を洗って、お湯をやかんで沸かして珈琲豆を挽いているとき、唐突に

日本昔ばなしに出てくる、お山の上のポツンと一軒家で暮らしているおじいさんとおばあさん。ずっと二人きり、というのは昔では相当珍しかったのかもしれん

と思った。
忘れないうちに書き残しておきたくてとこうして書き始めたけど、なんの前触れもなく思ったことが驚きの中核で、内容はあんま大したことでもなさそうに思えてきた。
とここで、昨晩、立派な古民家のことを思いながら、周りの友達がみんな古民家を手に入れ、リフォームでなく自分の手で中を新しくしたり修繕したり大工しているのが羨ましいから時々そのことを思う、現代に広い古民家を直したり新しくしてはそこで暮らすことって、結構お金も人力も必要だけど、お金が今ほどなかっただろう昔はどうしてそれが維持できたんだろう、とふと思ったことが響いて日本昔ばなしが出てきたのかもしれない。

おじいさんとおばあさんが暮らしていたあの茅葺の、土間に六畳ほどの広間に、ちょっと広い家屋なら障子を挟んでその奥にもう一間の寝室、くらいの家は現代にはもう残ってないだろう。今残っている古民家の多くは、お金や作物が多くあった庄屋とか豪農、まではいかなくてもいわゆる庶民、よりも裕福だった家庭の名残なのかもしれないな、と考えている。
先週、知り合いのお父さんの告別式に着るものを選んでいたとき、僕は喪服を持っていなくて結婚式も葬式も同じスーツで行く、はじめは優子さんが作ってくれたノーカラーの黒の綿のプルオーバーシャツに、黒い綿麻のパンツで行こうとしてたら、「スーツあるじゃん」と言われそうだったとスーツを着ていった。もう15年くらい前に買ったんじゃないかな。道中で服装の話になり、「わたし、藍染の喪服を作りたい。普段にも使えて、そのまま葬式にも行けるような」そんなようなことを聞いて、また昔のことを思った。昔の、平屋の土間と床座の家の庶民は、もしかしたら普段着のまま葬式に向かっていたかもしれないな。

空想でしかないけれど、今「当たり前」になっている暮らしは、一昔前の裕福な生活への憧れ、それはまたさらにふた昔、そのまた昔の、上流階級の暮らしぶりへの憧れに積み重なってできているもので、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、三種の神器と言われた生活用品がもはや憧れから「あって当たり前」になって、一家に一台自動車、テレビ、パソコン、エアコンが一人一台になり、部屋も家族それぞれにあるのが当たり前。
それが悪い、というよりも、過去にそういった一握りの家柄が享受していた暮らし、家屋や品々から直接現れはしない、それらを支えてきた者たちの暮らし、は今はどこにあるのだろう、と思う。

絵を描くのが好きだ。文章を書くのも好きだ。
世にでる絵や小説、それらの多くは「洗練」されている。洗練させていくこと、が気になる。洗練そのものより、その方向性が気になる。表現し、創造する喜びも含んだ、今の「わたし」をそのまま表せる素直さではなく、時間をかけて継承されてきた技術をより高度に、取捨選択し、素人にはできない業でもって成立するモノ。
それらに対する憧れ、とともにその奥に潜む疑いの気持ちを見てしまう。できない自分の言い訳かもしれない、という目線も、あるけれど。
かといって子供が無邪気に描いて出来上がった絵が、無条件にどれもいいとも思わなかったりして、描いているその姿勢はみんな誰にも「いいなぁ!」と憧れる。

でもこれは僕自身の資質、というか傾向が大きく関係しているだろう。
大いなる怠け者。そんな者への憧れがあるんだと思う。

「ただ在る、それだけで祝福なのだ」

ということと、長い歴史をかけて醸成、熟成、洗練されてきた文化といわれる業や暮らし。その間で、僕は揺れ動いている。というか、
ここで快適に暮らすために培われてきたものが文化なのなら、それが「当たり前」となっているからこそ重荷になっているとき、どっちを取るか。文化が重荷なのか、自分がだらだらしているから背負えるだけの体力を失っているのか。

大いなる怠け者には、三年寝太郎が動き出せば俄然動けるように体力を養う大事さがあるに違いない!
朝から晩まで身体を使う昔の暮らしで、子供が一人もおらずずっと二人きりの、おじいさんとおばあさん。昔は人手が必要だからこそ子沢山だった、というのが真実だったのかはわからないけど、納得できてしまうくらいに昔の暮らしは今よりずっと大変だったと容易に想像できる、そんな時代におじいさんとおばあさんが二人っきりでも、暮らしていける。そのために望まれて、育まれてきた便利さの末に、今の現代社会があるとしたら、それってやっぱり、どこかで道を外れてしまったんじゃないだろうか、と思ってしまう。
僕が快適に暮らせるサイズの家は、いったい、どんな形なんだろう。


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