3/12 今朝の夢

広い草原をぐるぐると皆で回っていた、天井がなくて代わりに幌のついた電車に乗って、宮澤賢治の童話の世界のように、人間だけでなくナメクジや狸、狐もいたような気がする。潮の香りはしていないのに、僕は夢の中で匂いを嗅いだことがないのではないか、草原の先に砂浜が見えた。海を左手に見ながらぐるぐると皆で回っていた。口に手を当てて、おおい、と優子さんに何か叫ぶほどではないが大きな声で喋った。
僕が生まれ育ち、今も住んでいる飯田は南アルプスと中央アルプスがぶつかるところで、つまり深い谷のどん詰まりの地方都市で、海はもの珍しいもので夢に出てくることはほとんどない。伊那谷が完全に水に沈んでいる夢は何度か見たことがあるけれど、海そのものが夢に出てくることはまずないので、起きてすぐ、福島県冨岡町の海であったこと、あの草原が元々街だったところが一面の草原になったあの冨岡町であったことがわかった。
起きてしばらくしてから昨日が3・11だったことを思い出したから、因果関係としては逆転しているが、だからこそ今朝の夢のあの海岸の草っ原があそこであることは、僕にとっては疑いようのないことだ。

しかし、この2年ほどで、僕の中で福島の震災の存在が少し変化しているのを感じる。忘れ始めている、そんな感じ。身体を観る稽古をするようになったことが関連しているのかどうか分からないけれど、なんらかの作用が起こっているとは思う。そして、僕自身があの時からようやく一歩、進み始めることができたということなのかもしれない。

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