M君との対話 No.1 ー 僕の住んでたとこ ①
神藤啓介さん(1980年生まれ)
2023年10月9日、飯田・アートハウス
そうなんです、中学校はここをまっすぐ歩いて、この先はもう車は行けなくて、人が歩ける道だけがあって、僕はこの道の方が近かったんで、本当の通学路はこっちなんですけど、さっきのあの裏道を通って、それでここがもう上郷小学校でしょ、僕はここに通ってたんですよ、だから位置的には小学校のすぐ裏に中学校もある感じで、それで僕のうちがですね、なんとですね、もうそろそろで、そう、ここが僕の実家なんですよ、ここが僕が生まれたところで、しかもね、すぐそこの道を渡ると飯田高校で、だから僕、通学とかした記憶がないんですよ、通学途中に寄り道したりとかもまずなくて、高校は試験受けてから合格発表があるじゃないですか、だけど見に行く前に結果わかっちゃうんです、ここを通った同級生が知らせてくれたから、行く必要もなくわかっちゃって、高校の時に女の子に神藤くん一緒に帰らないって言われて、ああいいですよって校門出たら僕んちすぐそこじゃないですか、だから僕ここ家なんで、じゃあってすぐに別れて、今考えればね、ちょっと駅くらいまで一緒に歩いてやれよって感じですけど、そんなふうで憧れはあったんですよね、みんなが友達と一緒に通学して遊びながら帰るとか、そうゆうことに、僕はそれがほとんどなかったんで、だから小学生の頃はこの道を、ここは人ひとりしか通れない道なんですけど、水路に沿って、こことか、この暗渠の下に潜って向こうの川に出たりとか、真っ暗でした、あとこうゆう石でできた橋を渡ったり、あ、なんかめっちゃ懐かしい、今考えるとこの生垣も誰が手入れしてるのかとかもわからなかったし、それで通学路もさっきのあそこしかないんで、わざわざこの道を回ったりとかして、ちょっと通学路をかせいだりして、それでこの道の先がすぐ図書館でしょ、毎日のように通ってたりとか、だからもう小学校高学年くらいから図書館通いで、中学生の時なんかは学校で登山に行った帰りにそのまま図書館に行って、親がぜんぜん帰って来ないって心配して、なんか捜索されてた、僕はただ図書館にいただけなんだけどね、だから僕が高校を卒業するまでの生活圏はめちゃめちゃ小さかったんですよ、もう半径100メーター、200メーターで完結してて、セブンイレブンもそこにあるし、スーパーもそこにふたつあるし、図書館も学校も全部あって、ほとんどこっから出ることがなかったんじゃないかってくらいで、
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その頃はなにを見ていたのかなぁ、わかんないなぁ、でも今唐突に思い出したのが、子どもって狭い範囲の中でけっこうクリエイティブに想像したり空想して生きてたんだなぁって、それこそね、この道をランドセルしょって歩いて、この川を下ってみたり、ここをよく歩いてたんですよ、小学校一年の時に、それでよく貝が落ちてて、僕は恐竜好きだったから図書館に行ってよく恐竜図鑑を見ていて、昔は日本も海に沈んでたって書いてあって、ここに貝殻が落ちてるじゃないですか、ほら、だから僕は、あっ、ここはほんとに海底だったんだって、ここにも恐竜がいたんだって思って、空間が狭い分そこに奥行きを自分の中で作って、でもある日ここの家の人が食べ終わった貝殻を窓から捨ててて、今見ればこの貝殻も化石じゃなくてただの食べた終えた貝ってわかるじゃないですか、だけど僕はそれを見て、事実を知って愕然とする日が来るんですよ、それに気がついたのは小学校3年とか4年とかで、そりゃそうだよなって思って、けどなぜか山の方とかはほとんど見てた記憶はないから、やっぱりこうゆう川が流れていて、用水路があって、それがまた道路の下を暗渠になって流れていて、僕はそこを押入れの冒険みたいに、空想で世界をどんどん広げていくみたいにしていて、その癖は中学校、高校に行ってもなかなか抜けてなかったかもしれないです、だから僕にはそうゆう思考の癖みたいのがけっこうあったんじゃないかな、それでここが僕の実家で、小学校6年くらいの時に建て直したんじゃないかな、昔はここの正面が玄関になっていて、今は少し奥で、道路から横に向くようになっているけど、昔は道路からすぐにがらがらがらがらって開ける感じになっていて、ここには高校を卒業するくらいまでいて、それから一度アメリカに留学して、それで22歳の終わりくらいに飯田に戻ってきた時にまたここに住んで、その時はおばあちゃんと僕くらいしかいなくて、それで後になってから僕のお兄ちゃんの家族が4人で越してきて今もここに住んでて、僕はそれとほぼ同時に家を出るみたいな、だから23歳くらいまでこの家にいて、家を出てからも飯田市内で、だからなんでずっと飯田にいるのって感じですよね、って言うか僕は好きなんですよね、飯田が、好きと言っても町とかではなくて風土が、土地が好きっていう感覚なんですけどね、