嫌われるも好かれるも辛いという話
私が落ち込んでいるときも考えすぎてしまう時も否定しないでくださる方がいました。
考えすぎてしまう私と、楽観的な(本人曰く、何も考えていない)彼。
私はいつも彼の言葉に支えられてきたし、彼も私の思慮深いところを尊敬していると言ってくださいました。
三度の四季を経ても尚、変わることなく愛を注いでくれた、本当に素敵な方だと心から思います。
どうして素直に喜べなかったんでしょうか。
喜ばなくちゃいけない、喜ぶべきことだ、こんなにも愛されていると実感すればするほど心が抉られるほどに痛くなった。
私はそんなに愛されるに値する人間ではないです、あなたの思うほど高尚な人間ではないんです。ほら、こんなに面倒くさい、可愛げのない性格をしているのに。どうして気づいてくれないんですか?
愛されることが怖い。いっそもう嫌いになって欲しい、彼にとって私は必要な存在であるはずがない。こんな思考も、ひとえに自己評価の低さゆえであることは重々承知しております。
でも、考え方を変えることは、思っていた以上に難しかった。わたしには、難しかった。
考え方を変えることは、今まで生きてきた人生の積み重ねを切り崩していく行為に思えて仕方がないからです。今までの自分の考え方を、生き様を、他でもない自分自身が否定することになってしまうように思えて仕方がないからです。そんなことをしたら、頑張って生きてきてくれた過去の自分にもう胸を張れないとわかってしまっているから。
自分を大切にしてくださる誰かのために自分の人生を否定する勇気は、私にはなかった。それだけの話。
「自分を愛せないものは他人も愛せない」。言い得て妙であると思います。けど、私にとってはこちらの方が腑に落ちる。
「自分を愛することを受け入れられない人は、他人から愛されることも受け入れられない。」
身をもって学んだ、私なりの恋愛観の断片です。
下書きに入っていた、私の想いでした。
誰かに届け、誰にも届くな。そんな独り言です。