暮葉と夕景

夕暮れの空が好きだ。
少し曇りがかった日、陽が落ちて数十分、海岸は西向きで茜色の水平線。
都会の夕景もいい。日暮れどきの街の光はいちいち明るく見える。
県境の川を響く列車の室内灯、丘の上は滲む信号機。

道端の枯葉が嫌いだ。
コートを出す、虫も亡く街は静か、授業をさぼりたくなるのは銀杏並木の匂い。
秋だけではない。季節変わりの街には相当な数の枯葉が散っている。
夏が来る気がする、夏が、暮る気もする。

普遍的に、ものの終わりを思う。夕暮れと枯葉は似ている。
茜雲は生の残り火のようだと思う。死んでなお生き続けるものがあるとすれば、それはこんな風に色づいているのだろう。
枯葉は死の残骸のようだと思う。のよう、でもなく残骸そのものである。横たわっているのはただ死んだという事実だけで、それもじきに風に吹かれていく。

死にたくないんだな、と思う。死ぬのが怖いんだな、と思う。
時間軸のある地点にひとりだけ取り残されるのが怖いんだな、と思う。
時間軸のあらゆる地点に思い出を取り残しているくせに、過去の自分との連続性があるかないか分からない連続性のなかで、過去を思い出にして消し続けているくせに、自分がそっち側になるのは怖いんだな、と思う。
結局は思うことだけを思っている。

西に背を向けると紺色に目が慣れない。
もうすぐこの街にも夜が来て、そんな月ばかりを待っている。

mtrika

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