~イクニ「春琴の佐助」白藤を配信で観た感想~
別の用事が立て込んでしまいリアルタイムで観ることは叶わなかったのだが、FFの方々の感想と助言を見て、ペットボトル1本とお布団を用意しつつ、真っ暗な部屋に大画面と、自分を安心させたいんだかいじめたいんだかよく分からない状況で覚悟を決めて夜公演の再生ボタンを押した。
怖い、痛い、苦しい。
初見の時の感想があまり上手く思い出せない。
それほどこの朗読劇にのまれた。
観る前に春琴抄のあらすじだけ読んで「痛みが想像出来てしまうグロは苦手だからそこが懸念点かな〜」とか思っていたが、そういうのじゃない。いや、痛みは確かに感じたのだが、それよりも多種多様な密度の高い苦しみと得体の知れない怖さが一気に襲いかかって来る感じ…結果、ずっと息苦しくて時に過呼吸気味になり、体に震えやら痺れやらが生じ、用意していたペットボトルは1本丸ごと無くなった。
生で観てたら周りの方にご迷惑をかけかねないので今回は配信で良かったかも、朗読劇でこうなったのは初めてだった。
ここ最近、「好意」や「愛」の種類についてぼんやりと考えていたのだが、その極地を見せつけられて衝撃を受けた。初見の夜公演と2回目に観た昼公演で「春琴と佐助の愛」についての捉え方が個人的に少し変わっていたのも面白かった。
以下、昼と夜の違いを比べたりしながら、印象に残った場面とかお芝居とかについて
・「手を引いているのは僕なのに、あなたに導かれているような気がする」
これは好きなセリフの1つ。二人の間にある関係値が序盤で示されている気がする。探している「何か」に導いてくれるような存在は強烈で眩しくて、この関係値があるから、「沈む」春琴に導かれて佐助は「溺れる」んだな…。
・「春琴が厠で柄杓を乱暴にはらう」が堀江さんの紙の投げ捨て方で表現されてるの、この劇ならではで良い
・春琴のことを知りたいから暗闇で三味線を弾く佐助、純粋に、焦がれるように春琴を求めてるのが「あなたの事を、もっと…!」の「もっと……!」から滲み出ていたため、練習がバレてしまって許しを乞うシーンで胸が締め付けられる。悪事を働いて怒られている子供が、許されなくてもそれを続けたいと訴えるような声色を感じた。
・さらにその後辱めとして演奏するシーンがあり、ここでいつも息苦しくなってしまう。声優って声で演じる方々だけど、呼吸音とか息だけでも観ている側に苦しさを感じさせられるようなお芝居ができるんだな…と改めて思った。
・この後稽古のシーン来るのあまりにも辛くて、息苦しさが過呼吸になってくる。地獄が畳み掛けてきてないか?
春琴のヒステリックで通る怒声と、佐助の震えてハッキリ出せない声の対比がすごい。
「出来ないのか?」という問いに、苦しさから「できる」とも答えられないし、恐怖から「出来ない」とも答えられないから、「ぁ…」って息を漏らすしかないあの感じ、本当に苦しい。
しまいに「叩いている私の手だって痛いのに」。この言葉、佐助に聞こえてるかどうかは分からないけれど、聞こえていたら佐助の中に罪悪感を生ませる言葉だなって…。あのヒステリックからこの言葉に繋がる流れ、人にトラウマを植え付ける流れができていて震えた。
・堀江さんの女性役の演技がフォアレ出雲の時から大好きなのですが、「春琴、ほんとに似合ってるな…男性に隙を見せないような気高さがある凛とした絶世の美人が本当に似合う…」と思っていたところに、春琴の弱さを表すシーンが差し込まれて良かった。強いだけじゃない、この美人。物憂げさも表現出来てしまうんだ、堀江さん。独立した後の春琴の声色からこの穏やかさが感じられた。
このシーンのおかげで春琴の思考回路は少し理解出来るようになった。対して佐助の内面は「春琴への思い」以外あまり表現されてないんだなぁ…
・春琴が佐助に物だと言い聞かせるシーン、過呼吸気味ポイント 2。このシーンの前のBGMが不安定で、心を不安にさせた後に、突然2人の掛け合いが平坦なのに激しいものになったので息が詰まった。佐助の「はい」が3回目位から完全に平坦になっているのが怖かった。外野の私たちから見ると佐助がどんどん異常になっているのに、2人にとっては佐助がただ春琴の物に戻っているだけなのだから怖い。この掛け合いを平坦なのにここまで怖いものにできるお2人、すごい。
・2人の邪魔をする若旦那。この人に対して2回目の観劇になった昼公演で、初見の時には恐怖で感じられなかった「2人の邪魔をするな」という感情が自分の中に芽生えていたのが面白かった。若旦那の視点の方が一般的な感覚に近いのに、春琴と佐助の間にある歪な愛に美しさを感じ始めていた。2人の愛は、若旦那の言うようにまともではないし、常人には決して理解しきれないだろうけど、理解できない物にある独特の美しさがあった。きっとあのまま穏やかに過ごしていても、2人にとっての究極の幸せがそこにあったんじゃないかなぁ。
・私は朗読劇で伊東さんの表情を見るのが好きなのですが、今回の劇は春琴を他人に語る時の恍惚とした表情とか稽古での泣きそうな表情とか、大きく表情が変わる所が少ないなぁと思っていた。その中で、春琴がお湯をかけられたあとに春琴の顔を見てしまった時の表情・助けを求める表情が、それまでの表情から大きく変化していて、最も辛そうで、酷く焼き付いている。このシーンの佐助、呼吸も言葉を紡ぐのもどちらも必死にしていて、演技というか実際にその場で起きたことのように感じて強烈だった。
・佐助が目に針を刺すシーン。地の文とセリフが交互に来るのがずるい。地の文とセリフは読み方の違いで普通に読んでも温度感に違いが出る、その温度感の差がこの場面だとより怖い。恐怖と覚悟が滲んでいる状況から覚悟のみに変わっていって観客を一気に引き込むような「刺す」というセリフから「ずぶっ」という音と地の文が始まるの、集中して読んでいた漫画のページをめくって現れた新たなページが一面真っ黒で「ずぶっ」という効果音だけが突然大きく書かれたような怖さがある。そこから「痛い」でまた激しく引き込まれるのだからすごい。「痛い」と泣き叫びながら、笑い声が聞こえるほど笑ったり、「春琴様」と呼ぶ声に「悦」や「喜」が感じ取れたりしたことから、佐助の気味の悪さの根底にある春琴への歪な愛が伝わってきた。本当に、こういう「痛い」という表立った感情とは別に滲み出るものが伝わる伊東さんの演技が好きだ。あと、伊東さんが演じる、常人に見えて内面にとんでもないものを抱えている役がやはり好きだ…。
・目を潰してからの「そうか…これがあなたの世界!」というセリフ、気持ち悪いくらいに嬉しさが滲んでいて怖い。三味線を練習し始めたあの日と同じで、佐助はずっと、ただただ、春琴と同じ世界を生きたかったんだなぁ。
・「春琴様」「佐助」と暗闇の中で呼び合うシーン。この朗読劇は演出も大好きなのだが、ここの演出が1番好きだ。「声」だけを頼りに相手を見つける、観客から分かるのも演者の「声」だけ、相手の「声」に応じて演じ方が変わる…朗読劇の真骨頂みたいだなぁと感じた。
・最後の掛け合い。このお二人の平坦になっていく掛け合い、どんどん壊れていくようで…。前にあった掛け合いとは違って佐助の機械的な「はい」だけが残るの、もう佐助は「春琴の物」になったんだなと感じた。でもこれが、2人にとっては幸せだったのかな。
脚本やお二人のお芝居はもちろん、一つ一つの演出が、この朗読劇の気味の悪さを引き立てていて最高だった。ここまで言いようのない恐怖の感情に支配される朗読劇もそうそうないと思う。
生で……観たかったな……!!!という気持ちと、配信だからこそ落ち着いて見れたのでは?という気持ちが戦っている。でもやっぱり、生で観ないと分からない良さもあるので……!特にこの朗読劇、生で観ると没入感がすごくて帰って来れなくなりそう。
佐助と春琴、二人の歪だけど綺麗な愛の形と多種多様な地獄を観ました。観て良かった!!ありがとうございました。
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