海外大学院での専攻は何を基準に決めるのか?
今回は、僕がなぜ「不動産開発学」を大学院での専攻に選んだのか、そのことについて記事を書きたいと思います。
なるべく、僕の思考を一層ずつわかりやすく説明できるように努めますね。
では、さっそく記憶を呼び起こしていきますか。
思考過程の分割
大学院の専攻を考えて、「不動産開発学」にしようと決めるまでの思考は主に2つのパートに分けられます。
1.大学院で学ぶこと
2.不動産を選択すること
この2つです。
ちょっとタイトルだけではわかりづらいですね。
前半パート 大学院で学ぶこと
よく友達や知人に「何で大学院に行くの?」って聞かれます。
「勉強したいことあるの?」「就活先延ばしにしてるの?」などなど。
僕の場合は「大学院に行く」ことの理由が一般的な答えとは一味違います。
理由は「博士号を取ろうと思ったときに修士号がないと取れない」から。
意味わかります?
僕の思考では、修士号を取ること自体に意味はないんです。
あくまでも博士号を取る(取りたい)と思ったときに、学部卒であると博士号を取るまでに修士課程分のタイムロスが発生しちゃう、それでは時間がもったいないよね、という感じ。
もちろん、今現在、博士号を取ることはプランAとして存在していますが、プランBもプランCもあるわけで、100%の博士号コースではありません。
自分なりに、どのタイミングで修士号を取得するのが効果的・効率的かを考えた結果、学部卒後すぐに進むのがベストだろうと辿り着いたわけです。
学部卒後に進学することがベストである理由は、「教育経済学」(たぶんこういう分野)にあります。
アメリカの研究結果なので、日本で同じことが言えるかはわかりませんが、例として、スキルアップのために修士課程を修了するとしましょう。
ある人は学部卒後すぐ、ある人は入社数年後、ある人は入社十数年後と異なる時期に大学院へ進学した人がいます。
彼らの課程修了後のパフォーマンス(賃金上昇率)は異なる結果となり、最もパフォーマンスがよかったのが学部卒後すぐに大学院へ進学した人でした。(この研究結果に対して一部異なる意見を唱える学者もいます。)
僕自身、勉強することは苦ではないし、より専門性のある人材になれることを嬉しく思える人間なので、迷わず、新卒で大学院に行くことにしました。
もちろん、学部を3年で卒業していることも影響しています。
僕がプランCを選んだ場合、23歳で新卒として働くことになります。
多くの企業では、新卒の給料は学部卒より院卒の方が高く設定されています。
つまり、僕の場合、同学年の学生と比べて1年の差だけで給料が高くなるのです。仮に、学部を標準年数で卒業した場合は、2年の差になりますが、僕の基準では学歴による給料の違いは2年の時間を考えると時間効率が悪いと思います。
こんな感じで、僕は大学院に行くことを決めました。
お気づきでしょうか。
僕の大学院を選択する理由に「特定領域への興味関心」は関係ないんです。
後半パート 不動産を選択すること
後半は3つに細分化されます。
・子供の頃からの思い
・家族の影響
このパートは全てが並列で考えられています。
なので、時系列要素は考えずに読み進めてください。
細分化パート 子供の頃からの思い
僕の幼い頃の夢は「大工さん」でした。
家族に大工がいたわけではないので、たぶんレゴブロックが好きすぎたことが理由でしょう。
その後はいろいろと夢は変わりました。
2分の1成人式のときは「外交官」、小学校の卒業文集には「大金持ち」、中学校は「政治家」、高校は真剣に考えず…(今思うと悪趣味でしたね。)
でも、高校で進学先の大学を考えるときに、「建築」って面白そうだと原点回帰し、理系へ進学。
なんだかんだうまいことやっていましたが、センター半年前にして「化学」をどうしても好きになれないことに気づき、理系の要素がある文系を探すという無謀に出ました。
いわゆる、進学先で文転するやつです。
ありがたいことに経済学部へ進学できました。
でもやっぱり、建築に関わりたいと思う気持ちはあるのでしょう。
都市や不動産に関わる授業を可能な限り取っていました。
それで院進するなら、不動産へ行こうと考えたのかもしれません。
細分化パート 家族の影響
この要因が最大の要因でしょう。
日本人の平均年収の数倍する僕の留学費用はすべて祖父が保有する不動産収益で賄われています。
我が家は代々不動産との縁が強い家系で、不動産を売買する、不動産に投資するということが往々にしてある一族でした。
食事の席であっても「あの土地は売った方がいい」「この土地は買った方がいい」と話題になるほど不動産が身近なものです。
幸いなことに、これまで金銭的な不安を抱くことなく過ごせたのは、不動産を保有しているから誰かが働けなくなっても問題ない。という心理的安心感から来ていると考えられます。
そんな僕ですから不動産の魅力を知らないわけはありません。
自分も大人になったら家族に金銭面での不安をさせてはいけない、自分が与えられたものを子供や家族に与えることは必然だと子供ながらに考えていました。
もちろん、将来的には今の親族が保有するすべての物件をまとめて管理する役割を担い、一族としてより3464プロパティエージェントの時価総額ぐらいまでは拡大させたい、そういった気持ちもあります。
(半分冗談ですが、半分本気です。)
不動産投資だけなら大学院で学ぶほどのものではありません。
たぶん家族から実践ベースで学んだ方がよっぽど効果的でしょう。
でも、「不動産を拡大する」と考えたときにただ買い進めるだけでは手法が汚いとぼんやり思いました。
そこで「開発」を通じて、自ら価値を提供するという考えが浮かびます。
作られたビルを買う場合、デベロッパーが想定した価値が市場に提供されます。いくら購入可能な物件であったとしても、自分が提供したい価値と異なるものを購入するのはいかがなものだろうと考えずにはいられません。
また、作られたビルを購入する場合はデベロッパーの利益も支払うことになります。
一方で自分がデベロッパーになれば、利益分の支払いはなくて済みますから利回りを大きくすることができます。
もちろん、自身で開発するということは開発リスクを請け負うことになります。
そこで、この「開発リスク」を適切な大きさでコントロールできるよう、「不動産開発学」を専攻することにしました。
事実、「シドニー」で勉強すること自体に大きな意味はありません。
もちろん、「シドニー」では今後人口を倍増させる計画がありますから、先進国の中でも数えられる程度の不動産開発に力をいれている地域であることは間違いありません。
1970年代より前の物件を立て直す活動も盛んですから、今後の日本が直面する構造上の耐用年数オーバー物件が増加する問題も何かしらの解決のための糸口が見つかるかもしれません。
そんなことは後から考えたシドニーを選んだ理由であり、「不動産開発学」というニッチな分野を選択することになったのは、ただ日本にこのコースがないからという理由だけです。(正確にはあります。)
仮に日本で勉強できるとしても、内容は世界共通ですから、英語で学んだ方が自分に対して負荷をかけられる、そう思ったまでです。
まとめ
はっきり言って、僕の専攻志望理由は汚いです。
たぶん、就活とかで本音で話したらアウトでしょう。
でも、こういう選び方もあっていいんじゃないのかなとも思います。
よく「やりたいことがわからない」とか「目的が見えない」とか言う人がいますが、「やりたいこと」ベースで決める必要ってそこまで重要じゃないのかなと思ったりもします。
僕の場合、大学院で研究がしたくて行くわけではありません。
大学院で学んだことを使って家族に還元したい、だから大学院に行くんです。
たぶんこれはやりたいことというよりも、「使命」でしょうね。
「大学院で勉強するのが僕の使命なんです。」
今回はかっこよく書き終わってみようかな。
この記事は「ヤマトナデシコ七変化」を聞きながら作成しています。
変化するのが人生ですから、七変化でも八変化でもしてみたいものです。
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