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わからないからわからないなりに
わたしはだれ?
生きるってどういうこと?
きっかけはわからないけど、子どもの頃からそんなことを考えるのが好きだった。
考えすぎるといろんなことが「無」に近づいていくような気がして、怖くなって途中でやめた。
根本を問い始めるとすべてが無意味のように思えてしまって、その気配をうっすら感じとった私は、問いを賢く軌道修正した。
どう生きるのか?
ブレない軸ってなに?
大人になった私は、大人になったけれど答えは出ないまま、そしてやっぱり○○ってなんだろうが気になった。
仕事ってなんだろう。
働くってなんだろう。
毎日がウキウキしながら目を覚ませる…わけでは残念ながらないけれど、基本的に働くことは好きだし楽しい。なぜだろうと考えたとき、ひとつには対価としてのお金がある。そのお金をもって家賃を払い、食事をし、遊びに行ったり本を買ったり、派手さはないけどそんな生活を自分の収入の範囲内で行えることへの有難みを感じる。もうひとつは「誰かの役に立てる」という実感。仕事を通して喜んでもらう。人の役に立てる。私の働く喜びはそこからきているんだろうなぁ。人は一人じゃ生きられない。それはもうそういうもんなんだ。
「生きる」ということに関しては誰かを喜ばせたいという思いはなく、むしろできる限り自分の内面の声に正直でありたいという思いが強い。そして自分はそうとしか生きられないということも、最近やっと受け入れ始めた。だけど「働く」ことに関しては、その仕事を通して出会うたくさんの人を喜ばせたい、笑顔になってもらいたいと思う。生きることと働くこと、重なる部分も大きいと思うのだけれど、なにがちがうんだろうなあ。
久しぶりに読み返した灰谷健次郎さんの小説『天の瞳』のなかで、倫太郎のじいちゃんがこんなことを言っていた。
「…仕事というもんは、これまで、いろいろなことを学ばせてもらったお礼でもあるから、いつも人の役に立っているという心棒がなかったら、その仕事は仕事とはいわん。ただの金儲けと仕事は区別せんといかん」
「…仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが、仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる。そうして生きてはじめて、人は、神様からもろうた命を、生き切った、といえるのじゃ」
もうすぐ転職。暮らし方も大きく変わる。そうしてまたたくさんの人との出会いがある。
どうなるかわからないけど今は不安より楽しみの方が大きい。
どこにいても、なにをしてても、その先で出合うできるだけ多くの場面にできるだけ多くの笑顔を咲かせられますように、これが私にとって働くうえでのひとつの心棒。
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風を感じていたい。