どこに就職するか⁉️
どこに就職するか⁉️
大学を受験する時も何学部にするか悩み、親からの強い要求があったが、結局わたしは、親の要望には見向きもせず、また自分自身の望みも捨てて、その中間の道を選んだ。
それは就職の時も同じだった。いや、最終的には、わたしがわたしの望みの道を誰にも告げず、決めて選んだと言える。
大学卒業の時、就職試験で合格した会社は三社あった。
ひとつ目は電◯。何名応募したか知らないが、ほぼ決定した最後の七名で副社長と会談した。その場で、副社長から、「あなたはリーダーシップをとれるだろう、しかし、入社したら従うことが重要だよ」と言われた。
組合運動をすると思ったのかもしれない。
実際あの会社に入社したら、副社長が想像したことを行っていたかもしれない。
その場で、わたしは辞退した。
二つ目はN◯◯。
入社して欲しいという連絡があり、訪問すると、「アナウンサー希望だが、ディレクター部門にして欲しい」とのこと。わたしは、自分の日本語のアクセント、イントネーションが奄美のものだとあまり気づいていなかった。
それに、アナウンサーには、ほとんど権限が無いことも知らなかった。
そして辞退した。
母は、あなたの人生だから自分で決めなさい、と言っていた。誰もわたしには知らせないが、父は怒っていたようだ。
三つ目はグ◯◯。
試験の自由作文に、御社がワ◯◯◯に勝つには!という題でわたしは書いて、即OKだった。
この三つ目の会社がまだ残っていると父に言うと、お前はパンツ屋になりたいのか‼️の一言だった。
実は、小◯◯も応募していたが、試験会場へ行って、大学の試験会場と似た雰囲気に、同じ空気かなぁと感じて、退出した。
このことにも、父は怒った。
しかし、どの大きい会社に入っても、組織のルールがあり、上司の指示があり、経営者の意向があり、不自由だろうなぁと、電◯の副社長との面談で想像していた。ーーーーどこも不自由だろうなぁと思っていた。自由なところはないだろうか、と考えていた。
大学院も一時的に逃げる場所としてかんがえたが、比較文学の試験の紫式部を読んで、あと何年かこんなの読んでおれるかなと思い、試験用紙を裏返した。
そこで、わたしはとんでもないことを考えた。
イギリスの大学院の英文学とフランス文学の比較文学部を受験しよう、と思ったのである。
そして、わたしの卒業式を見ようと東京に来た父は、既にわたしが日本を離れてイギリスに向かって、途中のインドネシアバリ島にいることに驚くことになった。
全くとんでもない親不孝ものである。
ここでわたしの人生は、これまで経験したことがない海へ飛びだしたんだと、今はわかる。しかし、電◯、N◯◯、グ◯◯に入社していても、どこかで飛びだしたんだろうなと思っている。
自分の思う方向へ向かって生きていくと、その道はあまり変わらないのではないか、と思っているが、当たっているかどうかはわからない。