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信じる
私の中の倫理
人の中の倫理
それは決して交わることはないのです
身内とそんな話をしました
私は20前後の時に北海道に居たんですが
まあまあのど田舎にいたのもあり
それはもう貞操観念なんか死んでた中にいました
でもそれって私の中での貞操観念の死であり
そこにいた人たちの中では
わりかしそれが普通の貞操観念でした
まあしれっと私の中の貞操観念は迎合しました
ということは、人によって貞操観念などは変わるわけで
貞操観念すら交わらない中で倫理など交わるわけでもなく
何が言いたいわけではないけれど
何も言うわけではないけれど
それこそが価値観であり倫理であり宗教なのだと思いました
理解こそが知識であり
共感こそが人生なのでしょう
タグをつけるのが烏滸がましいですが
まあなんかリリーさんのnoteを酔っ払いながら読んで
書きたくなったので許してください
だいぶ、ふわふわして書きました
くっそオブラートに包みすぎた意味わかんない文章です
好きな人たちが優しさに包まれて生きて欲しいなんて当たり前で
不特定多数の前に出る以上はそんなん無理だと思うので
少しでも優しい世界の中で生きれますように