"COPY BOY" ぼくのクローンは小学生㉝(最終前)【さよなら…】
ワケあって、大学生の僕はクローンと暮らしている。ヤツは小学2年生。8歳の子どもだ。
顔は、幼い頃の僕と全く同じ。ジャンケンすると決着がつかない。
なんで、こんなことになったのか。よかったら、そのワケを聞いてほしい。
(※第1話へ)
<冬、第33話>
「ゆうちゃん、起きたか?」
気が付いたら、ばあちゃんが泣きながら僕を見ている。
ここは…?
クリーニングの匂いがする。固くプレスされたシーツ。
ああ、まただ。病室のベッド。見ると、僕の右手が、隣のベットに寝るチビと手をつないでいた。
「あれ、なんで…?」
「あんた、正月早々ばあちゃんに心配かけたらあかん。」
と、突然の光。
「ユタカさん、ちょっと眩しいですよ。はい、この指見てください。」
ペンライトで眼球を照らされ、猫ちゃんが細いきれいな人差し指を左右に動かして見せる。その指を目で追いながら聞いた。
「どうしたんですか?僕…。」
猫ちゃんは、僕の腕に巻きつけた脈拍計の圧迫帯にポンプで空気を送りながら説明してくれた。
あの時、倒れた僕を猫ちゃんがすぐさま応急処置し、救急搬送で多摩の遺伝子工学研究所に運んでくれたのだという。
「猫ちゃん、どうしてあそこに?」
「おチビちゃんのおかげです。」
チビはまだ横になっている。僕の体調不良がシンクロしているそうだ。
「実は、わかってたんです。」
「?」
「ずっとおチビちゃんは感じていたんですよ。」
チビは僕の頭痛をずいぶん前から知っていたという。僕自身でさえ気づかない症状の進行を正確に感じていた。
例えば肺や腎臓。双子のように体内に2つある臓器は、片方が不調になった場合、機能を補うためにもう一方が敏感に反応して倍の働きをするという。僕とチビの脳は同じ構造。チビの脳が僕の脳の異常を補おうと、センサーのように感じ取ったのだそうだ。
「不思議ですね。まだまだクローン医学は分からないことだらけです。」
”いよいよ今日” ということも、チビは察していた。僕よりもハッキリと。だから猫ちゃんに「もうすぐ兄ィの頭が、バンってなりそう。」と予告していたらしい。そう聞いて、
「そういえば…」昨夜を思い出した。
………大晦日の夜。猫ちゃんにコソコソ耳打ちするチビ。
” 何話してるの?"
" ひ・み・つ " 笑う2人………。
「ああ、だから…。」
「そうなんです。だから実は今日も…。」
猫ちゃんは僕とチビが出かけた時、こっそり後をついて来てくれていた。僕たちが路地を抜け、あの再開発エリアに行くのを遠くから見守ってくれていたのだ。
「2人とも進むのが早くて、塀に挟まっちゃいました。」
フフフと寂しく笑う。
「なんで僕たち手をつないでいるんですか?」
「覚えていないんですね、ユタカさん。」
僕がここへ運ばれた処置中、並んだベッドで横たわる僕とチビが、意識もないのになぜか手を伸ばしあっていたという。
気づいたばあちゃんが、「ゆうちゃんの手!」と叫んで、医師や看護師さんたちと一緒に、チビのベッドを僕の傍へ近づけてくれたそうだ。
「確かに、夢を見たかも…。」
巨大な水風呂の渦巻き洪水の中にいた。
虫ほどの小さな僕とチビが激しく流されていた。
水中メガネとシュノーケルのチビが僕を助けようと手を伸ばす。だが手が届かない。もう少し…もう少し…。激しい水しぶきをはねのけ、手がつながった。
……また、一緒に夢を見たんだな。
夢の中で、あのまま僕が行ってしまいそうになるのを、チビが引き止めてくれたのかもな。
「猫ちゃん、教えてください。僕、どうなるんですか。」
「…………。」
猫ちゃんは、言葉に迷った。ばあちゃんが背中を向ける。
「いいですよ。分かっています。」
「あの…………。」
「そうなんですよね。」
「…………はい。」
小さくうなずいて僕の目を見つめ、言った。
「ガラスの破片が…、脳の血管を突き破りました。」
破れた箇所から血液が流れ出て脳内組織に大量に流れ込んできており、手の施しようがなくなった。流れ来る洪水の夢はそういうことだったのかもしれない。
やはりチビと一緒に暮らしたことが影響していた。2人の脳のやりとりが盛んになり、通常より脳内血管の働きが活発になった。それでガラスが大きく動いてしまったのだ。だけど今さらだ。原因が分かったところでどうしようもない。
もうすぐ手足の感覚に異常が見られ、やがて、ちゃんと話せなくなり、朦朧として意識がなくなるはずだという。
「…そう、ですか。」
かすかに薬品の匂いの漂う空気を大きく吸って、白い天井を眺めた。
もう時間の問題だな。
なんだよ、
別れて暮らす必要……なくなっちゃったじゃん。
「兄ィ…」
チビが目を覚ました。
「おお、チビ。」
まるで学校の廊下ですれ違ったかのようなありきたりな挨拶をしてみた。
「ありがとな、いろいろ。」
「うん。」
「もっと遊びたかったな。」
「うん、もっと。遊ぶよね?」
「そうしたいんだけど…。」
チビは、僕の目を見つめた。
「………。」
「………。」
その時だ、チビと僕の頭に同じ思いが同時に閃き、2人叫んだ。
「猫ちゃん!」
「猫ちゃん!」
突然シンクロで大声を出したもんだから、「わわっ」と驚いて、猫ちゃんが酸素濃度計を落っことした。
「すみません、シーツをもってきてくれませんか。」とお願いすると、
「シーツ…?なんで…」怪訝な顔。
「それと、ロープも!」
「それと、ロープも!」
「シーツとロープ…?どこかで見たよう…」
やがて猫ちゃんの瞳が輝いた。
「!」
いつもの笑顔で「はいっ!おチビ隊長」と敬礼してウインクした。
やがて僕のベットの上には、大きなシーツが天井から吊られてテントのようにふわりと覆いかぶさった。まるで大きなゆりかごのように、僕たちのベッドをやさしく包む。
そう、あの「秘密基地」だ。
特別に処置室の窓を開け放してもらった。すると、柔らかい風がシーツを揺らし、辺り一面が泣きそうなくらいに美しい夕暮れのオレンジ色に染まった。
チビが僕のベットに潜り込んでくる。
「兄ィ…」
「チビ隊長、せまいです。」
「兄ィ副隊長、お歌やって。」
僕は、ささやくような微かな口笛で父の子守唄… ホルストの『木星』を奏でた。
病室の秘密基地に響く、甘美なメロディ。
チビは、幸せそうな表情で僕の傍らでずっと聞いていた。
ばあちゃんと猫ちゃんが鼻をすする音がする。
「うるさいよ。」
からかうと、
「失礼しました、副隊長。」
と猫ちゃんは泣きながら敬礼した。
「猫ちゃん、ありがとう。」
ありがとう。僕の人生で一瞬だったけど、
こんなふうに泣いてくれる女性がいてくれて、幸せでした。
命がもう少しあったらな…。
「…あの」
「…あの」
同時に猫ちゃんと言葉が出た。
「シンクロしちゃいましたね。」
「シンクロしちゃいましたね。」
ぷっと、2人して笑ってしまった。
「クローンでもないのに。」
なんだか気が楽になった。
猫ちゃんになにか言っておきたい。でも、なんて言ったらいいのだろう。
だって僕たちには、もう、なにかを育む時間もない。
「あの…えっと…」
「スキだよって。」
「えっ!?」
驚きすぎてベッドから落ちそうになった。猫ちゃんもメガネの目をまん丸にした。
チビだ。
「兄ィね、猫ちゃんのこと好きだって。ボク、兄ィの頭の中わかるもん。」
「いや、あの…いえ…えっと…」
否定もしにくいし…どんどん顔が紅潮するのが分かる。「はい。すみません。こんな時に。」
恐る恐る猫ちゃんの顔を覗くと、
まるい眼鏡の瞳から大粒の涙があふれ、
「はい!」
長い睫毛を瞬くごとにきらめく雫がぽろぽろ宙に舞い、今まで見たことのない美しい笑顔で微笑んでくれた。
「今まで、ありがとうございました。チビをよろしくお願いします。」
「は…い…」
泣きじゃくって返事が聞こえなかった。
ばあちゃんも泣いている。
「ありがとうばあちゃん。」
「ゆうちゃん、気張りぃ。目ぇ開けて。しっかりしい。」
しわくちゃの手で僕の手の甲をペシペシ叩いた。
「ばば不孝でごめんね。」
「あほ言いないな。順番間違ごうたらあかん。ばあちゃんが代わりに逝くさかい。」
手ぬぐいで涙をぬぐうが追いつかない。
「別れて暮らす必要なくなっちゃったね。」
「どあほ!」ペシペシ叩き、「センセ、なんとかなりまへんのかいな。ウチを代わりに逝かせておくんなはれ。」医師の白衣の袖を引っ張って振り回す。
「ばあちゃんは元気でいてもらわなきゃ。チビをよろしくね。」
「あかん、お気張りやす。ゆうちゃん、あかん…。」
僕の手に額をこすりつけ、
「おおお…」と嗚咽してむせび泣いた。
ああ、だんだんぼんやりしてきた..。
もうすぐなのかな。
「チビ」
「なに?」
不安そうに目を見開く。
「兄ィな、ちょっと時間がなくなってきたみたい。」
「なんの?」
「そろそろ行かなきゃ。」
「行かないで。」
「バスに乗らなきゃいけないんだ。お空の向こうに行かなくちゃ。宇宙の向こう、見てくるね。」
「…ダメ、兄ィ…」
チビは泣いた。僕につかまって泣いた。「ボクの体を使って。ボクはいいから。兄ィが生きてくれればいいから。」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら泣いた。
「ぼくは兄ィのニセモノだから僕の体使って!」
僕の胸元にすがりつく。
「チビ、お前はニセモノなんかじゃない。本物のユタカだよ。」
「兄ィ、死んじゃうの?兄ィ死なないで。」
医師が引き離そうとするが、シーツを掴んで離さない。
「ねえ、兄ぃ、死なないで。お願い起きて。」
ベッドにしがみついて、泣きじゃくっている。
「ボクの体を使って!ボクの体、兄ィと同じだから。使えるよ。ねえ、ボクの血とかいっぱい使って!」
鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃになっている。大人の力でも剥がせないくらい両手両足を振り回しながら泣き叫ぶ。
「兄ィとボクは同じだから。くっつけたらひとつになるよ。お願い。兄ィを死なせないで!お願い!お願い!」
心の底から叫びたくなるくらいチビが愛おしかった。込み上げる感情に涙があふれた。
「ねえ!お願い!使って!」暴れるチビ。
”ごめんな、チビ。ごめんな。これでいいんだよ。これでいい。チビの未来を守るために…”
そう言いたいけど、もう声が出なくなってきた。
話したいけど…話せない。
神様、もう少しだけ…。言いたいことがあるんだ。
”チビ、目を見てくれ。涙でぼやけるけど、ちゃんと見て。
僕の目だ。そうそう、そうだ。目を読んで欲しい。さあ最後の心のシンクロだよ。”
” 分かるかい?僕の話したいこと… ” 心で問う。
「うん!わかるよ兄ィ!分かる!」
チビが声をあげたのが遠く微かに聞こえる。
”チビ、正直に思ってること言っていいかい。どうせ君にはバレちゃうし。”
「うん、なに?」
”…こわいよ。チビ。”
逝くのがこわいよ。この世から消えてなくなっちゃうんだもんな。もうすぐ真っ暗になっちゃうんだな。こんな風に頭で考えることだって、もうすぐできなくなるんだな。
自分の意識が「無」になってしまうこと、なかなか想像できないよ。「宇宙のむこうにはなにがあるの?」っていう質問と同じだね。その先なんて誰にもわからない。その先があったら、さらにその先は?あるようなないような。だから、やっぱり、こわい。
でもね。
君がいてくれて、楽になったよ。
僕はいなくなってしまうかもしれないけど、君がいる。
君がこれから迎えるであろう未来を想像するだけで、ワクワクするよ。
ハタチになったチビの姿を見たかったな。
その時、僕と並ぶと面白そうだね。そっくりなんだろうな。
将来君は結婚して子どもを持つかもしれない。僕たちに良く似た一重で人見知りの子。男の子かな…女の子…? 君の子どもに会いたいなぁ。僕の子どもだよって、ちょっぴり思ってもいいかな。
僕がこの世に生きた証として、君がいることがこんなにも支えになるなんて。君に命をつないだことが、こんなに嬉しいなんて。僕の肉体は滅びても、君に伝えたこと、いろんなものが残る。そう思えるだけで救われるよ。
チビの目から涙があふれる。
僕一人しかいなかったとしたら、どんなにか不安だっただろう。
ここまで走ってきて、バトンを渡す相手がいないと思って死ぬところだった。
今、バトンを渡せる君がいることを心から幸せに思うよ。
人間は世界中みんなで、命のバトンリレーをやっている。子どもがいる人だって、いない人だってカンケイない。誰の子だっていい、みんな一緒に育てていくんだ。力を合わせてより良い世の中をつくることで、人類は命をつなぐ。
全員でひとつの種(しゅ)なんだ。
陽が沈みそう。
ああ...もうすぐかな。
わかる。もうすぐだ。そんな気がするよ。
2人の心は今ひとつになってきているから分かるよね。
チビ、教えたこと、忘れないでね。
「うん、分かった。兄ィ。」
泣きじゃくるチビ。
これからいろんなことがあるかもしれない。
どうか僕の代わりに恐れず体験していってほしい。
自分を誇りに思ってほしい。
誰にも真似できない自分を。
自分を愛して。
本当にありがとう。生まれてきてくれて。
本当にありがとう。僕たちの未来をよろしくね。
こまったな。涙が止まらない。チビの顔がにじんでぼやける。
一瞬だけど…ほんの一瞬だけど、チビの顔が、大人に成長した姿に見えた気がした。
その姿はまるで僕とそっくりだった。
「あ…あ…あ…」
いっそう涙があふれた。最後の夢かな。
意識が遠のいていく。
そろそろ…、バスの出発だ。目を閉じるね。
みんな、ありがとう。
さよ…な…ら。
そして…、
「僕」は命の幕を閉じた。
そう、僕たち”ユタカ”は、ひとり。
本当にひとりになった。