2024年、妻、癌サバイバーとなる
はじめに
2024年を振り返るにあたり、いろいろと逡巡し、きっとこの話題以上に私と、そして家族に残る記憶はないと思い、書き残すことにしました。本来はゲームの記録を時折残そうと思ったNoteですが、まぁそこは個人の勝手な記事ということで。
私のためということもありますが、きっと子宮頸がんにまつわる日本での実情が、やはり必要性が十分に周知されていない、かつあまりにも恥ずべき行為を行った情報を取り扱う醜悪な先人によって、防げるはずの癌が防げていない実情を見て、認知向上に少しでも貢献できればと思うばかりです。
「がん」という言葉を聞いてもどこか遠くの話だと思うことは、とても幸せなことだと今でも思います。2024年に30代半ばを迎えたわたしたちにとっても、それが当然続く未来だと思っていたのですが、そうはいきませんでした。
2024年の頭に妻が子宮頸がんと診断され、そしてその治療をしました。本当に幸いなことに、治療を経て希望が持てるところにいるので、その過程を少しでも多く、特に気持ちの面での過程と対策を知ってもらいたいと思い、筆をとりました。
女性の方、または女性をパートナー、あるいはお子様にもつあらゆる方にもご一読いただけると幸いです。
記事要約
子宮頸がんは、ある程度の成人女性であれば誰にでも発症の可能性がある癌なので、知って、対策してほしい
30代半ば、子供2人の一般家庭
2024年1月、前ブレなく「子宮頸がん」の診断
癌という言葉、妻の命がつながらないかもしれない恐怖、子の成長を共に見届けられないかもしれない恐怖、一挙に襲ってくる中で、治療の選択を迫られる。
腺がんⅠB1期のため、広汎子宮全摘出術を選択。
2024年3月、手術と18日間の入院。
入院中、退院後、ともに家族のサポートで何とか絶望から脱出。
2024年12月現在、数度の通院での経過観察を経て、特に転移の予兆などはなし
事の始まりと前兆はあったのか?
前兆は、全くありませんでした。
2022年末に第二子を出産し、その際にも検査したが、特に問題なし。
2023年9月にも子宮頸がん検査をし、特に所見なしの診断でした。
2024年1月のとある日、不正出血や不快感で来院(カンジダで時折見てもらっていたため)、症状を伝えたところ念のため酢酸をつけて行う検査(コルポスコピー(腟拡大鏡診)・組織診を実施。
結果として、組織のかなりの部分が白く観察されることから、組織の細胞診を依頼。これが事の始まりでした。
ちなみにですが、進行してからの子宮頸がん症状には代表として以下の3つがあります。
正直、これらの症状で確定的に子宮頸がんだと考えられる人は、ごく限られると思います。
この時、妻の症状と検査の経過を聞きながら、気持ちはまだ、どこかそうではないと信じたい気持ちでした。しかし、不安は隠し切れず、不安定な気持ちのまま仕事を継続していたことだけは記憶しています。
確定診断から治療の選択まで(重要)
2024年1月末、細胞診の速報を受領すると同時に、先生の判断で早めに総合病院への紹介状を受領しました。診断は、腺がんの疑いが強い。
この時の記憶が最も薄く、なのに絶望した記憶が色濃く残っています。
命は限りあるものだとはわかっていても、妻の命が奪われるかもしれない、子供成長を見届けられない未来がある、一人で子供の成長と未来を担うことに戦慄し、正直そんな自信はない自分にも絶望しました。
この時点で、これまでに収集した情報と診断内容から、診断が出た場合の治
療方針を妻と話し合いました。
結論として、子宮全摘手術を勧められた場合は躊躇せずそれを選ぼう、と事前に合意しました。
ただし、この結論に至るためには条件があったので、この治療方針の選択が最も困難だと思いました。私たちの場合は、以下の条件で考えました。
自分たちが最低限望んだ人数の子供はいる
何よりも命を優先して、子供たちの成長を見届けられる未来を選択する
リハビリも含めて、家族の支援を得つつ仕事も続けられる
以上のことから、躊躇してはならないと考え、選びました。
もちろん、最後は妻の体のことなので、私はあくまでも背中を押す、あるいは選ぶ妻が迷わないようにサポートしかできませんが、最後は二人で合意しました。
2024年2月頭、総合病院での診察室にて、医者から言い渡された病名は事前の検査通り子宮頸がん、それも進行が早いケースが多い腺がん。
先生の治療方針の説明にも、食い気味に摘出を選ぶことを返事したことだけは覚えています。
治療を見守る身としては、ここまでの道のりが最も精神的な負荷も高く、未来に怯えていた記憶が強いです。
一方で、方針が確定してからの道のりでは、私は徹底して妻が治療に集中できるようにあらゆるサポートの調整をしながら、子供たちのケアと仕事を遂行しました。
入院と治療、退院まで
2月頭の診察から3日後、2月に大雪の日に、さらに大きな専門病院である有明の国立がん研究センター 中央病院にて、詳細の検査と具体的な治療の日程を選択しました。
子宮全摘手術の中でも、以下の選択肢がありました。
治療の難易度は低いが術後の回復までは長い
治療後の回復は早いが治療の難易度が高い腹腔鏡手術
以上の中で、日本で最も症例数も誇る病院であれば、日本で最も依頼できる病院だろうということで、腹腔鏡手術を選択しました。
3月半ば、妻、入院。
それとともに、私は子供たちとともに近くに住んでいる実家のお世話になることに。
入院翌日、手術。
手術は13時間に及ぶ長時間の治療となり、私は病院の開館から閉館まで居続けることになりましたが、なによりもその長丁場の治療を成功いただいた主治医並びにサポートされた医療従事者には頭が上がりません。
結果無事に手術は成功しましたが、合計18日間入院しました。
入院が長期間に渡ったのは、上記のような合併症状や術後の体調管理のためでした。広汎子宮全摘手術の場合、子宮周辺のリンパ節と腱を摘出することになります。妻に聞く限りは、術後は歩くにも非常に痛く、本当に歩行回復が困難だったと聞きました。また、日常生活に大きく関わる排尿機能の回復に時間を要したそうです。
(ちなみにですが、単純子宮全摘出術なのか、その中でも卵巣を残すか否かで予後の症状は異なります)
それでも、粘り強く治療しながら、入院中は同じ治療に取り組んでいる同室の方々とは女子寮のような雰囲気で過ごせたとのことでした。(治療中の数少ない楽しみと励みになったとのことで、病院に入ることすらできない身としては感謝でした)
退院後と現在
退院後も継続して歩行と排尿機能の治療が多かったのですが、想定以上の回復を見せたことから、退院から時間が経てば経つほど、日常生活を取り戻しています。
1か月後には排尿機能はほぼ回復。
2か月後には歩行はほぼ問題なく、走ることはできないレベルまで回復しました。
これを書いている2024年12月現在、術後半年・その後の検診を経て、一旦の転移が見られないとの診断をもらっています。
子宮頸がんとこれから向き合う皆様へ
治療に当たり、主治医と話す以外にも、参考になったサイトなどをまとめて記載します。
X(旧Twitter)で参考にした医療従事者、研究者の方々
たぬきちさん
https://twitter.com/tanuk_ichi
Amamino Kurousagiさん
https://x.com/Amamino_Kurousa
両名とも、子宮頸がんの認知向上とともにワクチンの普及に非常に大きな助力となる情報発信をされている方々ですので、良ければ参考にしてください。
私がこの両名を挙げている理由の一つには、積極的に第三者の方々の発信に対しても声を上げており、議論含めて見識の共有に貢献されていると感じているからです。
少し余談にはなりますが、子宮頸がんは、過去にメディアの振りまいた無根拠なデマが、今なお人の命にまで直接影響している背景を持ちます。
ありがたいことに、先進各国での接種実績がそれらが本当に無根拠であったこと、そして子宮頸がんは撲滅可能ながんであることを示してくださっています。
取れる対策は二つしかないです。
(ワクチンが有効な年齢範囲外であれば)検診による早期発見
(有効な年齢であれば)ワクチンの接種
私もこの問題に直面してから、身近な女性と共有させていただいたときに、普段語られることがない・共有することではないだけで、多くの女性が悩まれていると知りました。正直、「異形成」(がんになる前の状態)という診断を聞くだけでも相応の恐怖を抱えることになることを、恥ずかしながら知りませんでした。
そして、私は上記1は、全く対策とは言えないと感じています。
理由はシンプルで、早期に発見した場合でも、次に待っている事態が妊孕性(妊娠できる状態)を担保するか・諦めるかの、大きく重い選択が待っています。リスクとベネフィットが、全く釣り合っていない選択肢になります。
本当に、ワクチンを接種できる方々は、接種いただきたいです。
そして情報収集の注意事項としてですが、ワクチンを検討されている方は、既存の日本の大手マスコミ・メディアはその手助けになりようがないので、ぜひ上記に挙げた方々を参考にしてみてください。
ワクチンは、人の健康と幸せと可能性を、心の底から願った先人の技術と知見の結晶です。
おわりに
2024年の大晦日に、壮大な記事になってしまいました。
ここまで目を通してくださった方も、斜め読みで人生の10秒でもお貸しいただいた方、ありがとうございました。
一度書いた以上は、どこかでまた経過報告を書こうと思います。
ひとつ言えることは、今はがんの宣告を聞いた時の恐怖や負の気持ちは乗り越えて、子供たちの日々の成長に笑顔の多い毎日を過ごしていることです。
どこかで誰かの力になっていましたら、幸いです。
良いお年を!