見出し画像

【10月11日「聖書の語りかけ」ローマ人への手紙1章1節⑧】「目的は福音」

「目的は福音」

"キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。"1章1節

Paul, a bond-servant of Christ Jesus, called as an apostle, set apart for the gospel of God, (NASB)

さて、僕であり、使徒として召され、切り離された(選り分けられた)パウロの、「form」「when」に注目してきたが、ここにきてやっと、その「目的(for)」にたどり着いた。しかし、この「for」こそは、まさに「福音」である。「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです(1:15)」とあるとおり、この手紙が書かれた目的もズバリそれなのだ。

パウロは、「福音を恥としない(1:15)」と語り、「福音のためなら何でもする(1コリント9:23)」、「福音のために大使の役を果たしている(エペソ6:20)」「福音のために犯罪者のようにつながれている(2テモテ2:9)」等々、多くの箇所で語っているように、彼の人生の明確な目的は、福音宣教以外の何者でもないことがわかる。それは「福音を宣べ伝えなかったら私はわざわいだ(1コリント9:16)」と言い切るほど明確なのものだ。

しかしこの目的意識は、何もパウロだけに与えられたことではなく、本質的には私たち信じる者すべてが共有すべきものだ。

パウロは、主イエスの言葉を引用してこう言った。
「主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。(使徒20:35)」

もし私たちが福音の祝福を受けているなら、私たちはその祝福をもって隣人を祝福するように期待されている。私たちが救われたのは、救いの恵みを私たちで終わらせるためではなく、私たちを通して隣人にもその恵みを及ぼすためだ。

命は必ず命を生む。命の営みとはまさにそういうものだ。もし福音に命があるのなら、それは自ずと増殖するはずである。

今日もゆっくり深呼吸をするように、私たちの内に宿るこの命の営みに身を委ね進みたいと願ってやまない。

主イエスよ、私は何事か足りないかのように他から持ってくる必要がなく、すでにこの命が私の内に宿っていることを感謝します。愛する主よ、あなたの命は必ず命を生み出します。どうぞ私を通して、あなたの命が流れ出るように、私を用いてください。主イエスの御名によって。アーメン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?