見出し画像

【9月21日ワールドミッションレポート:🇸🇩スーダン「自殺志願者の戦争孤児の変えられた人生(3)」】

戦争と貧しさによって不遇な少年時代を送っていたスワ牧師は、人生の不条理に打ちひしがれ、いつも死にたいと願っていた。そんなあるとき、引き寄せられるようにして讃美歌も聞こえるチャペルに入った。学友とともに賛美を歌うと、人生に絶望していたスワ少年に主が触れたのだ。それ以来、彼はキリストのものとせられたのである。以下はスワ牧師自身の言葉による証だ。

* * *
1990年になると、ACROSS(スーダンの開発機関)が、ナイロビでの仕事を提供してくれました。私はナイロビからスーダンの開発を支援するために、MAF(福音派の航空宣教団体)のフライトに何度も同乗しました。この期間中、聖公会の牧師としての訓練も受けることができたのです。

そのようにして私は、学びながら数年間の安定的な奉仕に就いていたのです。ところがある年、残念なことに、ケニア政府は私のビザを延長してくれなかったのです。再び私たち家族は不確かな未来に直面してしまったのです。しかしそんなとき、ありがたいことにオーストラリアの宣教師たちが、私たち家族の後援を申し出てくれたのです。それによって私たちには、シドニーでの新しい生活の道が開かれたのです。


私たちは2000年にオーストラリアに移住しました。シドニーには、スーダン人のコミュニティがありました。そこで私は、オーストラリアの文化に適応できなくて苦労しているスーダン人を助けるため、彼らのコミュニティに加わりました。 私は彼らの教会のリーダーとして、彼らを支援しました。しかし私は、この奉仕が私に与える精神的な影響を過小評価していたのです。コミュニティ内では家庭内暴力が一般的で、私は、仲間たちの家庭問題の仲裁や、問題を処理するために、警察署に出入りするのが常でした。 そのような過酷な奉仕が続いたのです。

2004年になる頃には、私は、心身ともに限界に達してしまいました。この時期私は、うつ病に陥り、精神的に落ち込んでしまって立ち上がることができないでいました。妻は、植物人間のように無気力になってしまった私に耐えかね去ってしまったのです。そのような紆余曲折を経て、もう一度人間らしさを取り戻すのに、私は1年の時間を要したのです。

「自殺志願者の戦争孤児の変えられた人生(4)」に続く。

(イスラム61.4%, プロテスタント14.8%, カトリック10.7%, 土着宗教11.1%, 他)

※シェアはご自由にどうぞ。

いいなと思ったら応援しよう!