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【8月8日ワールドミッションレポート:🇸🇾シリア「イスラム教徒のタクシードライバー、キリスト教徒を乗せ、人生の新たな道を案内される(4)」】

2週間後、タレックは家族の待つ新しい家へと旅立った。タレックとケビンの二人にとって別れは辛く、別れのときには涙がとめどもなく流れた。「僕はいつまでもイエスに従うよ」とタレックは彼らに告げ「ケビン、僕は君を本当に愛している! あの日、君たちをタクシーに乗せたのは神の計らいだったんだ。 そして今、僕はイエスを愛している! イエス様を愛しているんだ!」と言って別れを告げた。

内戦で全てを失い、無法地帯と化したシリアから命からがら逃れて、家族と離れ離れになり、高度な技術職から落ちぶれてタクシードライバーとして働かざるを得なくなったタレックだったが、「恵みの主」は、多くの場合、そのような人生の谷間におられる。そしてそれは、タレック自身が言ったように「神の計らいだった」ということなのだ。

転落人生の狭間で、多くを失い転がり落ちたタレックは、そのような境遇を通してキリストに見つけられ、キリストを見出したのだ。使徒パウロが語ったあの言葉、「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています(ピリピ3:8)」は、まさに自分自身の言葉のようにタレックの心に響いたことだろう。

2011年3月のアラブの春に端を発する民衆運動とそれを強硬に押さえ込もうとするアサド政権との摩擦から生じたシリア内戦以降、一千数百万人のシリア人が国内外に難民として逃れた。

内戦以前のシリア人の多くは、聖書には見向きもしなかったが、実は、タレックのようにこの内戦によって逃れた人たちが続々と聖書を手に取り主イエスを信じているのだ。悲劇の背後に、喜びと希望の種を蒔いてくださる主をあがめよう。

国内は惨憺たる状況のシリアだが、悪い政権が退けられ国に平和が戻るように祈ろう。また国が真に平和のうちに立つために、心のうちに福音の種が蒔かれたタレックのようなキリストにあるシリア人たちが用いられ、国が神の言葉によって再興されるよう祈ろうではないか。

(シリア内戦前統計:イスラム90%, プロテスタント0.2%, カトリック3.1%, 正教会関係3.0%,その他)

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