【10月7日「聖書の語りかけ」ローマ人への手紙1章1節④】「恵みを強調するfrom」
"キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。"1章1節
Paul, a bond-servant of Christ Jesus, called as an apostle, set apart for the gospel of God,(NASB)
さて、「召された・呼ばれた」を意味するギリシャ語κλητός(クレトス)は、καλέω(カレオ=召し出す・呼び出す)の派生語であり、それに前置詞のἐκ(エク=〜から)を付けると「教会」ἐκκλησία(エクレシア)になると説明した。
このἐκとは英語でいうところの「from」だ。キリスト教の福音は、これでもかというほど「恵み」を強調する。その際、「恵み」を強くコントラストし、私たちにその「恵み」を喚起させるものこそが、この「from」なのである。
聖書は、イザヤ書のある箇所で次のように言う。
「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ、わたしに聞け。あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。イザヤ51:1
ここで神は「あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ」と言って、イスラエル民族に自分の出どころ、つまり「from」に目を留めよと促す。主がイスラエルを選ばれたのは、彼らが強大な民族だったからではない。むしろ彼らはあらゆる民の中で最も弱小だったのだ(申命記7:7)。
自分がどのようなところから救われたのかを思い起こせば、誰も十字架以外に誇りとすることはできない。
キリストの救いの有り難さに咽(むせ)ぶ者は、古今東西ごまんといる。そして彼らは涙で目を濡らし、まるで示し合わせたかのように、皆一様にこう言う。
「もしイエス様に出会っていなかったら、私の人生は一体どうなっていたのかわからない。イエス様のいない人生なんて考えられない」と。
まさに彼らの救いの恵みを強調するものこそは、この「from」なのだ。
教会とは、まさにそのような「from」から集められた者の集いなのである。
"わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。"詩篇103篇1~2節
主なる神よ、どんな時にも自分が切り出された場所を覚えます。
そこには、まことに主の恵みと憐れみしかありません。主がどれほど良くしてくださったのかを決して忘れません。あなたのくすしい御業を讃えます。
どうか私が高ぶって、自分が切り出された場所を決して忘れることがありませんように。主イエスの御名によって。アーメン。
文責 MJH石野博
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