【10月6日「聖書の語りかけ」ローマ人への手紙1章1節③】「世から召し出された者の集いエクレシア」
"キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。"1章1節
Paul, a bond-servant of Christ Jesus, called as an apostle, set apart for the gospel of God,(NASB)
さて、パウロは「上からのcall」によって、召されて使徒となった。
一方「どこから召されたのか」と、その出自に目をやると、それは「教会(エクレシア)」となるのだ。
「使徒として召された」とある「召された・呼ばれた」を意味するギリシャ語κλητός(クレトス)は、καλέω(カレオ=召し出す・呼び出す)の派生語だ。そして「教会」を意味するἐκκλησία(エクレシア)は、このκαλέω(カレオ)に、前置詞のἐκ(エク=〜から)が付いたものになる。
つまり、教会(エクレシア)とは「神によってこの世から召し出された者の集い」なのである。
ここから理解できるのは「教会は建物でもイデオロギーでもない」ということ。現在世界の教会の成長エンジンは「家の教会」モデルだ。中国は言うに及ばず、インド、インドネシア、アジアの国々、欧州でさえも、家の教会の成長が著しい。そして新約聖書に登場する教会モデルは全て家の教会である。もちろん礼拝や集まりのための建物を有する既存の教会の在り方を否定するつもりはないが、教会の本質とは「召された者の集まり」であり、それは「人」であって、決して建物でもイデオロギーでもない。「建物」がなくても教会は成立するが、「人」がいなければ教会は成立しないのだ。
戦後、怒涛よのように成長して、日本最大の新興宗教組織となった創価学会は、実は新約聖書に登場する家の教会モデルからヒントを得て、在家の集会である「座談会」の活動を発展、活発化させた。いわばこれは創価学会版の「家の教会」なのだ。見事にキリスト教のお株を奪われてしまったわけである。
家の教会は、教会を始めるという点では、非常に低いハードルでスタートすることができる。しかも現代は、技術が大いに味方をしている。説教にしても賛美にしても、YouTube などの動画サイトを通して遠隔で利用することができる。そのようなスタイルに抵抗を覚える者もあるかもしれないが、それほどアレルギー反応を示す必要はないと断言しよう。なぜなら新約聖書の教会やリーダーらに宛てられた書簡の全ては、とりもなおさず遠隔による牧会に他ならないからだ。
教えの健全性が担保され、適切な管理者さえいれば、ハードルの低い家の教会モデルは非常に有効な教会のスタイルだ。何よりも聖書のモデルがそうであったことを忘れてはいけない。
主なる神よ、あなたの一方的な招きによって、「召された者の集い」である、あなたの御身体なる教会に入れてくださり感謝します。
私も教会の一部として、主と人々に仕える者として、自分自身をあなたの教会に捧げます。
時代の要請に相応しい家の教会が、この国でもますます盛んになりますように、そこにあなたの御手を置いてください。
主イエスの御名によって。アーメン。
文責 MJH 石野博
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