ウェストールのクリスマスストーリーに寄せて
ウェストールだから、最後にどんな苦さを残していくのか…とドキドキしながら読んだが、まっとうにあたたかみのあるクリスマスストーリーだった。
年中行事、儀式、祭事、というのは少なからず奇跡の再現なんだなと、これ読んであらためて思う。
奇跡というのは基本的には一回性であり、その再現というのは最初から矛盾している。つまり行事や儀式や祭事は、はなから、その不可能性のうえに立っている。
それを忘れてしまうと、単純に消費になり、消費の再現になり、くたびれたり、疎外感を感じさせられたり。
起源となる奇跡がありありと感じられていてこそ、不可能性に立脚しながらの、再現に向かっていける。そしてその再現は当然のことながら様式化していく。抽象化といってもいい。
奇跡となった出来事そのものは奇跡としてはアクチュアルには再現しない。
もし出来事そのものを忠実に再現しようとすると、奇跡なので二度は起こらないという当たり前にことに突き当たるだけになるから。
それゆえ、出来事そのものをなぞるより、それを様式化し、抽象化していくことで、奇跡のアクチュアリティを呼び覚まそうとする。
しかし、そのアクチュアリティは常にあらわれてくるわけではない。
再現にも、起源と同じくらいの、そして再現独自の(起源とはまた別の)アクチュアリティが必要だから。
読んだ本
『クリスマスの猫』ロバート・ウェストール作/ジョン・ロレンス絵
坂崎麻子訳 徳間書店 1994