コーチングの意義を改めて考えてみる。
最近、セリーヌ・ディオンさんが闘病する様子を収めたドキュメンタリー映画を見ました。
その中で舞台衣装が収められた倉庫のシーンがあります。
「女性は好きな靴を履くためなら、なんとかしてそれを履こうとする。靴を買いに行って、サイズはいくつですかと聞かれれば、
いくつならありますか?と聞き返し、つま先を折り曲げて窮屈でも履いたのものよ」ということを語っていました。
靴に足を合わせるのであって、
足に合った靴を選ぶのではない。
多分、そうとう靴が好きなんでしょうね。好きな靴にかける情熱は、想像できます。
話はコーチングの意義に飛びますが、
コーチングの意義とは、等身大の自分を好きになり、
人生の羅針盤を持つことだと思います。
それは例えば、自分の足のサイズをきちんとわかることだと思います。
長さと幅と、甲の高さ、踵の大きさなど、
等身大の自分を理解することだと思います。
その上で、今日はこの靴を履きたいから頑張って履く、
というのが良いんだと思います。
いつもいつも、等身大の自分でいるのも良いと思いますし、
たまにはペルソナを身につけるように、
いつもと違った自分を演じるのも、面白い。
セリーヌさんは世界的なアーティスト、パフォーマーなので、
それをよく知っているんだと思います。
飾る時は飾り、
素の自分も知っているから、エゴイスティックなところが全然感じられないと思いました。
コーチングの意義は、
等身大の自分を好きなること、と書きましたが、
これを知っていると、例えば
あるタスクをやらなければならい時、
自分だったらこのポイントに対してアプローチして、
まずはここを抑えます、みたいに、
得意なやり方で、熱中できると思います。
目指したい目標があるのに行動できないのは、もしかしたら過剰な自信がエゴとなって邪魔しているからかもしれません。
心がワサワサして落ち着かないのは、無意識に自分の弱みに焦点が当たっているからかもしれません。
そういう心のポジショニングを、ボキッボキッとカイロプラクティックみたいに、ずれている視線を心地よい場所に戻し、
素の自分をスクスクと出していけることができれば、
心が軽くなって目の前のことに集中出来るんじゃないかと思っています。
もしかしたら、そもそも目指すゴールも、ガラリと変わった新しいものが見えてくるかもしれません。
私は、自分の本音というのをとても大事にしています。
腑に落ちる感覚、迷いがなく、これが答えだ!と大声で宣言できるようなアイデアが見つかったりすると、すごい幸せを感じます。
その一方で、
これをやらなければならないと考えて、自分に不似合いな目標を立ててしまったり、
自分は何をするべきなのか、と深く暗い霧の中でもがいてしまったりするときには、
孤独な気分になります。
それはきっと、
何かが邪魔しているんだと感じます。
エゴか、
思い込みか、
知識不足か。
コーチングを受けると、
何がブレーキになっているのか、
ハッと気づくことがあります。
話を聞いてもらい、自分の内面との対話を重ねると、
思ってもみなかったような答えが出てくることがあります。
そんな時には、コーチングを学んでいて良かったと感じる時です。
このスキルを、他の人のために使っていきたいと思っています。