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人はなぜ学ぶのか ー 夜間中学校のニュースを見て思い出した昔の記憶

昨日見たテレビがすごく感動しました。
NHKのニュース内の夜間中学についての特集でした。

夜間中学校に通う生徒さんの言葉

全国には現在夜間中学が44校あります。
通っているのは、家庭の事情やいじめなどで義務教育を受けられなかった人や、外国人の人たちです。
文部科学省の方針では、今後設置数を増やしていくようです。

最終学歴が小学校の方は、全国で80万人おられ、70代以上の方で96%を占めますが、30代以下の方も7,031人もおられるそうです。

映像の中で特に印象に残った言葉を紹介します。
「それまで世の中は怖いものだと思っていたけど、夜間中学校で学ぶにつれて世の中のことがわかってきました。今は生きるのが楽しい」

この人は日本人なので日本語を喋ることができます。
でも中学に通うことができずに30歳を迎えてしまったそうです。

バスに乗る、アイスを買うのも怖かった

「世の中が怖いもの」というのは、私が小さな頃に感じていたことでもあります。
「バスに乗るのも、不安だらけ。お金を払ったけれど、何か注意されたらどうしよう。席に座っていいのか、それとも立つべきか、立つならどこに立つべきか、
邪魔になって叱られたらどうしよう。」

祖父にアイスクリームを買ってもらおうとした時のことも思い出しました。サーティーワンのような、いろんな種類のアイスがガラスケースに収まっていて、私は青いアイスが食べたいけれど、名前がわからない(書いてあるはずだけど、どれかわからない)。サイズ、トッピングなど、
お店の人は悪気がないんだろうけど、
「AかBか」みたいなクローズドクエスチョンではなく、
オープンな「何にしますか?」という質問で聞いてくる。
そこは選択肢を出してくれ!と今は思いますが、お店の専門用語的な言葉で聞いてくるので、マウントを取られて気がした。

私は、
「サイズってなにがあるの?トッピングって何のこと(子供だから言葉の意味がわからない)?」

「アイスだよ、僕が食べたいのは青いアイス!」
と思ったけれど、言えなかった。
その言葉を知らないのがバレるのが恥ずかしかったから。
仕方がないから、食べ慣れたレモンのかき氷(面倒なオプションはない!)を注文しましたが、
その時味わったのは、希望が叶えられない絶望(大袈裟!)でした。

今も、たとえばSubwayのサンドイッチのオーダーの仕方は難しいと感じたり、
お店屋さん側の提供スタイルが斬新な場合、あまり足が進まないことがあります。Subwayのサンドイッチは大好きですが。

話を戻して、きっと中学校に行っていないということは、勉強だけじゃなく、
物の買い方、公共サービスの使い方、バスの乗り方や、それこそ外での立ち位置まで、なにが正しくて、なにが普通なのかを知らないまま生活しなきゃいけないことじゃないかと想像しました。
大人になると、自分がわからないことは、多くの場合、他の人もわからないから、聞けばいい、とわかるので、そういう怖さはないように思います。

その方は今では漢字を使って読書感想文を書いたり、自分のことを客観的に語ることができたりして、生きるのが楽しくなってきたとのことなので、
夜間中学の存在は、貴重なものだと感じます。

きっと成熟した社会というのは、一度レールから外れてしまっても、後でやり直しができるセーフティネットが存在するということだと思います。

人はなぜ学ぶのか

私の好きな漫画「マスタキートン」では、
「偉くなるために学ぶのではない。学ぶのは人間の使命だからです。」
とキートンが言っていました。

一大ブランドを築いた、ココ・シャネルさんも、
「大学を出ていなくても、今日花の名前を覚えることができれば、その分世界が一つシンプルになる。学べば学ぶほど世の中が簡単になる」という内容のことを言ったそうです。

学ぶことの原点はここにあると思います。
受験のために学ぶのではなく、より自分が心地よく生きることができるために学ぶのだと思います。

“花の種と土“  私の学ぶ意味についての考え

学ぶ意味、それはたとえば、花の種と土のようなものです。
私たちは花の種のように、初めは可能性を秘めて生まれてきます。
芽を出し、花を咲かせ、果実を実らせるには、自らを土に潜らせて芽を出すために水分や養分、適切な温度に包まれる必要があります。
土は、社会や外の世界のたとえで、その中に入っていくことは、学ぶべきことを学び、周りに対して自分の殻を破って自己表現をし、同時に外からの刺激を吸収することだと思います。

もし、仮に敬語を学ぶチャンスを得られなかった外国籍の方がいた場合(このニュースではそういう外国人の方も紹介されていた)、
大人のコミニュティに入るのは抵抗があると思います。

勉強はめんどくさいし、覚えたものを忘れたり、理解できない問題に苦しんだり、はっきり言って苦痛が大半を占めると思います。
でも、わかった時の快感、できた時の達成感、学んだことを使って人の役に立てた時の充実感など、かけがえのない喜びももたらしてくれます。

スマホやYouTubeなど、ふんだんに誘惑がある今、
賢い時間の使い方ができないと、ふわふわとテレビやSNSの情報に流されるだけになってしまいます。たんぽぽの綿毛が風に乗って漂うように。
それは勉強という、いわば土に潜るような苦痛を伴うプロセスを経験しないことで、本当にやりたいことができないまま流されてしまうかもしれません。
だから、時間的、体力的、経済的に学べるチャンスがあるなら学んだほうがいいとも思います。

世の中のことが自分の中でちゃんと了解できるかどうか、ってすごく大事だと思います。

小さな頃の私が感じたような、
居場所がなくて不安な気持ち、
食べたいものが目の前にあって手で触る近さにあるのに、
手に入れられない、みたいなことがなくなって、
自分のやりたいことができる、が実現するシーンが増えるといいなと思いました。


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