「ペーパーハウスコリア」〜悪ってなんだ?〜
「梨泰院クラス」で韓国ドラマの魅力に魅了され、
イソ役のキム・ダミが好きで「その年、君たちは」を見て癒され、
もともとパラサイトでも好きだったチェ・ウシクをさらに好きになり、
イカゲームで人間ドラマや社会問題を考えさせられ、
サンウ役のパク・ヘスが出ているということで
ペーパーハウスコリアを観た。
これがペーパーハウスを観るに至るまでの私の韓ドラの歴史です。
※正確に言えば、私と一緒に韓国ドラマにハマった母がペーパーハウスコリアを激推ししてきたので、とりあえず観てみた感じ。
一話目の途中までは、なんとなく暴力的なドラマなのかなという印象が強く、そんなに得意じゃないしなんか入り込めないかもと思っていた。
けれどもどっこい
話が進むにつれてどんどん夢中になって観ていた。
少しも逃したくないからよくわからないシーンは巻き戻したり、続きを観たい気持ちを抑えて、、でもやっぱり観たくて夜更かししたり。
とにかく言えるのは、
ハマっているドラマが見つかったときは、一日の幸福感が10倍くらいになるし、仕事が終わったら観よう♪という明確な一日の目標ができるから頑張れやすい。
前置きが長くなってしまったが、これからペーパーハウスコリアを観た感想を語っていきます。
ちなみにこれはすでに作品を観た人が、見終わった余韻を残して誰かと語り合いたい!という場面を想定しています。
なぜなら、私がいつも良い作品を観た後にどうしても誰かと語りたくなってネットで知らない人の感想を検索してしまうからです。
なのでネタバレありですので、ご了承ください。
まず、一応あらすじをいうとすれば一言で
「まだ誰のものでもないお金を盗んで、本当の泥棒は誰なのかを社会に訴える赤い服を着た仮面集団」
というところでしょうか。
正直これだけじゃ全然伝わらないんだけどね。
今回激選して私が特に語りたいことは
①それぞれの背景
②人を殺さない
③死ぬのが怖い
この3点です。
まずはじめに
①それぞれの背景。
赤い服を着た仮面集団は
トーキョー、ベルリン、リオ、ナイロビ、モスクワ、デンバー、モスクワ、オスロ、そしてこの8人のまとめ役教授がメインキャラクターとして出てくる。後半になると他にもソウルとかたくさん仲間が出てくるけどね。
みーんなこの計画に参加した背景がある。しかもすごく重い。
ペーパーハウスの原作であるスペイン編はまだ見ていないから比較できないんだけど、コリア編の特徴としたらやっぱり南北の分裂ではないだろうか。
北朝鮮と韓国。お都内同士の国の難しすぎる関係性。
作中は「朝鮮半島の再統一を図るためにできた共同経済区域という場所につくられた造幣局での強盗」という架空の設定らしい。
そしてその再統一をするための政策は平和的なものではなく、お金持ちがさらにお金持ちになるような仕組みなんだそう。
さらにはその代償として国民は貧困や差別などで苦しんでいる状況が描かれていた。
架空の設定とはいえ、恐らく現在の韓国と北朝鮮の関係性や現状が映し出されているのだと思う。
私は恥ずかしながらあまり詳しい状況はわからない。
ただ、現在の韓国にも確かに脱北や貧困や差別などの社会問題があり、さらには今現在も北朝鮮と韓国の戦争は解決しておらず「休戦状態」ということ。
そんな国同士の緊迫感や対立が大きなテーマとして描かれていた。
強盗は確かに悪者かもしれない。
でも果たして強盗だけが悪いのか?
頑張って働いて正しい方法でお金を稼いで生きていく。
もちろんこれが正しい生き方なのかもしれない。
でも、そうしたくてもできない事情がある。
そして変えたくても変えられない状況がある。
私は100%の悪を強盗に感じることができなかった。
②人を殺さない
造幣局を占拠し、人質を使って交渉する。
よくある強盗犯だと人質を恐怖で支配するためだったり、警察への脅しの意味もあり人質が犠牲になることは少なくないんじゃないかなと思う。
けれどもこのドラマは違う。
「犠牲者を出さない」というのが計画の一つに入っている。
私はこれも魅力の一つだと思った。
一度生きるのをあきらめた人間、死にかけてもなお強く生きた人間、
だからこそ命の尊さや、殺さない意味をわかっているのかなとも思った。
もちろん計画を進めていく上で重要になってくる世論への影響もあるとは思うけど。
それでも、私はなんとなく
「自分たちは今まで自分たちに酷い扱いをしてきた人間とは違う」という意思を感じた。
命を軽く扱わない人たちだからこそ、強盗達への感情移入や、一種の応援、犯罪の正当化の要素が入りながらドラマを見進めていったんだと思う。
③死ぬのが怖い
これは私が一番印象に残ったシーンでのセリフ。
ベルリンがみんなの盾になり、命を犠牲にしながら守ろうとしたシーン。
「鴨緑江(北朝鮮から逃げる時に渡る川)に残された時も、収容所でくたばっていた時も、死ぬのは怖くなかった。でも今はひどく怖い。」
ベルリンは難病を抱え、その治療のために家族で北朝鮮から韓国に逃げようとした。
脱北の最中に母を目の前で殺され、自分は収容所に入れられた。
収容所での酷いでは済まされないような扱いにも耐え、彼の今がある。
ずっと小さい時から死と隣り合わせだったベルリンが唯一死ぬのを恐れた瞬間。
死ぬのが怖いというのは、逆を言えば生きたいということなんだと思う。
仲間と共に、そしてやっと再会できた家族と共に、計画を成功させたい。
そんな初めて「生きたい」と強く思った瞬間であっても
仲間のため、そしてこの計画のために自ら命を犠牲にすることをいとわなかった彼の強さ。
「死ぬのが怖い」という一見弱気な気持ちが、なによりベルリンの強さや決心を表現していたように思う。
この時のベルリンの演技が、本当に胸に刺さった。
思い出しただけで泣けてくる。
これだけ重い背景があり、大きな社会問題を扱っているんだけど
自分とは遠くない話というか。
実際日本のお隣の国であることもあるし、
演技な設定がリアルだからかそこに登場する人物が実際にいるように感じる。
どこかでそんな思いをしている人たちがいるということを、目を背けず考えていかなきゃいけないなと思った。
私はこうやって色々考えさせてくれるドラマや映画がすき。
次は何を観て、何を感じるんだろうか。
また次の熱中する作品を探していかなきゃいけないね。
※大絶賛の嵐で幕を終えたかったんだけど、どうしても最後に言いたいことがあります。
私はラストシーンがどうしてもしっくりこなかった。
危機交渉チーム長のウジンさんと教授が再開して微笑むシーンで終わるんだけど、
「え???完全に許しちゃうんだ?!」ってなった。
きっと2人の間に確かな愛が生まれたんだろうし、
ウジンさんも教授がどうしてこの犯罪を計画したのか、目的と背景を知ったからこそ私みたいに強盗を100%悪だと感じられずに許してしまったんだと思うんだけど。
でもね、私的にはなんか、その前の列車のシーンで終わってほしかったなと思っちゃったの。
ウジンさんの警察としてのプロフェッショナルさというか、信念的なのは貫いてほしかったな。
それに2人の愛はあの列車のシーンでも十分伝わったし、それぞれの葛藤がよく表れていたと思う。
なんか2人が笑顔で再会したことでドラマとして綺麗に終わりすぎてしまったというか。
これはあくまで私個人の感想なんだけどね。
きっと私がペーパーハウスに求めていたのは、「愛」ではなくて「本当の正義とは何なのか」みたいなところだったから、もっとそれを強調した終わり方にしてほしかったのかもしれない。
まあ、もうそれは十分だったのかな?
ペーパーハウスコリアを最後まで観たみなさんはラストシーンについてどう思いましたか?
ぜひコメントしていただけると嬉しいです。
それではまた。