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君子豹変

「君子は豹変する」という言葉がありますが、意味するところは、「立派な人というのは、態度を一挙に変える」ということです。普通は、「態度を変える人」のことをよく言いませんが(実際、この言葉は誤解されて使われることがしばしば)、ここでは、態度を変えることが良いとされている。

人間は、一度態度を決めると、なかなか変えられません。ある宗教を信じると、なかなかその信仰を捨てられない。いくら正しい理屈で説得しても信仰を捨てられないのです。これは、カルト問題について知識がある人なら周知の事実です。

同じ事は、ポリシーにも言えて、或る政党を支持する人は、その支持を簡単には変えられません。外圧ではなく、自分自身が変えることを拒絶するのです。一度、何かもしくは誰かを信じると、それを変えられないのが人間の性、ということです。自分の間違いを認められないからです。

だから、デタラメな宗教を一端信じてしまうと厄介なことになる。だから、ろくでもない人間を信じると、いつまでたっても、それを変えられない。

私は、この国は、数十年前からカルト化していると思っていますが、それは、多くの人間が、物事を「目先に出回る情報」だけで判断し、そして一端態度を決めると、(それを否定するような)正しい情報が流れてきても、無視するようになっているからです。

もちろん、これは日本だけのことではない。ロシアもそうだし、米国もそうです。

つまり世界から、君子が消失している。

そう、君子とは、今までの自分を否定するような真理を知れば、ただちに、それまでの態度を改められる人間のことを言うのです。自分が誤っていることがただちに認められる人間こそが「立派」なのです。君子豹変という言葉は、中国由来(易経)ですが、その精神は、まさに科学的精神そのものですし、知性のあるべき姿でもあります。

SNSを中心とするネット空間には、君子どころか、君子が大嫌いな人がたくさんいるようです。馬鹿(もしくは自分をだます詐欺師)を信じた自分の過ちが認められなくて、ずっと馬鹿(自分をだます詐欺師)に付き従うのは、もっと馬鹿な行為ですが、残念ながら、彼らは、いつまで経っても気がつきません。知性が働かないからです。知性よりも「自分は間違っていない」と思いたい気持ちが強いからです。自分の愚かさを認めたくないからです。

近年、世界中を吹き荒れる「フェイク」の嵐は、自分の愚かさを認めたくないという、ものすごく多くの人々のコンプレックスが原動力なのでしょう。いわゆる「酸っぱいブドウ」、或いはルサンチマンです。ニーチェは、キリスト教はルサンチマンの産物だと言いましたが、現代社会そのものが、ルサンチマンによって動かされています。では、そのルサンチマンが生み出したのは、何なのでしょうか? キリスト教ではないようです。「米国第一主義」だとか、「美しい国日本」だとか言われているそれは何か。

知性に基づいた発言をするだけで「左翼だ」と言われる現状が、それに答えを出しています。

中学や高校で、「君子は豹変する」という言葉をちゃんと説明するだけで、世界は随分変わると思うのは、甘いですかね?

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