沖縄に住んで1年、変わったこと
沖縄に移住したと言うと、「価値観変わった?」とよく聞かれる。結論から言えばとても変わった。
車で10分も行けば広がる青い海、白い砂浜。子どもはかわいいし、家賃は安いのに家は広い。家族ぐるみで楽しく過ごせる友達もいる。あれ、これ以上何かいるっけ?(頑張る意味を見失う)
ゴリゴリのスタートアップで日々限界まで働いてきた身からすると、6時に帰ってきて子どもを保育園に迎えてお風呂に入れてくれる夫の働き方を物足りなく感じ、「それでいいのか?」と勝手に募る焦燥感。しかし冷静になれ、それでいいのだ。
子どもはせいぜい2人までと思っていたけど、子どもが 3人、4人、5人といる人たちがザラにいると、いつの間にか3人いけるのでは?と思うようになってきた自分に驚きを隠せない。
沖縄に移り住んで1年、東京砂漠で削ぎ落とされた人間らしさを取り戻し、間違いなく私は丸くなった。異論は認めない。
しかし今回、夫が企画していたイベントを手伝う中で、まだちょっと違う変化があった。
ちなみにイベントは贔屓目抜きに大成功だったと思われる。メイン会場のトークセッションは終日満杯、商店街のそこかしこで色んな交流が生まれてて、初めてコザに訪れる県外のゲストたちは街のエネルギーに驚きの声をあげていた。
しかし400人規模を集客するオフラインのイベント、3会場でトークセッションやピッチが同時進行、登壇者は30人以上(しかも多数が県外から飛行機でやってくる)、スポンサーも約30社。それをイベント会社も入れず、フルタイムのメンバーは2〜3人(しかし誰もイベント専任ではない)+インターンや外部のメンバーで回すという、カンファレンス系のイベントを企画した人になら伝わるだろうこの限界感。
それなのに準備を進める中でドンドンやることが増えていく。もちろんやった方がいいことである。しかし当初決めた枠組みからすれば「やらなくてもいい」、むしろ期限やリソースを考えたら「やるべきじゃない」とさえ言えるかもしれないこと。これが「やりたい」先行で全方位に広がっていく。
そもそも開催時期にしてもそうである。わざわざ台風が多い季節にやることないのに、街の熱気が最高潮に達するであろうバスケのワールドカップの開催時期にやりたいのだという。実際、今回はなんとか無事に開催されたが、直前まで台風直撃の予報が出ていてヒヤヒヤだった。
私だったらあるリソースの中でできそうな企画しか作らないし、開催日に台風の時期を選ばない。それでも台風直撃の予報が出てしまったら早めに延期かオンライン化の判断をしている。
だけど彼らは違う。どうやるかを考える前に「やりたい」と言ってやり始める。そしてなぜかなんとかなっていく。
当然、なんとかならない可能性だってある。沖縄の起業率は日本一だが、廃業率も日本一だ。
それでもやってみる。沖縄にいる人たちの「やりたい」のパワーはすごい。
今朝、息子が散歩がてら侵入していったお隣さんの家で、子どもたちに木工を教えている職人の方と出会った。(※我が家の隣には素敵なお隣さんが住んでいる)
子どもたちと一緒に物作りをしていると、大体無茶振りに遭うのだという。そんなもの作ったことも作り方も知らないよ、というものを「作りたい!」と言われてしまうので、試行錯誤しながら普段だったら効率やコストを考えてやらないようなことをやっていくと、自分にとっても新たな学びになるのだそうだ。
大人になる中でいつの間にか色んなリミッターが搭載されていく。しかしそんなリミッターがあってはやりたいこと起点で物事は考えられないし、新しいものも生まれない。
自分にもまだまだしっかりリミッターがかかっていることに改めて気づく。しかしリミッターが外れた人たちに囲まれて、巻き込み事故に遭うかのようにリミッターが少しずつゆるみかけている気配がしてきた今回。
ここでの出会いは、何かが起こる。次回ぜひ、皆さんもコザにお越しください。
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