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シブサワ・レターを読んで~2025年1月号~

シブサワ・レター1月号

早くもシブサワ・レター1月が届きました。

渋沢栄一さんが生きた昭和の100年目

そっか、昭和100年なんですね。
昭和世代のひととしては、感慨深いものがあります。

「昭和100年」を迎えました。昭和が始まった年は「明治57年」。途上国であった日本が、わずか半世紀強で当時の先進国の仲間入りを果たし、それを誇っていた。一言でいえば、青天を衝き抜けていたイケイケドンドンの時代でした。
ただ当時、世界情勢の雲行きが怪しくなる予兆もありました。渋沢栄一の詳細年譜で昭和元年(1926)年を検索しますと( https://www.shibusawa.or.jp/SH/kobunchrono/ch1926.html )、多くの国際平和活動のために本人が老骨に鞭打っていた姿が浮かび上がってきます。

シブサワレターより引用

なお、渋沢栄一さんは昭和6(1931)年11月11日にお亡くなりになっています。
とりあえず昭和初期の年譜と照らし合わせたいと思います。

筆者作成

晩年の時期は厳しい時代を過ごされたんですね。

特に日米間の親善を築くために、栄一が数多くの米国識者との関係構築に努めたことが確認できます。例えば、シドニー・ギューリック宣教師が文通で示された「正当ナル日米関係ノ再興」に栄一は賛同し、数年後に「青い目の人形」交流に協力しています。

また同年3月12日に親交のあった中国の近代革命先行者の孫文が亡くなったことで、日華実業協会を代表して弔電を送った記録もあります。

シブサワレターより引用

渋沢栄一さんの凄いと思うところは、この辺りの出来事との絡みがあるってことで、歴史の裏側で、この国のことを憂いて動いていたんだなと感じるところです。
妄想の世界でしかありませんが、もし渋沢栄一さんが生き続けていたら、若しくは渋沢栄一さんと同じ志しを持って生き抜く人物が戦前の一時代にもいたとしたら、時代はどう動いたのでしょうか。

わたしでも出来るなにかで、同じように世界を変えるために動けたら。
それが可能にするのが寄付なのかもしれません。

『活動するひとを支える』ために。

経済界における昭和100年

一方、経済界にとって「昭和100年」はモノ申すアクティビストやTOB(株式公開買い付け)活動が常態化してきているため、日本企業にとって心穏やかではない状況かもしれません。ただ、これは良い意味で、「昭和」に築き繁栄した成功体験が100年を経て環境の変化に応じ終末を迎えたことを示しています。これからの新しい時代への成功体験を築く意思の表明が欠かせなくなっている現状は、日本の未来にとって決して悪いことではありません。

シブサワレターより引用

経済、企業の動きが活発になってきたことを肌身で感じるようになりました。
昭和の常識が過去のもの、場合によっては非常識になっているものさえあるかもしれません。
とは言え、どの時代の先人たちも、今わたしたちが持っている感覚を、大小の違いはあれども体験してきたこと、この感覚を積み重ねてきた歴史が今だと思います。

将来が楽しみです。
楽しみな将来があるのは幸せですね。

共創 Co-Creation

私が期待を寄せている、これらの日本の新しい時代の成功体験のキーワードは「共創」Co-Creationです。昭和の(貴国に輸出する)Made In Japan、平成の(貴国でつくる)Made By Japan、から令和の(世界と共につくる)Made With Japanへの展開です。新しい時代における日本が世界へ提案する平和と共栄の意図であり、世界を日本に招く大阪・関西万博が開催される「昭和100年」だからこそ、この意識を高めるべきではないでしょうか。

先月下旬に経済同友会の中東・アフリカ委員会が主催したフォーラムに官民・産学の識者を招き、「官民共創によるオファー型協力に向けて」というテーマでディスカッションを展開しました。オファー型協力とは、従来の相手(途上国)の要請に応える開発協力から発展する新しい時代への試みであり、ODA(政府開発援助)に加え公的・民間資金も含みながら日本らしさの強みを生かして相手と共に創ることで途上国と日本の課題解決につなげることを目指しています

大事なポイントは、官民「連携」でなく、「共創」という表現を用いていることです。連携とは、それぞれに与えられた役割が定められ、交差するところを示す概念だと思います。つまり、お互いが既存路線を進んでいて、合うところで合わせましょうという考えが「連携」です。一方、「共創」とは共に創る。つまり、無から有を、それぞれの持ち分を共に生かしながら創りましょうということで既存路線の延長線上に限らない概念だと思います。

シブサワレターより引用

国内でも共創という言葉を頻繁に聞くようになりました。
それが日本国内だけでなく、世界の流れだということでしょう。
まさに『WITH』の時代へ。
ワクワクする言葉です。
『WITH』によって起こる変化が楽しみでなりません。
共に抱き合って喜べるような感覚かな。

それよりも、わたしでは想像できないような答えが出てきそうで、とてもワクワク感があるんですよね。

TICAD(アフリカ開発会議)

万博に加え、TICAD(アフリカ開発会議)が横浜で開催される「昭和100年」に、私が仲間たちとチャレンジする共創、つまり、無いところから有るところの場がアフリカ大陸になります。日本から遠く感じられるアフリカ大陸だからこそ、日アフリカのエコシステムを共に創ることは少子高齢化により人口動態の激変に直面している日本社会の未来世代のために極めて大切な先行投資だと思っています。
また前回のレターで紹介したCost of Inaction(行動しないことのコスト)が日本にとって最も高いところがアフリカになるかもしれません。現時点では日本の参入を様々な部門で歓迎してくれていますが、社会発展が進んだ「平成50年」や「昭和150年」という将来まで検討し続ける待ちのスタンスでは、「入場料」がもっと高くなっているかもしれないという声がアフリカ現地から聞こえてきます。

シブサワレターより引用

自分にとってはとても遠い存在だったアフリカが、共創する場になるんですね。
手を貸すのではなく、共に同じ未来を描いて進めるように、わたしたちも更に注意深く、興味深く物事を見ていかなくてはいけないのかなと感じました。

我々個人投資家がアフリカに直接投資する手段は限られているかというと、決してそうではないと思います。
もっと言えば、日本の国内の会社でも、積極的にアフリカと共創をしている会社があるんじゃないかと思いますので、その会社に投資することは、共創を共に行っていることに等しいと考えます。

とはいえ、わたしには詳しいことはわかりませんので、ほとんどは投資信託の運用会社、運用に携わる方たちにお任せすることになるんですが。

#投資も寄付もコツコツと
健さん、ステキな話題をありがとうございます。

では。

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てっさん
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