【28日目】幸せの時系列と幅の変動
こんにちは、こんばんは、
おはようございます!
幸せってなんだ、キツツキです!
いやー。久しぶりの更新。どれくらいの人が見てくれていたのか。次の28日目の記事を楽しみにしてくれていたのか。なんだか不安ではありますが、少しの休暇を経ての更新。楽しんでいこうと思います。
今日も今日とて読書の1日。振り返ってみれば、大学に入るまでほとんど本を読まなかった自分なんですが、今では絶対に読書の時間を確保しないと気が済まなくなっています。
知識に飢えている。最高の進歩です。成長ですな。よしよし。
ということで、今日読んでいた本は
「明日の幸せを科学する」 ダニエル・ギルバート著
です。題名だけ見ると自己啓発の本っぽいんですが、実際のところそういうわけでは全然なくて、いろんな研究を引っ張って来ながら、僕たちの幸せをどう定義するか、が重要な議題となっています。
僕たちは日々を生きていく中で幸せになろうとあらゆる行動に出るわけですが、未来の僕たちが今の僕たちがやりきってくれたことに対して必ずしも感謝するかといえばそうではない。
というか、今の僕たちは未来の僕たちの気持ちをほぼほぼ理解できてない。だとすれば、僕たちが幸せになろうとすることってどんな意味があるの?
僕の幸せはあの人の幸せと同じように考えることが出来るのか。もしくは、あの人とその人のそれぞれが主観的に見る幸せは、例えばオーロラを同じ場所で見た時にそれぞれが感じる幸せというのは、一致することがあるのか。
なんていう確かに僕たちがもやもやしているけれど、答えを出さずに、というか出すことが出来ずにただ宙ぶらりんにさせていることを、徹底的に語りつくしている本です。かなり面白い。
ピアノの弾き始めの頃なんかも「チューリップ」が弾けただけで幸せを感じることが出来ていたのに、どんどん練習して、どんどん上達していくと、ショパンなどが作った曲が弾けているときにだけ幸せを感じられて、チューリップを弾ける状況に幸せを感じることが出来なくなってしまうわけですよねー。
チューリップが初めて弾けた当時に感じた幸せとショパンが作った曲を弾けたときに感じる幸せとはもちろん違うはずなんですが、
チューリップが初めて引けた当時に感じた幸せと、チューリップをいとも簡単に弾けるようになった時に感じている感情はどうして違うんでしょうか。
幸せを追い求めて生きていくにもかかわらず、以前に幸せを感じられていたことが、成長していくにつれてどんどん幸せに感じられなくなっていくというのは、なんだか寂しいと思うのは僕だけでしょうか?
現時点が一番の幸せだとするなら、あの頃に感じていた幸せというのは、本来感じられる幸せの上限を全く超えることが出来なかったものでしかなかったんでしょうな。
以前感じていたあの幸せは本当の幸せではないなどと断言することは勿論できなくて、成長していくにつれて幸福の幅がいつの間にかどんどん広がってしまった。
そのどちらが幸せか、不幸せか。それすらも誰にも分からないんでしょうなー。いやー、難しい。
この世界は資本主義がどセンターを歩いているわけですから、成長が正しいと教育されるのは当たり前に正しくて、かなりの正論なんですが、こうして幸せについて考えてみると、僕たちはどうして成長することを自分たちで選んでいるのだろう、なんてどうしようもないことを考えてしまうわけです。
今日はこんなところでしょうか。
幸せとの関係性を無視することが出来ない僕たちにとって、こういった本を読んで、一旦しっかりと考えてみるのも大事なんだろうなと思います。
是非興味があれば、読んでみてください。
ここまで書いてみてあれなんですが、この本を僕はまだ半分も読めてないので、明日もこの話になりそうです。
この本の中で、幸せはどう結論付けられるのか。とても楽しみです。
それでは。おやすミッフィーちゃん。