【29日目】自主的に知識を蓄えることの重要さとそれを当たり前だと認識する感覚
こんにちは、こんばんは、
おはようございます!
筋トレの知識蓄え屋、キツツキです!
昨日は、幸せについて科学的に考察する本を読んでの感想を記した記憶があります。
今日もそれを読むとばかり昨日の自分は考えていたわけですが、やっぱり今日の自分は昨日の自分が思っているほど思い通りにはいかないようで、朝から筋トレの本をひたすら読んでいました。
なるほど。明日の自分は今日の自分が思っているほど期待通りに行動してくれない。昨日読んでいた本の理解がより深まったなと感じました。幸せが神様みたいにいたりいなかったりするのはこういう理屈なんでしょうね。面白い。
話が逸れましたが、先ほども申し上げた通り、今日は筋トレの勉強に明け暮れていました。やっぱり筋トレは面白いですね。筋トレというか、筋肉というか。
まだまだ科学的に分からないこともたくさんあるみたいなんですが、現時点で判明していることを色々漁ってみると、多少の知識を持っていたつもりだったんですが、そんな僕でも目から鱗の情報がたくさんありました。
筋トレの情報を発信していく立場でありながら、知らないことがたくさんあることを自覚すると、やはり人生勉強あるのみだな、と実感します。
こうして本をたくさん読むようになって、人生ずっと勉強だと感じられるようになって思うことは、学校で勉強は終わりだなんて考えていたあの頃の僕はなんて愚かだっただろう、ということですね。
小・中学校や高校の頃の勉強が間違っているとか、そんな成功者の議論をしたいわけではなくて、日々学んでいくことで自分を高め、社会の常識を知りながら、社会と自分で上手いこと折り合いをつけつつ、のらりくらりと生きていくことが重要なんだろうな、と感じたということです。
学校の勉強も普通にやっていて楽しかったですからね。あんなもん、楽しんだもんがちなわけですから。ゲームなわけですから。ゲーミフィケーションですから。今の学校制度も批判されまくっていますけれど、あれはあれで社会に自分だけで飛び立てないような人の受け皿として必要なんだろうな、と考えたりしているんですがどうなんでしょうか?
全く違ったカリキュラムだったなら、どういう風に育っていただろう、なんて考えてもいいんですけれど、それはナンセンスな気がしている人もいるんじゃないのかな?
僕は現状の日本に関して、頭のいい方々が警鐘を鳴らしている理屈をなんとなくは理解しているつもりなんですけれど、自分事のように動くことが出来ていないのは、そんな風に感じているだけだからなのかもしれないです。
んー。どこかしらで突出する人は、自分で徹底的に勉強すると思うんだけどなー。本を読みまくったら、知識の価値なんてどんどんなくなってくるし。さらに本をどんどん読むようになるし。そういう人はアイデアの作り方とか、独創性のあり方とかも勉強し始める気がするんだけどなー。
確かにそういうのが学べる場所だったら、学校はさらに良い場所になるのか。未来のために残すべきものは、こういうことを自分から勉強しにいかなくても、受動的に出席していればいい授業を作っておくことなのかなー。
難しいですな。こういうのはやっぱり考え続けなければならないんでしょうなー。まだまだ成長途中の僕でも、しっかりと社会の在り方を、未来の子供に対して何を残すことが出来るかを考え続けなければなー、なんて思った次第です。
何が言いたいんだっけ笑。
結局、体を鍛えることも、体に良い食事を心がけることも、SNSで何かを発信していくことも、お金でお金を稼がせる方法を知ることも、全ては現状自分で勉強することが重要なんだな、ということですかな。
よし。良い感じにまとまったところで、今日はこんな感じ。
学者の人も人間だし、インフルエンサーの方も人間だし、ホームレスの方も人間なわけで、どこで道が分かれたのか、何が原因でそうなったのか、そんなことは何とでも言えてしまうわけで、ただ今この時を少しだけ未来を見据えながら、やれば出来るの精神を持ちつつ、前に進んでいくべきなんでしょうな。皆さん、頑張りましょう。
それでは、また後日。
次回はまた幸せについての本を読んでいるのかな?
そうなっていたらまた幸せについて語り合いましょう。
未来の自分がどんな選択するのか、定かではありませんが。
おやすミッフィーちゃん。