Clock Going[28.June]
真っ赤な顔で二言目には「暑い」「お腹すいた」「もう嫌だ」「おしっこいってくる」。手札が4つしかない椿さん。
昔はこんなんじゃなかったのになあ、と俺がいうと航朔はとても嫌がる。
俺だって椿さんのことを「椿ちゃん」なんて言うお前のことなんて正直嫌だわ。
俺と椿さんは互いにさん付けをしている。昔馴染みの癖が残っている。そろそろ呼び捨てとかにできる関係性まで進められたんだけど、癖って怖いね。今更かあ、と気恥ずかしい。
椿さんは昔から俺を気ままに呼んでいるからあだ名も自在だ。いろんなあだ名をつけられた。クラスの連中に。彼女自身が俺につけてくれたあだ名はひとつもない。ああ、厳密にはひとつ、「卓さん」だ。
俺は椿さんのせいで不遇な学生時代を過ごした。
椿さんは知らなかったみたいだけど、猪突猛進に俺に愛情表現をすればするほど俺は男子から嫌なことを言われた。
視野が狭い、ようやく自覚してくれたからすこしは俺も楽にやれるかなあと思ったけれどそこはさすがマイペースな椿さんで俺が楽になることはなにひとつなかった。
あの頃、俺は椿さんがずっと隣にいるものだと思い込んでいたから、こんなにも彼女を追いかけることになるなんて思ってもいなかった。
彼女は知らない、椿さんと離れた後の俺の気持ちなんか。
椿さんが俺と分かれた後もきちんといろんな人に恋をしていたことがすごく悔しかった。でもいろんな人に恋してもどうしても俺を忘れられなかったことが誇らしい。
椿さんから見て俺は今どんな存在なんだろう。昔と変わらず唯一無二というわけではないはずだけど。
ああ見えて人気がある。見た目の話じゃなくて、なんていうか変なオーラがある。椿さんにハマった男ならきっとわかるはずだけど、庇護欲と独占欲をそそる変なオーラがある。真面目だからなんでもかんでも理路整然とひとつひとつこなそうとするのに誰かが手を貸そうとすると劣化の如く怒り始める。しかも、口が達者だから俺たちは逆に嫌な思いをするほどに言い負かされる。
「え?そんなこともわからないわけ?36年なにしてたの?」
会社の上司や先輩はよくこういう言葉を使うけれど、椿さんといると上司や先輩に言われた方がよほど気楽だと思わされる。
とにかく口喧嘩で勝てる気がしない。
椿さんは俺のことをどう思っているんだろう、、、女々しいけれど毎日そんなことを思っている。
「卓さんは今も変わらずかっこいいよ。頭が良くなくたってバカなところが好きなの。コネがなくたって同級生だからいいんじゃない。お金がないからふたりで自由になんでもできるでしょう?あ、でも人前でおちんちん出したりそういうのはもうやめてね。私たち四捨五入したらもう40なんだから。昔風俗に行っていたとしても、キャバクラに行っていたとしてもそれは全然オッケー。たくさん勉強させてもらったんでしょう?ちゃんと授業料払ったのならそれでいいじゃないの。浮気や不倫はするはずがないことは私が一番わかっている。だって浮気や不倫したらすぐに私が乗り換えちゃうこと見てるもんね」
俺は椿さんに人生を狂わされた。良くも悪くも、4歳から椿さんを想わない日はない。異常な感情だと思う。
「異常じゃなきゃ私と付き合えるわけないじゃない。航朔くんを見てみなさいよ、あれだって異常じゃないような雰囲気出しているけど私が好きでこれだけ追いかけてるんだから立派に異常だよ?見えないでしょう?そんなものだって」
異常、異常と言われても嬉しそうに顔がだらだらになるほどニコニコしている航朔を見て「あ、異常だ」と妙に納得した。
「航朔、、、もしかして椿さんに名前呼ばれるだけでアドレナリン出る人?」
「え!なんでわかるの!?」
俺も同じだからだよ、、という言葉を笑顔に変えたら全てを察して航朔は握手を求めてきた。
「祝!!同類発見!!」
と互いに固く握手をする。
「ちなみに椿ちゃんはどんなところが異常なの?」
なかなかのチャレンジャーだと思った。椿さんも嬉しそうに答える。
「ふたりが半径10メートル以内にいるとどんなに変装していてもわかるところかなあ、、、」。
椿さんは変わらない。立場や仕事が変わっても、年を重ねても、昔と変わらない。俺の顔を見ることだけでもやっとの思いと言わんばかりに照れてしまう。
「だから小説家なの。文人になることが私には合っているんだと思う」
よく笑うようになった、昔のように。
俺たちと同類ならわかるはずだ、彼女が笑っていればそれだけでいいことを。