連載コラム小説【うちの子が一番に決まっているだろうが!】
話は息子が生まれる前にまで戻る。
私と旦那は家族に恵まれない幼少期を過ごしてきたから子供の接し方がわからなかった。それなのに子供を授かった時は命が終わってもかまわないと思うほど嬉しかった。生命の神秘展に行ったほどにこの身にあまる栄誉を神に感謝した。
でもすぐに問題が生じた。
「子育てってどうやるの?」
「え、、、知らない」
博学で、すべては本に書いてあると錯覚している旦那はすぐに育児書をセットで買い込んだ。
私はそんな姿を冷ややかに見つめながらやらないよりはいいかと、すでに母親になっている友達に子育てのやり方を聞いた。
旦那とのはじめての夫婦喧嘩をしたのは、妊娠して8ヶ月ごろのことだったと思う。
生まれてもない息子のために本気で詰りあった。しかも、高校受験についてだ。
私は私で「いや、和美だって洋子だってそんなふうにしなかったって言ってたもん!すでに経験者が言ってるんだよ!?」
旦那は旦那で「人類の歴史の中から子育てというジャンルに特化した歴史書みたいなもんなんだよ、育児書っていうのはさ。そこにはそうは書いてなかった。歴史を否定するつもりか!!」
夫婦喧嘩をしても仲裁してくれる親は双方にはいない。
夜中に家を出ようと思ったけれど帰る実家もない。
出ていけ!!と啖呵を切ったのは言ったのは私の方だったけど。
近くの公園でツムツムに興じる旦那が可愛く見えた。
その夜、夫婦ではじめての会議を開いた。
「これは共闘作戦で行くべきだと思うんだ」
私はこう見えても自衛隊上がりの軍人だ。幹部候補として一時期は大変出世を切望されていた人間である。子育てを共闘作戦だと思えばいいはずだ。
かたや、旦那は大学の助教授。賢さに関しては世界に誇れる日本の頭脳として名声を得ている。
「わかった。共同研究ということだね」
私たちはいつも言葉の行き違いがあった。でも愛し合って結婚した。寂しさが耐えられないこの世界でふたりで生きていくことが共闘作戦で共同研究だからだと理解したからだと思う。
私たちは息子が生まれる前にひとつのスローガンを掲げた。
研究目標であり、軍事目標でもある。
「うちの子が一番に決まっているだろう!!!!」
何を言われてもどんなに教育方針に食い違いがあっても、誤解があってもここに戻り、そしてまたここを目指そうという目標である。
息子が生まれた。
「一(はじめ)」と名付けた。
彼が何事においても1番だということを私たち夫婦が常に思い出せるように。