10月1日の台北
10月1日の台北はいつも通りだった
10月1日の中華人民共和国建国70周年の日に、私は台北にいた。香港はこの日に合わせてデモ隊と警察との衝突が表面化し、警察側の実弾の発砲&18歳の高校生が被弾するという、あとから歴史を振り返った時に一つの象徴的なポイントになり得る事件が起きた。
事実として、台北はデモらしき表立った動きは全くなかった。ニュースでは普通に70周年の国慶節を報道していた。特に対立点を浮きだたせようとする意図は感じなかった。ちょうど台風18号が台湾に近づいていたのでそれどころではなかった。
「次は台北だ」という言論
香港が今のように混乱の只中にあって、香港の次は台湾だ、しかも台湾は軍隊があるので米中がさらに真正面から武力衝突をする可能性がある、という言説。私もその可能性はあると思う。論理的に考えれば当然の帰結だ。私は台北大好きだし、今後も旅行に行くことがあると思うが、友人や身内には「気を付けた方がいい、できれば違うところに行けばどうか?」と言うだろう。
香港の情報があまりにも偏向的
香港警察やその後ろ盾である中国中央政府を「悪」として、デモ隊を権力に立ち向かう悲劇のヒーローのような物語の背景を設定すると、とても分かりやすい。
しかし、事実はそうでもないだろう。正義と悪という設定がないと世の中の事象を理解できないというのは幼稚だ。正義は人それぞれだ。多様な正義がぶつかり合っている。あなたの正義は何ですか、と問われているのだ。私たちが自分の脳みそを使ってひねり出す、その苦労を放棄して無料で提供されたヒーローイズムを盲目的に受け入れているのであれば、私たちはもっと伸びしろがあるだろう。
大事なのは「結論を出さない」ということだろう。安易にどちらかの見方になるのをやめることだ。そして、多方面からの情報をインプットすることだ。私たちは幸いにして第三者であるから冷静にそれができる。「天皇制の是非」とかは日本人にはどうしたって議論できないのだ。第三者が初めて議論できる。第三者であることは特権的な価値あることなのだ。だからどちらかの見方になってはいけない。共感の安売りは何も解決しない。むしろメディアの思うように動かされるだろう。伸びしろだ伸びしろ。私たちはもっと賢くなれる。