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「生きる」とは。
※本記事は、小説「君の膵臓をたべたい」のネタバレを含んでおります。ご了承ください。
先日、友人からこんな質問を戴いた。
「”生きてる”ことの基準って何だと思う?」
……難しい!!!
心底難しい、とんでもない議題が飛んできてしまった。
でもこの質問で、
私の好きな作品と好きな言葉の存在を思い出したので、
それを踏まえつつ頑張って書いてみようと思う。
住野よるさんが書いた、
私が小説に興味を持つきっかけになった作品が「君の膵臓をたべたい」。
主人公である「僕」は病院で偶然「共病文庫」というタイトルの本を拾う。その本は、
「僕」のクラスメイトである山内桜良が綴っていた秘密の日記帳で、
彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが書かれていた。
「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、
家族以外で唯一桜良の病気を知る人物となった。
私の大好きな小説から、
少しでもこの問いの真核に近づいてみたい。
今回の問いへのヒントになりそうな部分だけ抜粋するので、
ほとんどは割愛します。
桜良の癖になる言動行動の話とか色々したいけどね。
びみょんびみょん。
今回の問いを解決するにあたって、
私の大好きなシーンをここで紹介する。
主人公の「僕」が、桜良に対してこんな問いを投げかける。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」
余命いくばくもない桜良は、こう答えた。
きっと誰かと心を通わせること。
そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。
誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、
誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、
誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。
それが、生きる。
自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。
誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、
誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、
そういう人と私の関係が、
他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。
私の心があるのは、皆がいるから、
私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
そうして形成された私は、今、生きてる。
私の大好きな言葉。
ほとんどこれが答えになってしまう気もする。
この言葉に付随して、私のことも少し書こうと思う。
数年前、私の曾祖母が亡くなった。
当時小学生の私は親戚を亡くした経験がこれまで無かった。
親から知らされた時は唖然とした。
ましてや私は漠然と死を怖がっていた人間だったので、
本当に頭が真っ白になったのを覚えている。
この話は少し前に書いているのでそちらも是非。
曾祖母の葬式の日。
何もかもの理解が追いつかないまま迎えてしまい、
何が何だか分からなかった。
「もしよろしければ、最後に撫でてあげてください。」
と言われ、私はその時初めてご遺体に手を触れた。
涙が止まらなかった。
人生で一番泣いたと思う。
絶望のような、今まで味わったことのない感情に押し潰されてしまって、
ただただ涙を流した。
本当にその瞬間初めて、
死というものがどういうものなのかを理解した。
形容しがたい、外界のものが全て絶たれている状態の人間に触れた時に表れる、
寂しさ、怖さ、絶望、ありとあらゆる感情。
人の死は、ただ臓器が生命活動を終えるだけではない。
五感の活動がストップすると同時に、
外界の情報が全く得られない状態になる。
私が何をしようが、何を言おうが届かない。
今まであった人やものとの繋がりが一瞬にして遮断されてしまう。
誰かと心を通わせることが叶わない。
いくら一方がどんな手を使って何かを伝えようとしても、
それは絶対に届かない。
それが、生と死の境界線。
私のnoteなんて本当にその通りで、
誰かとの交流で芽生えた価値観や生まれた感情を綴っている。
たまに暴力的で、たまに重くて。
でもその暴力的で重いものが、生きていることの何よりの証明となる。
勿論、自分のことを変えられるのは自分しかいない。
いくらアドバイスをもらったとて、それを遂行するかは自己判断になる。
それでも、人との繋がりがあることで、
私が変わる為の手立てを沢山もらうことができる。
誰の存在も疎かにしたくない。
勿論今私と関わっている人達もそう。
私が密かにnoteで憧れている人も、
昔私と仲良かった人も、
今の私が苦手とする人も、
全て大切にしていきたい。
好きな人とも、関係がそこまで無い人も、
或いは苦手な人も、
全員今の自分を象ってくれている大切な存在で、
彼ら彼女らが一人でも欠けていたら、
私の人生は大きく変わっていた。
人生、常に色んな分岐点がある。
その分岐点には必ずと言っていいほど、人がいる。
その人に影響された何かが、
いいものだとしても、悪いものだとしても。
それは私の人生の一部になるし、
生きていることの何よりの証明になる。
話が二転三転して結局答えを導けていない気がするけれども。
その話で言うと、
誰かに固執しすぎるのもあまりよくないよなと私は思う。
固執していた誰かを失った瞬間、自分の人生の根幹が消えてしまう危険性を孕んでいる。
かといって人たらしになるとそれはそれでではあるが。
「君の膵臓をたべたい」という小説は私の人生訓。
大切で素敵な言葉が沢山ある。
まだ読んでない人は是非読んでほしい。
人生に影響を及ぼす言葉ときっと出会える。
最後にもう一つ、
私の好きな言葉を載せて締めます。
今回かなり駄文ですまない。精進します。
偶然じゃない。
私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、
私達を会わせたの。
私達は、自分の意志で出会ったんだよ。