記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「生きる」とは。

※本記事は、小説「君の膵臓をたべたい」のネタバレを含んでおります。ご了承ください。



先日、友人からこんな質問を戴いた。

「”生きてる”ことの基準って何だと思う?」


……難しい!!!
心底難しい、とんでもない議題が飛んできてしまった。

でもこの質問で、
私の好きな作品と好きな言葉の存在を思い出したので、
それを踏まえつつ頑張って書いてみようと思う。


住野よるさんが書いた、
私が小説に興味を持つきっかけになった作品が「君の膵臓をたべたい」。

主人公である「僕」は病院で偶然「共病文庫」というタイトルの本を拾う。その本は、
「僕」のクラスメイトである山内桜良が綴っていた秘密の日記帳で、
彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが書かれていた。
「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、
家族以外で唯一桜良の病気を知る人物となった。

Wikipediaより

私の大好きな小説から、
少しでもこの問いの真核に近づいてみたい。



今回の問いへのヒントになりそうな部分だけ抜粋するので、
ほとんどは割愛します。
桜良の癖になる言動行動の話とか色々したいけどね。
びみょんびみょん。

今回の問いを解決するにあたって、
私の大好きなシーンをここで紹介する。

主人公の「僕」が、桜良に対してこんな問いを投げかける。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」
余命いくばくもない桜良は、こう答えた。

きっと誰かと心を通わせること。
そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。
誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、
誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、
誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。
それが、生きる。
自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。
誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、
誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、
そういう人と私の関係が、
他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。
私の心があるのは、皆がいるから、
私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
そうして形成された私は、今、生きてる。

「君の膵臓をたべたい」より

私の大好きな言葉。
ほとんどこれが答えになってしまう気もする。
この言葉に付随して、私のことも少し書こうと思う。


数年前、私の曾祖母が亡くなった。
当時小学生の私は親戚を亡くした経験がこれまで無かった。
親から知らされた時は唖然とした。
ましてや私は漠然と死を怖がっていた人間だったので、
本当に頭が真っ白になったのを覚えている。
この話は少し前に書いているのでそちらも是非。

曾祖母の葬式の日。
何もかもの理解が追いつかないまま迎えてしまい、
何が何だか分からなかった。

「もしよろしければ、最後に撫でてあげてください。」
と言われ、私はその時初めてご遺体に手を触れた。

涙が止まらなかった。
人生で一番泣いたと思う。
絶望のような、今まで味わったことのない感情に押し潰されてしまって、
ただただ涙を流した。

本当にその瞬間初めて、
死というものがどういうものなのかを理解した。
形容しがたい、外界のものが全て絶たれている状態の人間に触れた時に表れる、
寂しさ、怖さ、絶望、ありとあらゆる感情。

人の死は、ただ臓器が生命活動を終えるだけではない。
五感の活動がストップすると同時に、
外界の情報が全く得られない状態になる。
私が何をしようが、何を言おうが届かない。
今まであった人やものとの繋がりが一瞬にして遮断されてしまう。

誰かと心を通わせることが叶わない。
いくら一方がどんな手を使って何かを伝えようとしても、
それは絶対に届かない。
それが、生と死の境界線。


私のnoteなんて本当にその通りで、
誰かとの交流で芽生えた価値観や生まれた感情を綴っている。
たまに暴力的で、たまに重くて。
でもその暴力的で重いものが、生きていることの何よりの証明となる。

勿論、自分のことを変えられるのは自分しかいない。
いくらアドバイスをもらったとて、それを遂行するかは自己判断になる。
それでも、人との繋がりがあることで、
私が変わる為の手立てを沢山もらうことができる。

誰の存在も疎かにしたくない。
勿論今私と関わっている人達もそう。
私が密かにnoteで憧れている人も、
昔私と仲良かった人も、
今の私が苦手とする人も、
全て大切にしていきたい。

好きな人とも、関係がそこまで無い人も、
或いは苦手な人も、
全員今の自分を象ってくれている大切な存在で、
彼ら彼女らが一人でも欠けていたら、
私の人生は大きく変わっていた。

人生、常に色んな分岐点がある。
その分岐点には必ずと言っていいほど、人がいる。
その人に影響された何かが、
いいものだとしても、悪いものだとしても。
それは私の人生の一部になるし、
生きていることの何よりの証明になる。


話が二転三転して結局答えを導けていない気がするけれども。


その話で言うと、
誰かに固執しすぎるのもあまりよくないよなと私は思う。
固執していた誰かを失った瞬間、自分の人生の根幹が消えてしまう危険性を孕んでいる。
かといって人たらしになるとそれはそれでではあるが。


「君の膵臓をたべたい」という小説は私の人生訓。
大切で素敵な言葉が沢山ある。
まだ読んでない人は是非読んでほしい。
人生に影響を及ぼす言葉ときっと出会える。

最後にもう一つ、
私の好きな言葉を載せて締めます。
今回かなり駄文ですまない。精進します。


偶然じゃない。
私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、
私達を会わせたの。
私達は、自分の意志で出会ったんだよ。

「君の膵臓をたべたい」より


いいなと思ったら応援しよう!