【CDJ24/25レポ】世界で一番幸せな年越しを。
皆さん、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
見事な強運っぷりにて、CDJ最終日のチケットをぶち当てて。
胸が躍る中迎えた2024年最後の日。
2024年は一度もライブに行けてなかったから、
これが2024年初ライブとなり、人生初フェスとなった。
結果として10組のステージを観てきて、
数日経った今でも全く余韻が抜けない状況。
そんな熱意を言語化して書き記そうと思う。
今の私が綴る、拙いながらも等身大の言葉が、
音楽好き全員に届いてくれることを祈って。
会場内のBGMですぐに私のテンションは跳ね上がって。
会場内で初めて私が聴いたBGMは「栞」だった。そりゃボルテージ上がるって。既に最高。
CDJの面白いところはご飯ものがとにかく充実しているところにあり、
昼間っからにこにこで利久を食べてご満悦の私。
「ヤバみ」をバックに、久しぶりに味わう音楽の非日常感にひたすら感動してドキドキして、一組目のアーティストの登場を心待ちにしていた。
会場内を散策していた私の耳に飛び込むバスドラムの重たい音に誘われ、
気付いたらねぐせ。のリハ会場へ。
ライブ参戦自体一年半ぶりで、胸を衝くほどのバスドラムの音に体が熱くなるのを感じて。
歩いて次はBLUE ENCOUNTのリハに行ったが、凄まじいフロアの熱気に気圧されて。
ここには純粋な音楽好きしかいない。皆音楽を愛している仲間。
そんな情熱を感じて胸の奥が熱くなった。
First Act - なきごと
たまたま覗いて入ったCOSMO STAGE。少し聴いたら他二組のところに移動しようとすら思っていた。
最初は「あ~ボーカルの人のビジュアルと声好きだなあ~」くらいに思って聴いていたものが、
二曲目の「マリッジブルー」で一気に変わった。
どこか不安定なのにキャッチーなメロディーで流れゆく本楽曲に乗らずにはいられず、
移動するつもりの足が完全にストップした。
楽器隊の音の良さ、浅瀬に溺れているような感覚に陥った状態で聴き入る「グッナイダーリン・イマジナリーベイブ」で、完全惚れモードに。
CDJ参加にあたって一つの目標だった、「新しいアーティストに出会う」が、まさかファーストアクトで達成されてしまうとは。
「ハレモノ」の歌唱表現。映し出される歌詞と、何か胸に突き刺さるもの。
その後に語られる、なきごとの在り様。
「貴方が辛い時に背中をさすってあげられるようなバンドになりたい。」
思えばこのステージを通して、なきごとはずっと「私とあなた」を他のどのバンドより大切にしていた。
そうして流れる「生活」。
「ただ息を吸って吐くだけなのに、なんでこんなにも苦しいのだろう。」
そうやって曲中に語りだす姿に、私は柄にもなく涙が出そうになってしまった。
音楽で泣きそうになるのは、19年半生きてきて初めての経験だった。
しかも今しがた出会ったばかりの人達に。
私の弱さを赦してくれる。そんな暖かい人達に出会えてしまった喜びを噛み締めて、
私はCOSMO STAGEを後にした。ありがとう、なきごと。
Second Act - マルシィ
なきごとの余韻冷めやらぬ中、マルシィのステージへ。
マルシィは代表曲だけ少し予習していて、
ラブソング、それもバラードが多い印象だと思っていたばっかりに、
本ステージで初めてハイテンポマルシィを味わうこととなった。
イマドキの恋する紳士淑女たちが好みそうな歌詞、メロディー、爽やかな歌唱。
どこからか仄かに甘酸っぱい香りが、水色の色彩が、私の頭の中に広がっていく。
「アイラブ」でタオル回したりもして。飛んで跳ねて、万人の想像するフェスがそこにはあった。
「ピエロ」が一番刺さった。今までの爽やか水色マルシィから一転、一気におしゃれダークに様変わりしたギャップに撃ち抜かれた。
「未来図」の歌詞が大好き。大合唱できて本当に嬉しかった。
余談。
ハム焼、美味しかった。
ロンT一枚じゃ寒かったから突発でマルシィパーカー買ってしまった。
フェス飯、全部美味しい。
Third Act - ずっと真夜中でいいのに。
皆口を揃えて言うから今更なのだけれど、
なんでずとまよのライブってあんなにも音質がいいのだろうか。
現代チックのダークで電波してる技巧な曲たちを、
何故我々は心地よく聴けるのか、不思議で仕方ない。
「お勉強しといてね」で鳥肌。ありがとう。
ずとまよのキーボードの技術と音は唯一無二のもので、
常に音源以上の歌唱を見せるくせしてたどたどしいトークを見せるACAねさんの魅力と調和してこれ以上ないステージになっていた。
「勘冴えて悔しいわ」だったり、「秒針を噛む」だったり、
あんなに激しく綺麗に鳴っている楽器に負けない、
寧ろその楽器の魅力を増強させるような地声のハイトーンボイス。たまらなかった。
「TAIDADA」のサビ三連ジャンプ、頭空っぽにして楽しんだり。
「あいつら全員同窓会」の間奏演出からの各パートソロ、
ずとまよにしかできないような演出と音作りで夢中で聴き入ってしまった。
今振り返ってもあのステージだけは異様な空間だったし、
それほどの唯一無二性を持ち続けているずとまよの魅力を全身で受け取るライブだった。
Fourth Act - コレサワ
老若男女、誰もが可愛くなれる場所。
それがコレサワのステージだった。
満員のCOSMO STAGEで、皆が"可愛い"を身に纏っていた。
それは若いイマドキ女子だけではなく、
私より一回り歳の上であろう男の人だって同じように可愛かった。
そしてなにより、ライブの注意喚起から最後の最後まで、
コレサワ本人が"可愛い"を全力で体現していた。
男女問わず二曲目の「にゃんにゃんにゃん」では猫ポーズをしながら皆踊っていたし、
アップで抜かれる最前のファンの姿を見た後列の人たちが「皆かわいい~」って言っていてそれさえも可愛くて微笑ましいものだった。
「浮気したらあかんで」では彼氏役の犬くんと踊って跳ねて歌って、
フリフリの衣装でそれをやるものだからその姿は素直にアイドルに見えてしまう。
顔も見えない誰かのことを、声や身振りだけであれほど可愛く愛しく思えることはなかなかない。
歌い方も、常に語尾が上がっていてハートマークがついているような歌い方をしているものだから、
どんな歌詞や表現をしていてもかわいいがバックに存在するの、すごい。
柄にもなく私も叫んだしハートマーク作ったし。これが私の人生。
Fifth Act - Tele
最初の「ロックスター」だけで私は大満足。
本当はサンボマスターに行こうと思っていたのだけれど、
直近でTeleにハマってしまい急遽予定変更して観に行った。次はサンボマスターも聴きたい。
Teleと言えば私の中で詩人というイメージがあるのだけれど、
CDJを通して"唄う"という文字が"歌う"に変わった。
"唄う"という表現では留まらない迫力を浴びた。
立ち振る舞いから、衣装、歌い方、声、何もかもが表現者の成りをしていて、
陽気なのにどこか哀愁があって、まるでチャップリンを見ているかのようだった。
Teleの真骨頂は詩的な歌詞にあると思っているので、
持ち帰って今改めて歌詞を見つつ曲を聴きこんでいる最中ではある。
「花瓶」の大合唱、素敵な空間だった。
Sixth Act - 須田景凪
私の中でボカロのイメージが強かったので、
こんなにもロックなナンバーを抱えているのかと度肝を抜かれたステージ。
最初の「ユーエンミー」から疾走感抜群で強気な須田景凪を感じる。
かと思えば「メロウ」で一気に爽やかチックに変容したり、
多様な姿を我々に魅せてくれた。
「ダーリン」のあの色気のある歌い方は、
特徴的な声質をしている本人にしか生み出せないもの。
何故あんなにも執念と諦念が混ざった歌い方ができるのだろう。
そうしてトリを飾った「シャルル」では、
イントロの煽りからサビで大合唱が巻き起こり、
数年前からずっとボカロの世界に足を置いていた私としては念願の瞬間だった。
どこまで行っても私はボカロが好きだし、
ボカロと共に思春期を育ってきたし、
決して全てが良かったとは言えないような当時の記憶ごと吹き飛ばすような、
皆の、私の、そして須田景凪自身の歌声に、形容しがたい感動を覚えてしまった。
Seventh Act - sumika
私はこの後、世界一幸せな年越しを過ごすことになる。
リハーサルの「1.2.3..4.5.6」の時点で声が枯れそうなほどのコーラスをして、
「深夜テンションでしょそれ」と言われて盛り上がるフロアの熱気に気圧されないように私も叫ぶ。
待機BGMで流れた「Bling-Bang-Bang-Born」では手拍子大合唱が巻き起こり、
当の本人たちはいないのに終われば拍手喝采で、音楽のパワーを感じた。
始まる年越しアクト、2024年に何も悔いを残すなとばかりに初手フルスロットル「ふっかつのじゅもん」。
フロアのボルテージは最高潮で、私も汗だくになりながら今年一番の声でコーレスをする。
mid2G#という男性目線決して低くはない音域でも、余裕で声が張り上げられてしまう私に驚きながら、
そのまま「フィクション」に突入。先日友人に教えてもらったばかりのサビ手拍子を無事間違えたり、
それでもそんな間違いを気にせず心の底から楽しんでいる自分を珍しくすんなり愛せてしまう。
演出の火柱が似合う重低ロック「VINCENT」でも巻き起こる大合唱と共に、刻々と近づく年越しの瞬間。
2024年最後に私が聴くのは「Lovers」。
前々からsumikaと年を越せる幸せについては友人たちに語ってきたが、
いざ近づくとその幸せは想像以上に大きいもので、
20回目の年越しがかけがえのない、それでいてこの幸せを超えることはないと予期させてくれる。
私情で申し訳ないのだが、この「Lovers」という曲は私にとっても思い入れのあるもので、
私の友人たちが高校の文化祭でこの曲を演奏していた際、コロナ禍の影響で観客側がコールを許されないという状況に陥っていた。
あれだけ言いたかった「ねぇ」の二文字が、本人を目の前にして、年越しを目の前にして言える幸せのなんと感慨深いものか。
「未だかつてこんな幸せな年越しがあっただろうか。」という言葉、
そっくりそのまま私が返してあげようか。
そうして2025年が始まった。
2025年一発目、「運命」。
どうしてこうもsumikaは私の心を貫いてくるのか。
私があの場で一番楽しんだと胸を張って言えるほど、
手拍子もコーレスも手振りも歌唱も120%でやった。
歌ってくれるとは思っていたけれどまさか年越し一発目だとは思っていなかったし、
本当に嬉しかった。最高の年明けになった。
いつまでも前向きでいさせてくれる、ゆっくりと背中を押してくれるsumikaの想いが、それを受け取る皆の想いが繋がる「「伝言歌」」。
ここにいる、sumikaを聴いている皆、CDJに来ている皆、音楽が、誰かが大好きだという皆が全員仲間であり、
そこに境界線なんてなにもなかった。
それを教えてくれたのはまぎれもなくsumikaだし、sumikaを聴きに集まる大観衆の皆。
こんなに熱狂しているのに、根底に暖かさがある。
どこを切り取っても幸せな年越しで、私だってsumikaへの感謝を伝えたい。
本当にありがとう。
Eighth Act - 星街すいせい
ヴァーチャルの歌姫は実在した。
THE FIRST TAKEに出たあたりから、ホロライブという枠を超え一気にアーティストとしての箔がついてきたように思える星街のライブ、
ぶっちゃけずっとずっと行きたくて仕方がなかった。
まず感じるのが圧倒的な歌声の安定感。
今まで聴いてきた音源とほとんど変わらない、でも生歌だとわかるその歌唱力に驚く。
「灼熱にて純情(wii-wii-woo)」はバンド編成だからこそ映える演奏で、
そこにブレない歌唱が加われば無敵極まりないのも当然のこと。
「ビビデバ」ではサビで踊りだすフロアがいたり。楽しかった。
なにより「Stellar Stellar」のイントロで震えてしまった。
あんなに美しい歌声に鳥肌が立たずにいられなくて、
ヴァーチャルアイドルなんかじゃない、立派な一アーティストとして更に好きになってしまった。
Ninth Act - おいしくるメロンパン
奇跡の運気で前列5列目を引き当ててしまって、
今までですら興奮していた生の音楽が更に間近で感じられることに喜びが隠しきれなかった。
深夜三時ということをまるで感じさせない、
いつも通りのナカシマさんのハイトーンボイスに撃ち抜かれて、
どうしてあんな華奢な見た目をしているのになんて邪淫なことを考えてしまいながら、
眼前に広がるおいしくるワールドに五感が多幸と叫ばずにはいられなかった。
「初日の出のように神々しいライブを…」なんて言う姿さえかわいくて深夜テンションを感じるが、
いざ演奏になると凄まじいギターの音圧に惹かれ続け、
「フランネル」から「空腹な動物のための」にかけてのあの伸びやかなハイトーンの心地よさに浸り続け、
気付けば様々な語彙表現が私の中で蠢いていたのを感じた。
一言で言えば、奇妙。
爽やかで、力強くて、暗くて、沈んでいて、軽くて重くて、ずっと何かに呑まれているような感覚に陥りながら聴き入っていた。
トリを飾る「シュガーサーフ」、正直私的CDJベストソングと言っても過言ではない。
あのハイテンポな曲がライブウケしないはずがないのは知っていたのだけれど、
いざ聴くとかっこよさ全開でこれまでで一番胸が躍った。
終始かっこよさに呑まれて興奮していた。
この曲に限らない話だが本当に一貫して楽器の音色が繊細なのに暴力的でかっこよくて、
何が爽やかだよとか言いたくなってしまう。今までで一番あっという間の30分間だった。
Tenth Act - すりぃ
リハ明けの本人から「皆ゾンビみたいw」と言われてしまうのも当然な深夜4時台。
大トリを飾るすりぃもまた、ボカロのイメージが強いアーティストで、
でも本人自体の歌声もロックを体現しているような歌声をしているし、
なによりボカロ活動から一貫してダンスロックを貫き続けているすりぃだからこそ、
この時間でも私は飛んで跳ねて歌って叫んだのだと思う。
「テレキャスタービーボーイ」から「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」への繋ぎはボカロオタク大興奮のセトリで、
どのアーティストよりもバックの映像表現を多用しているのも印象的だった。
視覚にも聴覚にも届くこのわくわくが、
普段なら眠気に負けかけるこの時間でも全く疲労を感じさせず、
でもどこかダークな要素も孕んでいるのがまた彼の魅力であり、
その魅力を存分に引き出す楽曲だったのが新曲「救ってくれない」だと思う。
「孤独って、自分と向き合う為のものだと思うんすよね」なんて語ってから流れる音楽とは思えないくらいに、
ハイテンポでキャッチーなメロディーが流れゆくのも、
きっと本人が自分を見つめた上で引き出した答えであり、
何より自分が一番楽しむ為に明るくてキャッチーなダンスミュージックを創り続けているのだろうと感じた。
その熱気に押されるように、徐々に覚え出して増えゆく掛け声が、
音楽とはなんなのかを体現しており、
「愛すべき音楽バカ」が集うCDJの〆に相応しいボルテージだった。
そこからは「ラヴィ」「エゴロック」と、
ボカロが原曲の云わばセルフカバー楽曲でフェスを締めくくった。
最後の最後まで飛び跳ねて、叫んで、
この胸の高揚を忘れないように、ずっと胸に留めて、覚えていたいと、
心の底から思い続けた。
ただただ、幸せだった。
初めてフェスに参戦して、それもCDJ最終日で、
2024年は他のバンドのライブにも行けず、年内初ライブですらあったし、
今回観た10組はどれも生で聴くのは初めてのアーティスト達で、
その最後を締めくくるのが、私の愛してきたボカロなのが、
どうしようもなく感慨深かった。
終幕。
どうしようもなく私も音楽バカで、
特に2024年は聴く音楽の幅が圧倒的に増えたから、
CDJはその集大成とも言える場所だった。
最高に、幸せだった。
ただそれだけが、私の心にこの先も遺り続ける。
きっと細かいことは未来の私の経験が増えゆけば相対的に忘れゆくもの。
だからこうやって書き記して、数年後、数十年後にこの文章を見た時に、
皆が、私が、2024年12月31日という大切な日を、2025年1月1日という大切な日を、
ゆっくりと思い出せるように。
19歳の、今の私の等身大の言葉で書き連ねた。
これが20歳になって、社会人になって、30代、40代、
もっともっと先の、想像し得ない未来になって、
私の形と、音楽の形が、少しずつ変容しても、
確かにこの日、この時間、幕張という地にこんな熱があったのだと。
そしてここが、私にとっての音楽のスタート地点だと。
いつでもここに戻ってこれるように。
数年後に見返して、
こんなアーティストがいたな、
こんなアーティストと出会えたな、
当時の私の文章、拙すぎるな、
昔に比べて色んな音楽知れたな、
でもその始まりって全部ここにあったんだな。
そうやって言いたい。
改めて、本当にありがとうございました。
CDJに関わった全員と、この拙いレポートを見てくれた皆様と、
この世の音楽全てに愛情と感謝を述べて。
またJAPAN JAM 2025で会いましょう。