「耳擦りする女」で突然百合急行列車に轢かれた
Netflixで配信中の、伊藤潤二『マニアック』。
私は伊藤潤二作品はいくつかの有名なエピソードを把握している程度。どんなホラーが出てくるのだろうと思いながら足を踏み入れた。しかし見終わってみれば、私の心には「耳擦りする女」のエモさしか残らなくなっていた。
エピソードを道徳的な観点で紐解くなら、父親が目先の幸せを優先して美津のDVを見過ごしたため、死んだ美津により娘が殺人を犯してしまう因果応報のストーリーとも取れる。
(でもあの父親なら娘の殺人くらい庇ってそう)
なんでも百合にするの良くないよ
と、頭の冷静な部分が囁くけれど、いいやこれは百合だ。百合でなくてはなんなのだ。……伊藤潤二の作品でこんな目に遭うなんて、身構えられるわけないだろ!
※アニメ版の感想であり、原作はこれから読みます。なので間違いがあるかも。
耳擦りする女、美津
そもそも耳打ちじゃなく耳擦りってニュアンスが良くないですか?ささやく繊細さが言葉で見て取れるというか。
なんてことはさておき、何が百合だと私を騒がせるのか。それは伊藤潤二先生の慧眼から始まる。
きっと二流漫画家なら美津を極めて邪悪な存在として書き始める。主体性のないまゆみが美津の言いなりになり、人殺しまでしてしまう結末はそれで持っていけるから。
しかし美津には細かなプロフィールが決められている。ヒモ男にDVを受けていて、ほぼ毎日の激務もその男に言われるまま決められたものだ。
DV被害者は往々にして加害者を庇う精神状態に陥る。美津がそうであるかは不明だが、肉体的にも精神的にもヒモ男に支配されているのは確実だ。しかし美津はまゆみに指示を出すことで、ヒモ男から奪われた本来の自分を取り戻し始める。まゆみの精神状態は安定し、まゆみの父親は幸運の女神と呼んだ。捩れた主従関係でありながら、相互依存関係なのだ。——好き。
まゆみと主体性
美津の言いなりになるまゆみだが、その理由は〜したらいいの?と何事も決められない主体性を欠いた異様な性格が原因だ。
まゆみが全く物事を考えられない訳ではなく、考えているからこそあれこれ他者を質問責めにする。異常なまゆみを支えられるのは、異様である美津だけ。他人には割り込めぬ世界がそこにある。
伝聞の形ではあるものの、〜してもいいわ〜しましょう、と言っていた美津唯一の命令形。並々ならぬものを感じさせるし、正直言うとグッとくる。
同一性こそ一つの終着点
百合百合言ってるけど、別に恋愛要素ないし百合とは無関係じゃん。なんてのは恋愛を性愛だけと思っているガキの発想だ。確かにエピソード中ラブコメのようなハッキリとした描写は全く無い。
まあ美津がそばに居ると言うくすぐったい、はハイコンテクストとして性的ニュアンスを持っている。しかしこれにそんなことを言い出すのはカプ厨くらいだから除外。
私は結末を以てこれは百合だなぁと心に刺さった。まゆみと美津は別個で会話をしながらも一緒。一緒、というか同体。一心同体。これは友情ではない。徹頭徹尾歪に逆転した主従関係。境界の消滅。そして何より大事なのは、2人が幸せであるということ。美津は復讐を果たして、これからもまゆみに指示を出し続ける。まゆみは指示を出され主体性を失いつつも、もう何をしたらいいのかわからないと叫ぶことはない。関係性の一つの終着点。これを広義の言葉に当てはめて他人に伝えようとして、私は百合だ……と言いながら力尽きたのだった。
じゃ、書き終わったので買ってきます。
耳擦りする女